結局のところ、とどのつまり
私が長椅子に座り、宰相補佐官はその前に立っている。
先ほどまでいた寝台の上に眠りこけているネヴィを寝かせ、私達は少し距離を取る。話が長くなる予感があったからだ。こちらが言うまでもなく向こうも話をするつもりがあったようで、彼はすんなりと口を開いた。もちろん、彼女を起こさないように小声のやりとりで、だが。
「誤解なさらないでください。確かに、王が禁術に手を出したと知ったときには――その、どこかでのたれ死んでいてくれればと思っていたことは認めます。ですが! でもそれは保護を決める前までです! 貴女を保護すると言った言葉に嘘はありません。貴女の安全を重視して――」
「……そうなんですか?」
「誓って。と、いいますか、そもそも貴女に対してそう思っていたのは私だけです。アーク様も、ヘリオス様も、最初から保護することを決められていました」
『あいつがそれを望むとでも?』
宰相補佐官に黒い人が返した台詞が、それを表しているだろうか。彼の言葉をどこまで本気にしていいのかわからない。
だが、私を切り捨てることを望んでいたこの人は、今「死んでいてくれればと思っていた」とはっきり告げた。つまりそれは、神子の死そのものには災いを起こす力はないということ。放置して自害されても構わないということなのだから。
(じゃあきっと、箱の中身は“そういう”ことで間違いない)
抱えていた疑問にひとつの結論を出した私は、気まずそうに私から目を逸らしている宰相補佐官に更なる要求をぶつけてみる。
「それで、この騒動はどういうことなのか是非ともお聞きしたいんですけど」
「……。そう、ですね。それが筋でしょう。私の権限でお話しできるところまでですが」
何から何まで全てを知ったところで、どうせ私にとっては役に立たない情報の方が多いだろう。私が知りたいのはほんの一部分だけだ。自衛の術を持たないかよわい相手にそう対応する気持ちは理解できるので、私は食い下がることなく頷いた。
問題は、やはり国境を跨いで活動しているという組織の話だった。そいつらのせいで、光の巫女を狙う動きが国内にもまだ残っていて、騎士団も対処に苦慮しているようである。
そんな中、騎士団の中に内通者が入り込んだという情報が入った。選定が近いことを見込んでの長期間に亘る潜入らしく、中々尻尾を、確たる証拠を掴ませない。
それならばと国側から仕掛けることで内通者を炙り出そうとした。どのように、かは言えない。そうして見事仕掛けに引っ掛かり動きを見せた連中を、警備が一か所に集中する舞踏会を餌に、一気に釣り上げようとした。
「実際、『巫女候補』である貴女も狙われていたのです。光の巫女と違うのは、狙われているのは命ではなかったこと」
情報の洩れ方からして巫女の周辺にも裏切り者がいる、と判断。そして『巫女候補』は今までの連中の所業からして殺されず大して傷つけられず連れ去られる。だったら一度泳がせて拉致させ、仲間と合流したところを叩くと決めた。
「部屋に入った二人の内一人はこちらの間者です。貴女に傷をつけるような素振りがあれば即座に殺すよう言い含めてありました」
背後にいるのはかなり大きな組織で、足がつかないよう実行犯はほぼ全てが雇われ者。別件で国の間者があらかじめ潜り込んでいた小さな組織に依頼があったため、共に「潜伏」できた、だそうだが。
(まあ、酷いよね。超酷いよね)
私は不満を顔に出さないよう気を付けながら、今回の戦略とやらを話す宰相補佐官を見つめる。即座に殺すよう言い含めてありました。で、だから? なに? 何が私の安全を重視しているだ、普通に思いっ切り私を囮にしているじゃないか。
ああ、私の安全を最重要視しているわけではない、ってこと? そりゃあどうもすみませんでした!
