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薄闇の眠りを  作者: 吉舎街
第三章
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奇妙な逃避行、そして

(……何コレ)


 骨付き肉に噛りつき、苛立ち紛れに咀嚼しながら私は内心吐き捨てた。

 目の前の机にはきっちりと私が「満足できる」量の料理が並べられている。普段通りの、ネヴィが用事で来ないときの寂しい夕食の光景そのものだ。唯一違いがあるとすれば、ここは私の部屋ではなく、城下町のひとつ向こうの町にある民家の一室だということだろうか。


 この食事は、部屋に踏み込んできた無礼な連中の片割れが用意したものである。差し入れの籠を持っていなかった方の騎士。彼は私にこれらを与えると、また来ますと言い残して部屋を出て行った。


(いや、ほんと、……何コレ?)


 私は特に拘束されていない。そして――ぶっちゃけると、脅迫されてもいなかった。剣をちらつかせるような素振りを見せたのはあの部屋から連れ出されるまでだった。男二人に挟まれる形で誰もいない廊下を歩き外へ出て、裏庭らしきところで馬車に乗せられ、今に至る。

 主に私を強く見張っていた籠を持って来た方の男は、いつの間にか姿を消していた。


 この町に着いたころには既に日が傾き始めていた。だから私を拉致――拉致というほど乱暴ではなかったが――した連中が足を止めたのも理解はできる。できるが、夜の間は屋内にいなければならないというお約束事を守っていると、どうも緊張感が失せるのだ。

 人を攫っておいて夜は休憩とか、笑っている場合ではないのに笑えてくる。縛られもせず脅されもせず食事が十分与えられているこの状態で、気を抜くなという方が難しい。城の中では、まさかこういう展開になるとは夢にも思っていなかったけれども。


『――候補殿、こちらへ』


 私は、彼らの剣が怖かった。フラグ美形男にほとんど何も思わなかったから、そういう恐怖心が少しはマシになったかと思っていたところにこれである。あの男と違って彼らは声を荒げはしなかったが、その分強まる無言の圧力に手は震えるわ呼吸は浅くなるわでろくろく抵抗できず、嫌な予感に襲われつつ従う他はなかった。


 妙だ、と思い始めたのは馬車に押し込まれてから。確信したのは、この町に着いて騎士の片割れとふたりきりになったとき。

(…………わざと?)

 私はこの髪と目の色のせいで理不尽な人の悪意に触れたことがある。そして最近は毎日、騎士に見張られつつ守られる生活を送っている。もう一人は判断がつかないが、今同じ建物に居る騎士の片割れはどちらかといえば後者に近い感じがした。

 食事の量を知っているからといってそれが即私が夜の神子だと知っていることにはならないけれど。何とも言えない、もやもやとした気持ちが消えないまま少しずつ大きくなっているのがわかる。だから早めの夕食をかっ食らってなんとか落ち着こうとしているところだ。


 ネヴィのこともあって、毒を盛られた可能性を思わなかったわけじゃない。食欲に負け――いや、殺すなら既にそうしているだろうし、若白髪と秘密箱の中身から、私という人間にはこの世界の毒が効き辛いのではという考えもあった。


「ああ、もう、人のことを何だと……!」


 首謀者が誰かわかった暁には――。私は水を豪快に呷り、口の中のものを全て胃に流し込んだ。




 ――もう暫くお待ちください。明日、お迎えにあがります。


 夕食を片付けに現れた騎士は、私が何かを言う前にそう言ってこちらを牽制した。説明する気は一切ないという意思表示だろうか。ほぼ初対面の人間にずけずけと物を言えるのは、こちらに有利な何かを持っているときだけだ。宰相補佐官や騎士団長に対してそうしたような態度を取れず、私は大人しく黙り込む。

 今日はもうここに泊まれということなのだろう。私なら、夜、皆が寝静まった後に抜け出せるかもしれないが――動くべきかどうか、わからない。この騎士の片割れが私に危害を加えるつもりがなさそうだからといっても、私の味方とは限らないのに。


(……私の行動で事態が悪化しても困る、けど)


 全て説明がないのが悪いと私は思う。協力してほしいと言われたなら、それが必要なら、頷いたかもしれないのに。とはいえ急なことがありすぎて正直なところ疲れていた。かなり早めに夕食をとったせいかもう眠気がきつい。襲いくる睡魔に耐えられず、重い身体を引き摺って寝台に横たわり、私は気絶するように眠りに落ちた。







 異変が起こったのは、次の日の朝だった。

 寝苦しさに目を覚ました私は、まず自分が今どこにいるのか理解するのに数分を要した。次になぜここに居るのか思い出すのに数分。自分を取り巻く状況を正確に把握するまで、更に数分。


 窓掛けの向こうはすっかり明るくなっていて、日が昇ってから随分と時間が経っているようだった。私はぼんやりとした頭を抱えたまま、いつの間にか枕元に置かれている水差しを取ろうとして――――そのまま、がくりと床に崩れ落ちた。

(……え?)

