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薄闇の眠りを  作者: 吉舎街
第三章
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救済の定義

 世界を救え、ならばまだわかる。本音はどうあれ私を召喚したあの男も言ったことだ。

 部屋に篭っていなければ気が触れてしまう『夜』をどうにかしたいという気持ちだけは私にも理解できた。しかし、今宰相補佐官は「世界を救ってほしくない」と言った。救うな、と、夜の神子であるこの私に言ったのだ。


「……。もう少し具体的に、お願いします」


 意図がさっぱり読み取れなくて、いつかのやりとりを繰り返す。あの時とは心境がまるで違うので言葉も幾分穏やかなものである。どこまでも静かな空気が部屋に漂う。

 私のその要求に彼がしっかりと頷いたのを見て、私は事情説明の間ずっと立ったままだった彼へ座るように促した。謝罪はもういらない。これからは――純然たる取引の時間だ。お互い向かい合わせに座ると、まずは、と彼が口火を切った。




 夜の神子と光の巫女が持つ力の違いについてまずは言及しなければならない。神子は夜そのものを正常化し、巫女は夜の侵食から昼を守る。


 神子は祈りの間にておよそ十年の歳月を掛けて『祈り』を完成させる。『祈り』が完成すれば、その先五十年は夜の神子の力が世界を守ったという。

 一方光の巫女は、夜の侵食を食い止めるだけで夜そのものを抑える力はない。例えるなら、その命を以って夜と昼との間に壁を作るようなもの。その壁は時を経てやがて夜に侵食され……最後は破壊される。放っておけばやがて夜は昼を飲み込み、全てが闇に閉ざされる。


 つまり、今と違って、夜の神子が存在していた時代では夜に触れても人々が狂うことはなかった。


「おそらく貴女にとっては“当たり前”のことなのでしょう。異様なことだとお思いかもしれません」


 彼らが私の食事風景をぞっとしながら見るように、だろうか。信じられないというようなあの目で、私が、彼らを見たことはないとは言えなかった。

 日々夜が訪れる度に思ってしまうのだ。なぜ、彼らはこんなものを怖がっているのだろう、と。夜、誰もいない静かな通りを散歩できたらどんなに気持ちいいか。私が何の影響も受けないからこそ、思ってしまう。


「百年前――召喚を止めた時から、我々は夜を失いました。少しずつ夜の影響力が増すなか、二度と災いを繰り返さないためにと研究を重ね光の巫女という存在を作り出しましたが、……決して反対の声が無かったわけではないのです」


 それはそうだろうな、と私は内心頷きを返した。人は一度手にした便利さを手放すことはできない。まして自分が生まれる前からずっと続いてきたことを、容易に変えられはしないだろう。

 言葉では何とでも言える。だが実際変化を目の当たりにしたとき、果たして素直に受け入れられるかどうか。未曾有の災害とはいえ、一瞬にして全てが奪われたわけではないのだ。


「太陽を取り戻して――光の巫女という存在が世界に浸透しても、途絶えた国家間の交流は元には戻りませんでした。貿易はもちろん、人の行き来さえままならない。守護符を組み込んだ天幕を持ち歩かなければ日を跨ぐ移動もできません。

 今ではほんの一握りの商人だけが国境で活動することを許可されています。……特に、災いの原因を作ったこの国は未だ孤立していると言わざるを得ません」


 闇に覆われた三年間で傷ついた大地が、人が、完全に癒えるまでこの国は光の巫女を選出し続けるという。それは正確にいつまでなのだろう。夜の神子の召喚をやめた以上、『夜』が災いの起こる以前の状態に戻ることはない。……再び、過ちを繰り返さなければ。


「この国は、資源は豊富ですが加工技術は他国に頼っていました。職人を迎えようにも巫女を選出する国に人々は近づきたがらなかった。規制する前に国外へ逃げた人も居ます。人口は減る一方で、昔と比べて国力も落ちたことでしょう」


 どさくさに紛れて割と物騒なことを言っている自覚はあるのだろうか。宰相補佐官は一気にそこまで喋ると、視線をついと窓の外にやった。窓の向こうに広がるこの国の風景を見たのかもしれない。


「――ですが」

 彼は言う。

「私は、それでいいと思っています。これがこの世界のあるべき姿だと」

「……夜に怯えて暮らすことが?」


 彼の言葉を非難したつもりはない。ただ、純粋に疑問だったから尋ねた。声の調子からそれを読み取ったのだろう、彼はゆるりと笑みを刷いて、はっきりと頷いた。


「ええ、……『夜』が我々を脅かすことで、良いこともあったんです。国家間の交流は減りましたが、戦争が起こる可能性は無くなりました。夜の神子が居た時代は小競り合いなどがしょっちゅうあったそうですが、大勢が安全に移動する術がありませんし、また、守護符を使うしかない以上崩すのも容易い。今は戦う前に自滅するでしょう」