「じゃあ、どうして何も言ってくれなかったんですか? 事前に言っていてくれれば心の準備も――」
「貴女が、巫女殿に喋るかもしれないと思ったからです」
「…………」
危険な内通者がいるから、これこれこういう作戦を取ると言われたそのままをネヴィに喋る? そんなばかな、と私はすぐに否定できなかった。喋るべきではないことの区別がつかないからではない。
彼女にどうしてか心身ともに依存している現状において、何があっても言わないと断言できる自信がどこにもなかったからだ。
「ああ……。泣かれたら正直、自信ないです」
「……巫女殿に伝われば、巫女殿の周辺に潜り込んでいるだろう内通者に警戒される恐れがありました。貴女の安全を確保すること優先して行動したつもりでしたが、このようなことになってしまい――」
話題がループするので、私は片手を挙げて彼の謝罪を止める。結果論だし、わだかまりが全くないと言えば嘘になるが、可能性の話としてひとまず納得した。ネヴィとの意味不明な関係性を知る前ならば盛大に文句を言っただろうが今は黙ることにする。
それに、と私はどこか冷めた気持ちで一度目を閉じた。裏切られた、とは思わない。ネヴィとのことを除けば何事もなく終わったからこそこうして冷静にいられるのだとわかっていても。
私は多分、最初から、口で何と言っていても、彼らのことを信じてなどいなかった。
落胆や失望の代わりに私が感じているのは、ほの昏い――喜び。
(これで、話がしやすくなった)
明確な、負い目。上司のでも部下のでもない彼個人のもの。彼が何に罪悪感を抱いているかは問題じゃない。別にこの国に不利益を働こうなんてつもりはないのだ。少し腹を割って話すくらいなら、彼にも出来るだろう。
時間を置いてしまってはお互い冷静さを取り戻してしまう。今のこの空気のまま、ある程度を終わらせてしまおうと私は決意した。
「ネヴィから、何か聞きましたか?」
「巫女殿は……その、ひどく錯乱している様子でした。突然、貴女が居ない、と言い出して」
舞踏会が終盤に差し掛かってから、ひどく落ち着かない様子で何かを気にしていた。尋ねても体調が悪いわけではないらしい。あまり警備から離すわけにもいかず困り果てていると、いきなり「ラギがいない」としきりに訴え始めたのだという。
何が起こっているか重々承知していた周囲は何とか宥めようとしたのだが、彼女はやがて悲鳴を上げると、ラギのところへ行くと言って聞かなかったらしい。
「泣きながら、絶対に行く、と。行かせてくれないならもう巫女なんか辞める、とまで言われてしまって……」
「ちょ、巫女辞めるって、死ぬじゃないですか!」
「ですから連れて行くしかなかったんですよ! 倒れた貴女を見てまた泣いてしまうし、もう大変だったんです」
護衛対象に動かれては計画も何もあったものじゃない。疲れたように言う彼に対して、自業自得だ馬鹿めざまあみろ、と思う私は相当性格が悪いのだろう。
それにしても、私がネヴィと離れても、ネヴィは特に体調が悪くなるということはないのか。いやそれよりも、いったいいつからこんな風になったのかが疑問である。召喚されてからしばらく私は城にいた。ネヴィは変わらずあの食堂で働いていた筈だ。
その距離――あの頃、私は食事が足りないだけで特にそういう症状はなかったと記憶している。これが夜の神子と光の巫女との関係性だとして、もしかして同じ敷地内に光の巫女、つまりネヴィの姉がいたから大丈夫だったのだろうか。……全然わからない。
「つまりは『みこ』同士、何らかの繋がりがあるということでしょうか。興味深いです」
それは私も同感だが、こればかりはネヴィも交えて話さないと駄目だ。私達だけでどうこう考えても仕方がない。今は、本題に入ろう。
「シュルツ、……さん」
空気を変えるように、ほんの少しだけ声を張る。彼の名前を呼んだのは初めてだった。言いにくいな、と頭の隅で思う。
「私に何か、望むことはありますか」
それは、宰相補佐官と相対した夜の神子の祈りの間で投げかけた質問と同じもの。
今回の騒動で何かしら罪悪感を覚えているのなら。私の祈りとやらが、ネヴィの命を救うだろうことに価値を見出したのなら。あの日とはお互い置かれた状況が違う。それなら――違う答えが返ってくる。そう、私は確信に満ちていた。
「…………」
宰相補佐官は私の言葉を受けて少し目を見開いたようだった。驚きが過ぎ去ると、しばらく無言でこちらを注視している。私はこの機を逃すまいと真正面からその視線を受け止めた。
ゆうに数分は経ったと思う。彼は長い逡巡の後、貴女に、と言った。
「貴女に、――この世界を救ってほしくないのです」
静かな声音で落とされたそれは、それゆえに、ひどく真剣な響きを持っていた。