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薄闇の眠りを  作者: 吉舎街
第三章
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交錯する情報

「ラギ、大丈夫!?」


 入室の許可を求める声は確かに黒い人のものだった。だが、声に応えて宰相補佐官が扉を開けると、勢い良くエルが真っ先に飛び込んできた。そのまま部屋の中央で立っていた私のところへと小走りで駆けてくる。


「まだ寝てなくていいの? 体調はどう? 倒れたって聞いたときはもう、本当に心臓が止まるかと……!」


 捲し立てながらも彼は泣きそうになっていた。いや、むしろもう泣いている。男の涙は何とも思わない筈だったが、勢いに加えて私を心配してのことだったので、つい慌ててしまった。そこまで仲が良いわけではないのに。

 もう大丈夫ですから、ええ大丈夫です。大丈夫ですよ。と若干引きそうになりつつ宥めていると、扉の方から声が掛かった。


「――エリュシオン、落ち着け」


 なに、フラグ美形男、だと……? 聞き覚えのある声にばっと視線をそちらに向ける。エルに気を取られて全然気付かなかったが、部屋を訪れたのは彼の他に黒い人、色白騎士、フラグ美形男の計四名だった。一国の王子が一介の侍女の部屋に何の用だろう。ああ、もしかしてネヴィを迎えに来たのだろうか。

 それよりも、と私は今耳にした言葉を繰り返した。


「……“エリュシオン”?」


 この世界では初めて聞く単語だった。話の流れからするとエルの名前だと思うのだが、エリュシオン――楽園、という朧気な記憶が甦り、微妙な気分になる。失礼な話、似合う似合わないでいえば、顔に似合わない派手な名前だなと思う。

 あ、相談所に勤めているということだから、爺婆の楽園という意味では似合って……いやいや。


「え、っと、ラギ、なに?」

「すみません。なんというか、豪勢な名前だなあと思いまして」

「えっ! ……そ、そうかな!?」


 私のところでは楽園って意味もあるんですよ、と付け加えて誤魔化し笑いをする。死んだ後の、という装飾語はやめておいた。

 いやはや、剣を持たないのに騎士団に居ることといい、紅茶を優雅に飲む様子といい、これはますます良いところのお坊ちゃまかもしれないと思う。だからどう、ということもないが。


「ところで、例の件はどうなりましたか?」

「ああ。それは――」


 私の雑談を遮って、時間が勿体ないとでも言いたげに早々に仕事の話を始めた宰相補佐官の姿を横目に、私は部屋の奥でひとり軽く俯いているネヴィのところへ近づいた。


『その話、詳しく聞かせていただけますか』


 選定そのものを、正したいんです――ネヴィが選定にまつわる幾つかの異常を例に挙げてそう締めくくると、宰相補佐官は身を乗り出してそう言った。その食い付きっぷりはもう半端なかった。

 話はとんとんと進み、私の元の世界への帰還と、選定を正すための全面的な協力を取り付けたあたりで、……くっそ恥ずかしいことに、私の腹が鳴ったのだ。しんとした部屋にはかなり響いた。誤魔化せないほどに。


 ずっと眠っていたのだからさもありなんと思いつつ、なぜ今! と私は声なき声で叫び部屋の隅で蹲った。ネヴィの優しい慰めが余計心に刺さった。そして宰相補佐官は震える口元に手をやりながら侍女頭を呼んだらしいのだが、昼食はまだ来ない。


「ありがとう、ラギ」


 傍に行くと、彼女はほっとした様子で笑う。手詰まり状態だったところに道が開けたのでひとまず安心したのだろう。彼らには聞こえないだろう小さな小さな声で呟くように続ける。


「私だけだと、多分、うまく話せなかったと思うから」

「……。もしかしたら、なんですけど。ネヴィは……あの人、苦手なんですか?」


 祈りの間での彼女の態度からずっと疑問に思っていたことだ。するとネヴィは話し込む騎士達をちらりと見やって、更に声のトーンを落とした。


「ううん、苦手っていうより――その、お姉ちゃんから聞いたんだけど」


 あの人、昔、結構弾けてたみたいで。


「はじ……え?」

「学校に通ってた頃、友人と何かとたくさんやらかしたって話。ええと……校長の肖像画を破り捨てたとか、校長の石像を壊したとか、校長の髪の毛を燃やしたとか、色々ね。だからちょっと怖い人なのかと思ってて」

「そ、想像できないですね……」


 そして校長にいったい何の恨みがあったのだろう。今の宰相補佐官の姿からは考えられないような話に、半信半疑ではあるが、彼を見る目が変わりそうな気がした。





 私とネヴィが昼食をとっている間、彼らは少し離れたところで何かを話し込んでいた。別の場所でやればいいのに、と思わないでもなかったが、見張りも兼ねてのことだったのだろう。私の体調を気遣ってか消化に良さそうな温かいスープに、ほわりと身体が解れた。