 黒い人が言っていたように、守護符が大量生産できないのだとしたらどうしたって貧弱な軍勢しか送り込めない。移動にもかなり時間がかかる。あまり戦争するメリットがない、という話だろうか。


「それに――今後光の巫女を擁立し続ける以上、彼女達に関する犯罪は必ず起こります。どれだけ防ごうとも。その点、人々が夜間に行動できない事実はありがたいことです。少なくとも夜に何か起こることは無くなるのですから」


 宰相補佐官は一度言葉を切り、顔を正面に戻した。彼が話す間じっと横顔を見つめていた私とばっちり目が合う。普段は黙っていればどこか冷徹な印象を与える彼は、その瞳にある種の熱を宿してこちらを見据えた。


「貴女ならそれを解決に導くことができるのでしょう。対外的にできるできないはこの際関係ありません」

「いえ、あの、正直今も自分が何やってるかいまいち分かっていないんですけど」

「そうですか? 現に貴女の祈りは巫女殿の力になっています。それを突き詰めていけば――恐らくは、と私は考えています」


 私の、あの意味不明な『祈り』とやらが世界を救う、と? どうにも疑わしい話である。今までも神子が同じことをしていたという記述はない。結局、藤堂日記に書かれていた祈りに関する内容は私の役には立たなかった。どう読んでも、藤堂兄と同じことをしているとは思えなかったからだ。


(違いがあるとすれば、光の巫女、の有無?)


 しかし否定できる証拠があるわけではないので私は特に反論しなかった。いずれ答えを出さなければならないとはいえ、今議論すべきことじゃない。


「ですから私は、貴女に世界を救ってほしくなどない。世界は、このまま続いていくべきだと思います。たとえ民が――『夜』に脅かされるとしても」


 真剣な彼の様子に絆された、なんてことはなかった。

 そもそも、私が望むのは「選定を正し」「帰る」ことだけ。世界を救うことなんかにまったく興味がなかった。あの男の態度のせいでそんなもん糞喰らえ、とまで思う。夜、安眠できないだろう彼らに同情しても、哀れに思っても、救ってあげようとは思わない。

(ていうか、この人……)

 良くも悪くも、宰相補佐官はこの国のことしか考えていないような気がする。この国の利益を守るにはどうすればいいかという観点から様々なことを決めているように見えた。


 世界を救えと言ったならどうしてくれよう、なんて頭の片隅で思っていたことを消し去り、私は努めてにっこりと笑う。


「いくつか条件があります」

「……。聞きましょう」

 彼の提案は、私にとって都合の悪いことではない。こちらの条件を呑んでくれるのならむしろありがたいくらいだ。

「私は――『帰りたい』。それが望みです。それが叶うようあなたが全面的に協力してくださるなら、いいですよ」


 情報提供、から始まる全てを。私のことをどこかでのたれ死んでいてくれればいいと言い切った彼にとって、割と悪くない話だと思う。帰還が叶えば、私は消えるのだから。彼が危惧することは永遠に起こらない。

 その意味を込めて見つめ返すと、宰相補佐官は数十秒にわたる沈黙の後、頷いた。……そう、頷いたのだ!


「承知しました。私の力の及ぶ限り、貴女の帰還に協力すると誓います」


 彼の中で、帰還への協力と世界への不干渉とは同じくらいの重さなのだろう。嫌々という様子は見られなかった。光の巫女の寿命を延ばす試みだけはやめないと改めて約束して、私達は――今、ここで手を結んだ。


「……? ラギ、条件はこれだけですか?」

「ああ、いえ。他は私の望みではないので。――――ネヴィ」


 起きてますよね、と私は背後の寝台に向かって声を掛ける。声を潜めていたとはいえ同じ室内でこれだけ喋っていれば流石に目を覚ますだろう、……と思った、と言えば嘘になる。


 私には少し前から彼女が覚醒していたことに気付いていた。説明できない、多分、本能の部分で。なぜか、なんてどうでもいいと思う。ただそういうものだと理解している。

(…………それは)

 ふと湧いた言葉を、私は胸底に押し込めた。


「おはようございます、ネヴィ」

「――、おはよう、ラギ。えっと……」

「あの事ですけど、シュルツさんにお願いしたらどうですか? 今なら何でも聞いてくれるそうですよ」

「はっ? あ、あのですね、何でもというわけでは――!」


 私は長椅子から立ち上がりネヴィのところへ歩く。彼女の望みは、彼女自身が口にするべきだと思った。

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