舞踏会?いえ、私は篭ります
窓の外から燦々と太陽の光が降り注いでいる。鳥達の鳴き声に合わせるように緑豊かな木々が揺れ、爽やかな風が通り抜けた。耳を澄ませば、どこからか僅かに音楽が聞こえてくる。
(いやー、真っ昼間から舞踏会とか)
食事が出るならまだしも、酒しか振る舞われないパーティーをこの太陽の下で? まったく情緒が感じられない。言葉にするだけで興醒めである。せめて夕方からすればいいのにと思えば、この世界の事情が許さないのだと何とも言えない気持ちになった。
私は昨日、夕食の前からこの部屋に移っていた。朝になってからでは人目があるとのこと、はいはい軟禁ですねと大人しく黒い人に連れられて来た――のは、私も納得済みの話。ただ、ご機嫌取りなのか何なのか、夕食も朝食も一品デザートが増えていたのが少々気になる。子供扱いされているようにしか思えないのだが。
(……それにしても、ネヴィ、綺麗だったなあ。磨けば光るってああいうのを言うんだよね)
結局夕食の時に彼女に会うことはできなかった。その代わりなのかどうか、今朝ネヴィがおめかししてこの部屋に来たのだ。そのまま舞踏会に出るのだろう、化粧も、華やかなドレスも、全てが彼女の美しさを引き立てていた。光の巫女という神聖さはさほど感じなかったものの、お偉方の集まる舞踏会なら丁度いいのかもしれない。
とにかく、見慣れている筈のネヴィの姿に一瞬見蕩れたのは事実だった。隣に――フラグ美形男を引き連れてさえいなければもっと良かったのに。
外から届いた彼女の声を受けて私が扉を開け、その後ろに居た男を視界に入れた瞬間、思わずドアノブに掛かった右手にぐっと力が籠もってしまったのは不可抗力である。流石に締め出すのだけは何とか堪えたが。笑顔で誤魔化しつつ二人を部屋に招き入れ、ネヴィを「頑張ってください」と激励したり「よく似合ってますよ」と褒めたりすること暫し。
そうそう、ネヴィがフラグ美形男そっちのけで私に話しかけるものだから、所在なさ気に少し憮然としていたのには笑えた。いつまでも話を止めない彼女にそろそろ時間だと告げる為に、わざとらしい咳払いをしたのもかなり笑えた。
(剣持ってたけど、そこまで怖くはなかった、かな)
むしろ影が薄いとさえ思ったくらいだった。まあ、無駄に緊張しなくて済んだのは精神衛生上良い傾向に違いない。
二人を見送って、またひとりになって。黒い人は舞踏会に出ずっぱり、エルや色白騎士もどうやら忙しい様子で、差し入れもあるからなるべく顔を見せるが、あまりこちらには来られないというようなことを言っていた。騎士団長は言わずもがな。
となると、私の事情を正しく知る騎士はいなくなる。だから現状私はこの部屋にひとりきり、扉の前に騎士はいない。ただここへ通じる道には必ず警備を配置すると黒い人が言っていたので、私が勝手に出ない限りは問題ないのだろう。
舞踏会が終わっても色々と片付けがあるらしく、今日一日はここに缶詰にされるのが目に見えている。有り余る時間、正直に言うと倉庫からいくつか本を持ち出したかったのだが、ここはいつもの区画とは違う。ないとは思うけれども、万が一見知らぬ誰かに入ってこられても誤魔化せるように、それらは泣く泣く部屋に置いてきた。仕方がないので、私は孤独に文字の勉強に勤しんでいる。
そうしてどれくらいの時間が経ったろうか。時計がないので太陽の位置でおおよその時間を判断するしかないが、――落ち着かない。私は集中力が維持できなくてペンを置いた。
自分の部屋、つまり国側に与えられたあの場所にも、愛着というものは湧くらしい。知らない調度品、知らない匂い、窓から見える知らない景色。そのどれもが私を落ち着かなくさせた。舞踏会に出たかったかと問われれば即座に否定を返すだろう。しかし、この軟禁が、ここまで退屈なものだとは思っていなかった。
(あー、……。差し入れまだかな)
何か食べて気を紛らわせたい。それが無理なら、いっそ寝てしまおうか。
部屋も、部屋の外もすっかり静まり返っていて余計焦れた思いがつのる。もちろん外に出ようとは塵ほども思っていない。だからこその苛立ちだった。私は部屋の中を暫く熊のようにうろつき回り、ふと何やってるんだろうと我に返って長椅子に深く腰を下ろした。
脳裏を過ぎるのはやはり、夜の神子のことである。若白髪の解析が正しいという前提で考えた場合、あの粉末を使って、私の世界の人間が命を落としたのは疑いようのない話だ。それも一人や二人ではなく、何人も――あるいはもっと多くの人が、その「選択肢」に手を伸ばした。
彼らが全て夜の神子だとすれば、神子の自殺が災いを引き起こしたというこの世界に広がっている常識が根底から覆されることになる。――夜の神子が自殺しても、必ずしも災いが起こるとは限らない。
(宰相補佐官は、それを知っていた?)
