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糸が繋がった! と思わぬ展開に浮かれていたので、口から出た言葉がどう考えても悪口にしかなっていないことに私は少しの間気付かなかった。
衝動がおさまり我に返って――ざっと血の気が引く。これから頼み事をしようという相手を評する言葉ではない。ネヴィは特に気にしていないようだったが、一応口止めを頼むことにした。
「すみません、ネヴィ。今言ったこと忘れてもらえますか」
「うん? いいけど、あの人、そういうの全然気にしないと思うよ? 他人の評価とかどうでもいいとか言ってるし、守銭奴とかはむしろ自分で言ってるみたいだし」
「いえ、私の心の平穏のために……お願いします」
「はーい」
ラギがそう言うなら。と彼女は穏やかに笑い、頷いてくれた。これでよし、と。何にせよ、彼との繋ぎはどうしたって彼女に頼むことになるのだろうから、不穏な芽は摘んでおくに限る。厳密的に国側だとはっきり分類できない以上『夜の神子』という立場がどう作用するかわからないのだ。
(ん……?)
ただ、今の彼女の台詞で二人の親密さがちらりと窺えて私は軽く眉を顰めた。
国側の人間がどうもネヴィと先代巫女との関係を正しく知らない――ということは、若白髪もまた知らないということだ。もしネヴィが喋ったとすればそれが国側に伝わらないはずがない。それなのに彼女のこの「分かってます」感はどうしたことだろう。
光の巫女がお世話になっている薬師……通例として就任当初から顔を合わせていたとしたって、大した時間は経っていないというのに。私の訝しげな視線にはまったく構わずに、彼女は私の質問に答えてくれる。
「どんな人……かあ。よくお姉ちゃんが言ってたのは――」
国一番の薬師であり、国の専属医師が使う薬のほとんどは彼がおさめている。またそれとは別に、流行病などの治療薬も精力的に率先して作っているのだとか。そういった研究のため、かどうかは定かではないが、全世界の薬という薬を金に糸目をつけず集めているという。
「嘘が嫌い。曖昧なことも嫌い。はっきりした物言いで全然人のことを気遣わないけど、だからある意味誠実、……だったかな? あ、あと、綺麗好きだけど掃除は大っ嫌いなんだって!」
最後のは非常にどうでもいい。
「えーと、年若いお弟子さんを取ってから少し丸くなった……とか聞いた。うん、それくらい」
「……。……わかりました。ありがとうございます」
それ全部お姉さんの意見だよね、と思いはしたが口には出さなかった。彼女が若白髪を頼りにしていることだけはなんとなく分かったからだ。黒い人も言っていたことだし、彼の薬師としての腕は心配しなくてもいいのだろう。嘘が嫌いなら、調べてもらえさえすれば結果を偽られる可能性も低いかもしれない。
他にこれといった選択肢がないので、どれも単に自分を慰める材料にしかならないのだが。とりあえず、まず、接触を図る。その時の反応によって色々対策を考えていこうと決心し、私はネヴィに頼み込んだ。
「ネヴィ、私、是非ともその人に会ってみたいんですけど、どうにかして連絡取れませんか」
「会うって、サディアスさんに? ……今から来るよ?」
「えっ」
えっなんで。多分その時の私は、ものすごく間抜けな顔を晒していたと思う。
食事を持って来た侍女頭に続いて、その人は部屋に入ってきた。廊下で控える二人の騎士の、何とも言えない不審そうな眼差しを露ほども気にすることなく。扉が閉められ、少しの間沈黙が落ちた。
その人――若白髪の視線は、ネヴィを通り越して真っ直ぐに私に向けられている。私は気まずさに耐えきれず口を開いた。
「……お久しぶり、です」
「ええ、どうも」
まるで私が動くのを待っていたかのような反応だった。彼はその白髪……白い髪を揺らし、にっこりと笑みを浮かべる。
「私の忠告は、まったくの的外れ――というわけではなかったようですね」
「……はい。……まあ、実際、保護していただいてますから」
あの時はありがとうございました。助かりました。ご忠告感謝してます。改めて礼を言いながら、私はそれとなく男から目を逸らした。今の言葉が嫌味なのかどうかいまいちわからない。ネヴィが何も言わなかったことを考えるに、遠回しな言い方だが「知って」いると思うべきだろうけれども。
胡散臭い笑みを湛える若白髪の後ろでは、侍女頭が普段通りてきぱきと食事の用意をしている。流石職業意識の高いカリーナさん、全然ぶれない。毒がどうこうという話だったから、毒見でもしていたのだろうか。あるいは作り直していた? 並べられていく朝食を見てふとそんなことを思う。
(じゃあ、何しに来たんだろう、この人)
この朝食がもし検査済みなら若白髪がここにやって来る必要はないはずだ。わいた疑問は、彼がおもむろに取り出したふたつの小瓶によって打ち消された。透明な小瓶の中には、飴、のようなものがいくつか入っている。
