投了一歩手前
とりあえずは、取引成立と言っていいだろう。その頭痛薬や胃薬が具体的にどういう症状に効くのか、箱の裏に書いてある効能をいちいち読み上げる羽目になったのはまあ、許容範囲である。
しかし若白髪が私にはまったく理解できない文章を熱心に書き留めるのを見て、本当に私はまだ簡単なものしか読み書きできないのだと痛感させられた。多少出来るようになったからといって喜んでいた私が馬鹿に思えるほど。
(……何してるんだろう、私)
自覚、というほど深刻ではないと思いたいが。私は宰相閣下の指導のもと今日の分の課題を片付けながら、身体の内側から焦りがじわりと滲むのを漠然と感じていた。
光の巫女を狙った襲撃に関して、私が出来ることなどほとんどない。ネヴィと行動を共にする機会が増えれば『巫女候補』であるこちらに飛び火するとしても、精々外出を控えて大人しく守られるくらいか。ネヴィはどうか知らないが、それだと今までの生活と何も変わらない。
ああ、毎朝の習慣がひとつ増えたことだけは忘れないようにしないと。
「いいえネヴィ、ここが違いますよ」
「は、はい!」
朝食に時間が掛かったせいで普段より遅く始まった勉強会。
先ほどから宰相閣下はネヴィにつきっきりで私のことは意識の外にあるようだ。どうも今日の授業は彼女の苦手としているところにぶち当たったらしく、彼が懇切丁寧に説明する声とそれに応える彼女の気合の入った声だけが部屋に響いていた。そのやりとりは当分終わらないだろうと早々に見切りをつけ、私は今日のノルマを少し脇にどけて、違う紙を一枚用意した。
――宰相補佐官と話をしなければならない。
その思いは今朝の出来事で更に強くなった。恐らく私とネヴィを一箇所に集めることで護衛と食事の監視をし易くしたのだろうが、それは同時に、私の周囲の安全性を脅かすことにも繋がる。ネヴィを取り巻く危険の中に、私を“巻き込んだ”のだから。
(もう決定的、これ以上は無理! 絶対、ありとあらゆる手を使って吐かせてやる……!)
その為の第一段階はクリアした。箱の中身が解明されてそれが証拠になるなら御の字。あの怪しい粉末のことは若白髪に任せて、私は次の手を考えなければならない。
やはりあの倉庫が怪しい、と思いを巡らせながら私は万年筆に似たペンの先をインク壺につけた。別にゆっくりしていたつもりはないが、今後はもっと気を引き締めて探そう。最初に見つけたもの以外幸せな結末しか描かれていない日記よりも、物を重点的に見ていった方がいいのかもしれない。
それから、と、私は手元の新しい紙に「選定について」と日本語で書き記した。
色々あって環境に慣れるのに必死だったと言い訳はできる。ただ、やらなければならないことが山積みだというのも紛れもない事実だ。
ネヴィが襲われ、且つ毒まで盛られたとあってはもうのんびりしている暇はない。『選定』を『正す』のに協力すると宣言したのなら、言葉通りそれに向けても動かなければ、一人で調べているネヴィに顔向けできなくなる。
(ええと、選定の条件はなんだっけ)
まずは、ネヴィとネヴィの姉から聞いた話と、宰相閣下の授業で習ったことをあわせて整理してみることにした。
ひとつ。光の巫女は、金髪に翠色の目を持つ。夜の神子を追い詰めた国王の色とされている。
ひとつ。光の巫女は、女性である。男性だった例はない。
ひとつ。光の巫女は、十歳以上三十歳未満である。年齢の数え方は私の世界とほぼ変わらず、季節が一巡りするのを「ひとつ」とする。
ひとつ。光の巫女は、少なくとも三期以上務めることができる者をいう。一期とは半年のこと。
(これくらい、か。あとはネヴィが『選定』がおかしいと思った理由は……)
ひとつ。『選定』が幼いネヴィに反応したこと。彼女は当時五歳にも満たなかったのでそもそも条件に合わない。
ひとつ。『選定』にもれたはずのネヴィの姉が、祈りの間では光の巫女として認められたこと。矛盾している。
ひとつ。『選定』で既に反応が現れたはずのネヴィが、十二年後、黒目黒髪の状態で受けた『選定』では特に何の反応も現れなかったこと。時間経過で資格を失ったかと思えば、金髪翠目に戻った彼女は問題なく光の巫女を務めることができている。それも、歴代最高と呼ばれるほどの強い力を有して。これもまた矛盾している。
(二人の光の巫女に共通するのは、『選定』での結果と祈りの間での結果が違う、ってこと?)