 足に力が入らない。全身がだるい。眩暈が、する。……怖い。

(怖い?)

 己の思考を、驚きをもって繰り返す。怖い。ひどく、怖い。その感情は、私が城で、近づいてくる足音に思ったものと同じもの。


 あの時、近づいてくる誰かが“知らない”人だから、それをどこかで感じ取ったから自分が怖がっているのだと思っていた。夕食をとる間も消えずむしろ増大していった胸中のもやもやは、この訳のわからない茶番に放り込んだ誰かに苛立っているからだと思っていた。

 でも今ならはっきりとわかる。私はあの見知らぬ連中が怖かったのではない。この状況に苛立っているのは事実だが、この感情はそこから来るものではない。


(なんか、まずい。ものすごく、なんかまずい気がする)


 ふらつく身体を支えきれずに、私はどさりと音を立ててその場に倒れた。両手が変なくらいに震えている。毒? 違う。私はもうこの感覚を知っている。一度経験しているのだ、答えはもう私の中にある、けれど。

(でも、やっぱり、おかしい……!)

 答えが形になる前に、凄まじい吐き気が私を襲った。口元を押さえて蹲るもまったく楽にならない。恥も外聞もなくのた打ち回りそうになっていたところで――大きな音と共に扉が開かれた。


「――、――――! ――――!?」


 霞む視界の中、例の騎士の片割れがひどく驚いた様子でこちらに駆け寄ってくるのが見えた。何かを言っているのに聞き取れない。応えて声を出そうと腹に力を入れると胃の中身が飛び出しそうになったのでやめる。恐らくはほとんど胃液だけだろうけれども、嘔吐するのは勘弁である。あれは無駄に体力を使うので避けたい。

(う、いま、あんまり背中触らないでほしい、つかほんと頭痛い)

 どこもかしこも力が入らないので彼のなすがまま、気遣わしげに抱き起され介抱される。発熱していないかどうかの確認だろう、首筋に手を当てられてぞわっとした。


「――――、――? ――――」

(…………? ちょ、っと、待って――)

「――――。――――、――――――」


 嘘。私は一瞬、痛みを忘れて呆然と目を見開いた。矢継ぎ早に掛けられる言葉は、確かに耳から入ってくる。音として認識できている。耳が聞こえなくなったわけじゃない。

 それなのに私は、彼が“何を言っているのか”“理解できない”。今まで、この世界の文字が読み書きできなくても、聞く分、喋る分にはまったく問題なかったはずなのに。


 それを自覚した瞬間、私は、ざっと全身から血の気が引くのを感じた。もし私に暴れる体力が残されているのなら、心配そうな表情を浮かべこちらを覗き込む騎士の片割れを間違いなく突き飛ばしたことだろう。――気持ちが悪い。私と、この世界の人間とは違うイキモノなのだと今更ながらに強く思った。

 言葉が通じないだけなら外国の人、で済む。でも今胸の奥底から湧き上がるこの、嫌悪感は――。


(ちがう、違う、違うちがう、違う、私は)


 弱り切った身体に鞭打って、男の腕の中から抜け出す。傍にあった寝台に縋り付くように身を伏せれば、お優しい騎士は何事かを言って立ち上がった。歩く方向から見て、水差しを取りに行ったようだった。私は何も見なくて済むようにぎゅっと目を瞑り、息を吐く。苦しさはまったく変わらないが、思考するだけの余裕はなんとか取り戻した。

(この感じ、は、多分、ネヴィが城に行った後の……)

 もちろん身体に掛かる負担がその時の比ではない、という事実は今は脇に置いておくとしても。私は浅い呼吸を繰り返しながら、今、すっかり周囲の空気が変わっていることに気付いていた。騎士の片割れがどうとかそういう話じゃない。


 城から離れて、城下町を越えて、違う町に来てやっとわかった。いや、再び、“我に返った”と言うべきなのかもしれない。


(――――『帰りたい』)


 遠くで誰かが泣いている。その泣き声が届かないよう、私は強く耳を塞いだ。

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