巫女の祈り、神子の祈り
ある程度権力を持っていて、尚且つ比較的自由に動くことのできる誰か。
私のこの世界での人間関係はあまりに狭い。色々考えるまでもなくとある人物が候補に挙がったが、彼は今私の個人的な理由で遠慮したいところである。若白髪からの報告を待って、その結果如何によって私の取るべき行動が決まるからだ。
……いや、その行動の結果もまた、彼を引き摺り込んでいいかどうかを判断する材料になる、か? 彼の真意を確かめて、それが納得できるものであるなら、私は――――。
(ただ待つだけじゃなくて、自分でも情報を集めないと)
夕食後のネヴィとの話し合いで私達は結論を出さなかった。事が事だけにきちんと吟味するべき、彼らの事を知らなさすぎるから決めるのはまだ早いと私が主張し、彼女は頷いた。特に不満があるようには見えなかった。しかし、当事者である彼女は私以上に焦っていると見るべきだろう。
私個人の都合で振り回している後ろめたさもあり、出来るだけ早く答えを出すという約束をしたところで侍女頭が訪れ、時間切れとなったのが、昨日の話。
あの宰相補佐官を黙らせ、口を割らせる証拠を何としてでも見つけてやる――。
朝昼と何事もなく過ぎ去り場所は倉庫の中、ネヴィの話でよりいっそう捜索に励もうと意気込み腕まくりをした私に、普段はまったく口を開かない黒い人が珍しく声を掛けてきたと思えば。
「――舞踏会、ですか?」
「ああ」
「舞踏会ってあの、豪華な服を着て、飲んだり踊ったり……たまに食べたりする集まりのこと、でいいですか?」
「ああ、……いや、今回出されるのは酒だけだ。巫女の披露を兼ねている」
数日後に舞踏会とやらが催されると彼は言う。光の巫女のお披露目は一度やった筈だろうと思い、すぐ、お偉方向けかと腑に落ちた。
華美だが重苦しい衣装で着飾らされた挙句、衆目を集めつつ見知らぬ他人に笑顔で対応して、あるいは踊って? とまあ、考えるだに恐ろしい苦行である。光の巫女が存在する以前の夜の神子もやっていたかもしれないと、彼女に同情しつつも私は内心げんなりした。
「……出たいか?」
「いえ、そんな趣味はないです」
考え事をしている最中の質問だったので、その心中渦巻く感情がそのまま出た。
「あ、っその、私のところではそういう文化はないので、あまり縁がないというか正直興味が持てないというか」
美味しい軽食が出る立食パーティーですらないのならむしろどうでもいい。最後の本音は胸底に押し込めて、今の失言を打ち消すように言葉を重ねる。ネヴィがいわば見世物になるだろうことが嫌なのであって、舞踏会そのものを貶したつもりは毛頭ないのだ。たとえそう聞こえたのだとしても。
黒い人は必死にフォローする私の様子を暫く無言で眺めていたが、やがて軽く溜息を吐くと「それならいい」と私に一言告げて、舞踏会の話を続けた。
「連日の事件のせいで警備を強化せざるを得なくなった。舞踏会が開かれる大広間に人員を多く割くことになるだろう。そうなると、どうしても“東側”が手薄になる」
東側――私が生活拠点を置いている場所。与えられた部屋も、祈りの間も、そちら側にある。
「移動しろ、と?」
「……窮屈な思いをさせる」
つまりそれは、私を軟禁するという宣言に他ならない。とはいえ話の流れを聞いていれば別に反発する気持ちは起こらなかった。筋は通っている。理不尽な部分などない。
昨日、この件に関して私は大人しく守られるくらいが関の山だと思ったばかりだ。光の巫女から離れて部屋にひとり閉じ篭るか、光の巫女の近くで騎士達に守られるか、どちらが安全なのか素人の私には判断がつかなかった。第一、敵――襲撃者の目的が何なのかをはっきりと正確に知っているわけでもない。
「もちろん舞踏会の間だけですよね? なし崩しに監禁とか」
「するわけがないだろう。誓って――」
「じゃあいいです。わかりました。そちらの指示に従います」
ああ、美味しいものを差し入れてもらえると大変嬉しいですけど? にっこりと笑いつつ、お願いとも集りともとれる態度で報酬を要求することも忘れない。冗談交じりの言葉を紡いで、私は、彼の誓いを強引に遮ったことを誤魔化した。
――――聞きたくない、と思うのは、私があの日記に毒されているからだろうか。