そう決め付けてしまうのは危険だが、可能性は高い。彼の態度はどうも怪しいと思ってしまう。しかし、しかしながら、宰相補佐官が明確に私の敵であると思えないのも本当の気持ちだった。
(話し合う――ための、材料がもっとあればいいのに)
果たしてあの倉庫の中に、秘密箱以上の何かがあるだろうか? 藤堂日記を除く数々の日記の中身を考えると、処分されたか、処分されていなければ他の倉庫があるのではと疑いを持ってしまう。
それを忌憚なく聞けるほどの関係性はない。出会いから今までのやり取りを思い返しても、決して友好的ではない会話が多く、彼との仲が良好だとは口が裂けても言えなかった。
と、そこまで考えたときだった。長椅子の背に体重を掛けだらしなく寛いでいた私は、ふと微かな音を耳にして身体を起こした。……誰かの足音がする。それも複数。
エルと色白騎士が差し入れに来たのだろうかと思い、その近づいてくる足音にじっと耳を澄ませる。私は足音の違いを聞き分けられるような繊細な耳など持ち合わせていなかった。まして、あの二人とは片手で数えられるくらいしか行動を共にしていない。
だから、これは、何か別の――理屈ではない、本能の部分が警鐘を鳴らしているのだ。違う、と。
「――――」
長椅子から立ち上がり、机のあたりまで後退する。自分でも何を恐れているのかわからなかった。ここへ至る道は騎士達に守られている。それを越えてくるということは、誰でも“それを許された者”だというのに、どうしてここまで警戒しているのだろう。
扉から視線を外せないまま、服の下に隠し持った懐刀の在り処を手で探る。その固い感触にほっと息が漏れた。足音はこの部屋へとどんどん近づいてくる。迷いのない足取り。出来ればそのまま通り過ぎて欲しいという願いは、空しくも叶うことはなかった。
「――失礼いたします」
扉を叩く音に私が返事をする前に、その男達は現れた。非常に残念なことに、この部屋もはたまた自分の部屋も鍵は掛からない構造になっている。私にとっては夜がある意味安全なこの世界では、倉庫など本当に重要なところ以外備え付けられていないのかもしれない。
ともかく、入室の許可を出していないのに部屋に踏み込まれたことに、より一層私の警戒心は高まった。本来なら今すぐ悲鳴を上げるべきだったのだろうが、私はその言葉だけは丁寧な無礼な連中に見覚えがあったので思わず口を噤んでしまった。
(ネヴィの、……護衛騎士?)
彼女の朝食に毒が盛られた日、襲撃で傷を負った騎士の代わりに護衛としてやってきたあの、見知らぬ連中だ。彼らがこの部屋に――というか私にいったい何の用があってやって来たのか。
かなり不審そうな顔をしていたのだろう、二人のうち一人が手に持っていた籠をずいと私に差し出した。
「差し入れのお茶菓子をお持ちしました。どうぞ」
「え、あ、それはどうもありがとうございます……」
反射的に受け取り、私はその小さな籠の中に視線を落とす。中にはマフィンらしき焼き菓子と飴とが入っていた。確かに立派な差し入れと言えるだろう。――この世界の人間に対してのものならば。
何この量、と私は笑顔を保ったまま、慎ましやかな量の差し入れとやらを見た。そもそも「差し入れ」は、エルと色白騎士が持ってくるという約束だった筈。私の難しい立場を理解している彼らがその役目を他人に任せたりするだろうか。
仮に、どうしようもない事情があってこの連中に頼んだとしても、エル達の用意したものがそのちっぽけな量であるわけがない。
(どうしよう! どうするべき?)
完全に動くタイミングを逸した。彼らはもれなく帯剣している。目的がわからない以上、下手に動いて刺激したくはない。まったく出て行く様子を見せない二人の騎士を視界の端に捉えながら静かに深呼吸をひとつ。私は机に籠を置き、今気付いたように装って目を見開いてみせる。
「騎士さま、どうなさいました? 他にも何か?」
「――『巫女候補殿』」
この二人が“それ”を知らないかもしれないと思ったのは間違いだったのか。
「我々と共にお越しください」
「どうか、抵抗はなさりませぬよう――」
彼らが腰の剣に手をかけた音に、ぐらりと眩暈がした。