 結局、私の腹の虫の所為で、山ほどある聞きたいことの内たったひとつも聞けなかった。近いうちに、それこそ明日にでも宰相補佐官には時間を作ってもらわなければならない。


 さてどうしようか――、と悩みながら私が歩いているのは、祈りの間へと続くあの廊下である。隣にはいつも通り黒い人が並んで歩いていた。


「……本当に、身体は大丈夫なのか」


 いつもと違うのは、やけに話し掛けてくる彼の態度だろうか。この質問、実はもう三度目である。大丈夫か? から始まり、体調は良いのか。気分はどうだ。と何回も確認してくるのだ。

 病み上がり、と言っていいのかどうか、起きたばかりなのに、まだ今日は時間があるから祈りの間に行くと言った私が悪……少しだけ悪いのは分かっている。しかし、大丈夫だと何度も言っているのにこの念の押しよう、ぶっちゃけ面倒臭くなってきた。


「もう大丈夫です。本当ですよ。二日続けて休むのはちょっとまずいかなと思っただけです」


 巫女への影響という意味で、と続ければ、彼らが何も言えなくなると知っている。


 黒い人、色白騎士、そしてエル。この三人が宰相補佐官の曲者捕獲作戦を、私を利用することまで承知していたかどうかはわからないし、聞く気もない。どちらにしても、私がネヴィに喋るかもしれないという可能性がある以上は――。

 自分自身さえ信頼できないなんて、いったい私にどうしろと? また苛々してきたという自覚もあり、私は足早に祈りの間へと向かった。





 その日の夕食時のこと。ネヴィは用事があるので来られないと黒い人から聞いていた。また一人か、と漠然と思っていたところに侍女頭が夕食を持ってきてくれたのだが。


 ――え、吐き気がするんじゃ……。


 彼女と共に入ってきた誰かの姿を見て、思わず口走りそうになった言葉を私は頑張って飲み込んだ。

 日中とは違って比較的地味な服を身に纏った男、宰相補佐官は、失礼しますよと断って勝手に私の向かい側に座る。その前に並べられる、十中八九彼の分だろう夕食。私のものと比べれば雀の涙のような量の、それ。


「今日は、貴女とご一緒させていただきます。……何ですかその顔」

「……シュルツさん。あの、大丈夫ですか?」

「…………」


 流石に無理をして今度は彼に倒れられても困る、と本心から出た言葉だったが、彼は暫く無言のままだった。そんな半眼で見つめられるようなことではないと思うのだが。


 食事が不味くなるといけないので話は後にしましょう、と言われてしまえば、食事に時間が掛かってしまう私は従うしかない。話をしてくれるつもりがあるのなら喜んで。不味くなるような話でも構わないというのだから、尚更。

(案外積極的――って、案外でもないのか)

 そういえば彼はネヴィへの疑惑を確かめるために、役人っぽい格好をしてまで自ら食堂まで足を運んだ男だ。こうと決めたのなら突き進むだけの強さはある。まあ結果がついてくるとは限らないが。


 ここまで迅速な行動を取るとなると、彼は余程、世界を「救って」ほしくないと見える。


 私はそこまで考えると、ひとまず目の前の料理に意識を集中させることにした。



 そうして普段の倍のスピードで食事を終え、侍女頭に下げてもらい、早速宰相補佐官と向き直る。私があまりにも何か聞きたそうな顔をしていたのか、彼は苦笑してどうぞお先にと身振りで示した。では遠慮なくと口を開いたものの、あまりにも聞きたいことがありすぎてまずどれを選ぶか迷ってしまう。


「それじゃあ……」


 どうしようと視線を彷徨わせていると寝台の下に落ちている一冊の本が目に入った。あの倉庫から持ち出したものだった。ネヴィが来ないというので時間潰しに何冊か読んでいたのだが、しまい損ねていたらしい。


「――藤堂、という名の夜の神子を知っていますか」


 倉庫という共通点からほぼ無意識に口をついて出た質問。最初は軽めのものをと思っていたから、そこまで深い意味はなかった。


「なぜ……その名を?」

「え?」

 宰相補佐官が息を呑み、ひどく驚いた様子で私を見ている。なぜ知っているのか、と。

「それは、――っそれは、災いを引き起こした神子の名です……!」


 災いを引き起こしたとされる夜の神子。召喚されてから泣くばかりで言うことを聞かず、暴力はおろか拷問まがいの仕打ちを受け、やがて追い詰められた神子は自ら命を絶ったという。


 左腕に大きな傷が刻まれ、赤く染まった祈りの間の泉に沈んだ、黒目黒髪の、――『少女』?

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