「いいですか。これから毎朝、起きたらすぐ、必ずこれを食べなさい――ラギ、君もです」
「私も、ですか?」
「毒で死にたくなければ、ね。もちろん強い毒には効きませんが、気休めにはなるでしょう」
「…………」
全然安心できない、と思うのは私だけだろうか。神妙な顔つきで大人しく小瓶を受け取るネヴィを横目に見やる。同じように私も受け取って、そっと中を覗いてみた。……いつかの解毒薬のように、酷い色をしている。紫と茶色の間のような色の飴たち。
起床直後ということは、食道や胃壁を保護するようなタイプのものだろうか。そうだとしたらあまり噛まないほうがいいかもしれない。でもやっぱり進んで口に入れたい色ではないけれど。と、それが表情に出ていたのか、甘いですよ、などと以前と同じ言葉で宥められる。今すぐひとつ食べなさいと言われたので蓋を開けて少し匂いを嗅いでみると、草特有の青臭さが鼻についた。
ネヴィと二人で朝食をとる。会話は――あまり、ない。なぜならこの部屋には私たちの他にもう一人、若白髪がいるからだ。侍女頭が出ていき、てっきり彼もそれに続くと思いきや、そのまま長椅子に腰掛け本格的に居座ってしまった。
私としてはチャンスととらえるべきなのか。朝食を終えれば恐らく出ていくだろう彼に、直接話せる機会がこの先うまく作れるかどうかわからない。しかしあまりに唐突に話題に出すのも、と心の準備が出来ていないので、私は食事を粗方終わらせたあたりで声を掛けてみた。
「あの、……すみません。ネヴィの朝食に毒が入っていた、っていうのは、本当なんですか」
「本当? おかしなことを聞きますね。もちろん本当ですよ、給仕をしていた侍女がひとり倒れましたから」
「――! その、誰が犯人か、というのは」
「さて、それは騎士団の仕事ですから私には……。しかし厄介ですね。昨日に続き、こうも極端に反応されると非常に困ります」
「……は?」
それは餌撒いて釣ったってことか。そうなのか。
「私も暇ではないというのに、どいつもこいつも忙しいだの手が離せないだのと……まあ確実に渡す必要がありますから? わざわざ私が出向いて差し上げたんです。感謝してください。ああ、お代は騎士団長様よりたっぷり頂きましたのでご心配なく」
私は食後の紅茶を口に含み、そういえばこの人婉曲などという言葉にはまったく縁がない人だったとひとり頷いた。曖昧に言葉を濁されるよりはましか。――ならば、こちらもあえてはっきりと言うべきなのだろう。彼女が彼をそう評したのなら、私は信じないわけにはいかないのだから。
私はカップを置き、立ち上がる。そのまま若白髪の座る長椅子の前まで歩みを進めた。決意が揺らがぬうちに言葉を紡ぐ。
「ひとつ、お願いしたいことがあるのですが」
「君が? ……私に? よもや何か――薬をご所望、ですか?」
彼の顔に驚きはない。どこか面白がるような口調に肩が跳ねたが、何でもないふりをした。
「いえ。正体がわからない粉薬を見つけたので、それが何なのか調べていただきたくて」
言いつつ、枕の下に隠していた例の秘密箱を取りに行く。手に取り引き返す間に手の中で弄繰り回して蓋を開いた。中に粉末の袋がふたつ入っていることを確認して、こちらを注視している若白髪の前に突き出す。
「“倉庫”の中で見つけたんです。どうしても気になってしまって……可能でしょうか?」
「…………。時間を頂ければ、できるとは思いますが……」
思わぬ話を聞かされたというように不思議そうな顔をしながらも、彼はすんなりと箱を受け取った。既に興味があるのかじっと中身を見ている。
掴みは上々。ここで私はひとつ賭けに出ることにした。ネヴィが言っていたように、彼が薬品の収集家であるのなら――。急いでこの部屋の棚に向かい、引き出しの奥からあるものを取り出して振り向いた。
「報酬は、私が持っている頭痛薬でどうでしょう!」
最後の夜の神子が召喚されてから百年以上経った。かつてそんなものが存在していたとしても、残っているかどうかは怪しい。たとえ残っていたとしても状態が良いとは限らない。あの怪しい粉末のように保管されているなら話は別だが、それでも月日とともに劣化する。
だから取引材料になると判断した。世界中の薬物を集めているという彼にならば、私が常備している私の世界の薬――つまり彼にとって未知だろう薬は価値があるのでは、と。
さあどう出る、と頭痛薬の入った薄い箱を印籠よろしく右手で掲げていると、一瞬だけ。たった一瞬だけだが、きらりと若白髪の目が煌めいた気がして私は更に畳みかけた。もう必死である。だって本当にお金がないから!
「い、今なら、胃腸の問題に効く胃薬もおつけします!」
ばっと茶色と黄色で彩られた箱をまた別に取り出す。これで引き受けてくれなかったら、後は日焼け止めか虫よけスプレーだけだなと鞄の中身が頭を過った。