特に先代の巫女は――。
自分が候補に該当しないと分かっていて、けれど『選定』の反応の強さから周囲を誤魔化しきれなかったのだろう、無かったことにはできずネヴィを庇って城まで行ったらまあびっくり、資格がありました! しかも他の候補ぶっちぎりです! って、なにそれ、と突っ込みたくなるような展開である。
『選定』そのものの存在価値を疑うのも無理はない。これを正すには、まず『選定』が何なのかを知る必要がある。法術――も正直わからない。非科学的なものを理屈で解こうとすること自体が無謀か。誰が、どういう風に制定したのかを知ることが出来れば概要が掴めるのだが、果たして。
『選定』について書き連ねた紙を伏せ、私は再び今日の分の課題に取り掛かる。ネヴィと宰相閣下の話が一段落つきそうだったからだ。
――ここで、『選定』について彼に尋ねてもいいと少し思った。
だが私の宰相補佐官に対する不信感が強まっている今、答えを出さない限り彼の上司には深く関わらない方がいいような気もしている。宰相閣下には一度最後の神子の死について割と食い下がってしまったから、軽く尋ねたところで深読みされる恐れもあった。
(邪魔は、されたくない)
信用するしない以前の問題だと、私は深く溜息を吐いた。
話が動いたのは夕食のときだった。私の決意に満ちた奮闘空しく、本日の倉庫での捜索は何の成果もなく終わった。今のところあの箱の中身以外にこれといった取引材料は見つからない。明日以降も引き続き捜索するとして――。
何にせよあの倉庫の中には光の巫女制度が出来る前のものしか置いていないので、『選定』どうこうに関してはネヴィの力を当てにするほかはない。私が自由に振る舞えるのは自分の部屋とあの倉庫の中だけだ。
夕食時にネヴィと共に現れた護衛が見慣れた騎士だったのに安心したのもあって、とにかく手掛かりを見つけようと私が『選定』の話を持ち出したのだ。
「遅くなりましたけど、その後何かわかりましたか」
祈りの間で色々調べてるって言ってましたよね、と具体的な単語は出さずに問い掛ける。それでも私の言いたいことがきちんと伝わるとわかっていた。以心伝心とはまさにこのことだろう。するとネヴィはぱっと顔を輝かせて笑い、元気よく頷いた。
「あ! そうそう、ずっと言おうと思ってたんだけど、……最近慌ただしくて」
儀式儀式のオンパレードに加えて、襲撃と暗殺未遂。短い期間に詰め込みすぎである。
「光の巫女の部屋、覚えてるよね? あの部屋にある棚の奥に、それらしい歴史書が押し込められてるのを見つけたの」
「っ、凄いじゃないですか!」
「半分以上読めなかったけど……」
「…………」
「……」
ですよねー、と私は小さく呟いて肉の欠片を口に放り込む。分かり切ったことだったが故に余計ぐさりときた。ふとそこで、いやちょっと待てよと嫌な予感がして食事の手を止める。
この先どうにかして『選定』や『光の巫女』について、はたまた私を召喚した法術が載っている本を見つけたとしよう。もちろんそれは子供向けの絵本ではあり得ない、専門書と分類すべきものだ。その場合、ろくろく読み書きできない私達がどう協力し合っても、その本を正確に解読するのは無理、不可能ということになりはしないだろうか。年単位で取り掛かっても出来る気がしない。
(詰ん……でる……?)
もう逃げないと、目を背けないと決めた。現実と向き合っていかなければ何も変わらないと私はもう知っている。私は引き攣る口元をおさえ、ネヴィを見た。彼女も同じようにこちらを見つめ返している。
「誰か――協力者が必要、ですよね」
「……要るよね、うん。文字が読めるひと」
「『選定』を探っても文句を言わないような柔軟な考えを持っていて、且つ、口が堅い」
更に言うなら、私の事情を理解している人だとやりやすいとも思う。私とネヴィは無言で視線を交わすと、残った料理を片付けるべく猛然と食事に取り掛かった。
侍女頭が食器を下げに来るまではまだ少し時間があった。普段ゆっくりと食事しているのが功を奏した。私達は長椅子に隣り合って座り、距離を縮めて内緒話をする。議題はもちろん、誰を協力……いや、引き摺り込むか、だ。
「……騎士は、やめた方がいいと思います。基本的に命令には逆らえないでしょうから」
頭の中に例の呪いの日記があったことは否めない。彼らは所詮誰かに従う者たちだ。
それを言ってしまえばある程度権力がある人を探してしまうのだが、フラグ美形男や王子様はむしろ権力がありすぎて却下。勝手な想像だけれども、彼らが護衛なしに出歩くとは思えないし、第三者に行動を逐一監視されていそうだ。
第一王族なんて「国益を害する恐れがある」とかなんとか理由をつけてこちらの動きを牽制しそうでもある。
「アーク様もヘリオス様もそんなことしないと思うよ。……たぶん」
「たぶん」
「う、でも、協力を頼まないのは賛成かな。何かあったときにものすごく迷惑が掛かりそうだし」
つまり彼らが王族である以上、こちらに協力したことが原因で失脚されでもしたら最早誰にもどうしようもない、ということ。