用件が終われば黒い人はまた寡黙な見張りに戻った。私も限られた時間を有効に使おうと倉庫の中に向き直る。出鼻を挫かれた形になるが、まあいい。今日はあっちの山を探そうと奥に歩いて行きながら、ふと、私が舞踏会に出たいと言ったらどうする気だったのかと疑問に思った。
警備のことを考えるなら軟禁一択だろうにわざわざ聞くなんて。普通なら最初から出すつもりはなくてただ聞いただけかもしれないと思うだろう。しかし、ほぼ毎日顔を合わせていると彼の大体の性格は把握できる。そういう無駄な行為をするようには見えない。まさか私に気を遣ったなんてことは……。
(別に、どうでもいいけど――)
勉強会の後は倉庫と祈りの間のとの往復を繰り返すだけの私が哀れになっただけか。私と違って、ネヴィは光の巫女としての責務の合間に城下町へ繰り出すこともあるらしい。よく土産と称してお菓子を貰うのは密かな楽しみである。自分で買いに行こうとは思わないだけで。
忙しくて暇がないから。やるべきことは山ほどあるのに成果が出ないから。言い訳はいくらでも出てくる。今は外へ出ようとは思わない。
(――苛々、する)
詮無きことだと私は頭を軽く振って、今日の分の捜索に取り掛かった。
泉の前に跪きそっと指先を水に浸す。瞬時に視界が闇に染まるが、もうこのぞわぞわする感触にも慣れた。侵食が終わってから顔を上げると、初日とはまったく違った光景が私を出迎える。視界は数メートル先まではっきりと見え、欠片を集める作業がとてもし易くなった。
私にとってはそれが『祈り』なのだが、ネヴィにとっては違うようだ。彼女は本当に、純粋に、ただ祈る。世界の平穏を。安定を。すると祈りに応えるように身体からごっそりと体力が奪われるのだという。男神像に吸い込まれるような感じがすると言っていた。
「やっぱり、増えてる……」
深い闇の中、視認できる範囲が昨日より広がっているのをしっかり確認して私は内心首を傾げた。昨日も、一昨日より増加していた。もしこれで今日も欠片の数が増えているなら、無作為ではない、あの日だけが異常だったということになる。あの日、だけ。
(変わったことといえば、……ネヴィのところに襲撃があったってことだけど)
それも祈りの間への襲撃だ――もしかしてあの時、彼女が祈っていたとしたら? 私の祈りと彼女の祈りが直接繋がっていると考えられはしないだろうか。
私は、夜の神子の『祈り』の仕組みが気になって仕方がなかった。黒い欠片を集めるという行為が一体何を意味しているのか、知りたい。それを知れば、あるいは、夜の神子の存在が光の巫女の寿命を延ばすという明確な根拠を見つけられるかもしれないからだ。
とりあえず今日は欠片を数えてさっさと終わらせよう。私は比較的明るくなった視界に欠片が入るまで適当にその空間を歩きながら、先程倉庫の奥の奥から引き摺り出したある日記のことを思う。
今日のノルマと決めたところで、藤堂日記その二と名付けるべきか、例の呪いの日記と同じタイプのものがもう一冊見つかったのである。同じ筆跡だったかどうかまでは覚えていないが、藤堂という手書きの文字もあった。
どうか呪詛を書き殴ったものではありませんようにと祈りつつ、中身を見て情けない悲鳴を上げたくはないので倉庫では開かず、他のものと共に持ち出している。
何日も倉庫を探したが、あの中にある日記で不穏なことを書いているのは藤堂さんとやらのものだけだ。後は――読んでいるこっちが頭痛を感じるほどのリア充っぷりに満ちていて、むしろ違和感すら覚えた。
(まさか……処分されている、とか?)
なくはないなというのが私の感想だった。男性が書いた、幸せな結末が描かれているものしか見つからないのはやはりおかしい。妙な粉末が入った秘密箱を見つけてしまったこともその疑念に拍車を掛けた。
問題は、それを行ったかもしれない誰かはもう生きていないだろうということ。国側の誰かに質問したところで、そんな昔のことを言われても、と困らせるのが目に見えている。ある程度私の中で形になるまでは自分で探り探りしていくしかない。
(少なくとも、今回のは中身が普通でありますように……!)
歩いた先に床に散らばる黒い欠片を見つけ、拾い集めその数を数えながら私は切に願った。
――ちなみに、欠片の数は通常通り一枚増えていたことを記録しておく。