畳み掛けるように
夜の神子とその死が引き起こしたとされる『災い』。
ふたつの関係性が、もしも私の知っているものと違うとしたら? この秘密箱、ひいてはその中身の存在によって、私が以前から抱いていた疑念が更に強くなってしまった。
私は、私の命そのものが切り札になると思っていた。自分の立場を有利にできる材料だと思っていた。もしそれが単なる思い込みであるのなら、日々後生大事に胸に忍ばせている懐刀に意味はなくなる。
……確かめたい。真実を知りたい。
その為には、何かを知っているような態度を取る宰相補佐官と話をするのが先決だと思う。そして話をする為には、まず動かしようのない証拠を用意する必要があった。嘘を吐かれたり、言い包められたりしないように。何のカードも持たない私が言葉だけで駆け引きできるような相手だとは到底思えないからだ。現に、あの祈りの間でだって、彼らの隙に付け込まなければ何もできなかっただろう。
私は件の怪しい粉末をじっと睨み付けた。まずはこの正体を暴こう。これが私の思っている通りの代物だとすれば、話し合いにおいて強い材料になり得るはずだ。
(……とは、いえ)
この粉末を調べる力を持っているだろう誰か、を思い出したはいいのだが、さてどうしよう。
すっかり忘れていたのだが、私はここでは超がつくほどの貧乏人だった。ネヴィからのお金もすっかり懐刀に消えてしまったし、どうかき集めても守銭奴だと言われている彼の求める「報酬」には足りないだろう。
不自由ないようにと言ってくれているからといって、国側に金銭を要求するのは流石に気が引ける。それ以前に、まず何に使うか申告しなければならないだろうし――。
(倉庫にあった箱の中から変な粉末見つけたけど、なんだか怖いからお願い調べて? とか言ってもねえ)
想像だけで気持ち悪い、じゃなくて。現時点で私の物じゃないから、約束の範囲には入らず、没収されて終わりという気がする。それじゃあ意味がない。仮に報酬の用意ができたとしても、騎士団の執務室でのやりとりから察するに、取り次ぎを頼んだだけで騎士団長がすっ飛んできそうだ。やはりそれも没収ルートか。
自分の力だけで会うか連絡を取って直接交渉しなければならないのに、彼に関する情報が少なすぎる。あの所業からして、城仕えではなさそうだったが。
(……ん? あ、そうだ。そういえば)
彼――若白髪は、確かあの時、ネヴィの姉と面識があるような口ぶりではなかっただろうか。光の巫女を語るときのあの懐かしそうな目。もちろん面識があることと親しいこととは違うし、もしかしたらただ見かけただけということもあり得る。でも、可能性は低くても他に思いつくことがない。本当にない。
藁にでもすがる思いで一度ネヴィに聞いてみようか。駄目なら駄目でまた考える。とりあえず明日の夕食のときに声を掛けようと決め、私は元通りに箱を閉めて、今は寝ることにした。
ろくに眠れなかったせいか頭が重い。身体のだるさを持て余しながら着替え朝食を待っていると、時間通りすぐにノックの音がして侍女頭が入ってきた。ただ、いつもなら食事の用意を持って来ているはずなのに、その時の彼女は手ぶらだった。
「おはようござい、ます……?」
なぜだろう、と不審に思って挨拶の語尾が立ち消える。彼女はそのまま私の傍まで近づいてきて、声を潜め囁くように言った。
「おはようございます、ラギ様。突然のことで大変申し訳ないのですが」
その表情はひどく硬い。
「本日より暫くの間、巫女様と朝食を共にしていただきます」
「え? それは、構いませんけど――」
既に決められていたことだからだろうか、言葉こそ丁寧だがそれは間違いなく命令だった。この部屋の中で侍女頭が私にそういう態度を取ったことはない。……違和感がつきまとう。
とりあえずネヴィと一緒に朝食をとることは嫌ではないし、むしろ昨夜の一件のおかげで好都合としか思えなかったので快諾する。と、彼女はわざとらしく声を張り上げた。
「では、巫女様に失礼のないように。いいですね『ラギ』」
「――――。はい、カリーナさん」
思わず、背筋が伸びる。ここに来てやっと侍女頭の意図が理解できた。彼女はどうも扉の向こうをかなり意識しているようで、既に誰かが居ると考えていいだろう。彼女がこの部屋だけでとる「態度」を見られたくない誰か、が。それならばと、私はできるだけ害のない『侍女見習い』でいようと決めて、無言のまま頷いた。
侍女頭は黙って頭を下げ、そしてきびきびとした動作で扉を開けにいった。開かれた扉の向こうに見えたのは、少し憔悴したように見えるネヴィと、……見知らぬ騎士が二人。私は侍女見習いらしく部屋の隅に寄り、騎士たちが部屋の中を軽く点検を終えるのを待った。もちろん、私の荷物はぱっと見わからないところに隠してある。
(カリーナさんが警戒してるのは、この人たち、だよね)
まず大前提として彼らは私が夜の神子であることを知らない。それに加えて、もしかしたら、次期巫女候補であるという設定すら知らないのかもしれない、とも思った。
ネヴィにはそれこそ一日中護衛が必要で、それが五名ほどの騎士たちで持ち回りとなっていると知っている。彼女と夕食を共にする際、騎士が部屋の点検に入ってくるのでぼんやりと姿形だけは記憶に残っていた。もちろん話などはせず、最初と最後に頭を下げるくらいだが。
巫女の護衛としてこの部屋に訪れる以上、部屋の住人が誰なのか、侍女見習いではあるが次期巫女候補でもある、という認識くらいはあるはずだ。だが今部屋に入ってきた二人はどう考えても初対面である。夕食時以外にも、護衛をつれた彼女を遠くから見かけることがよくある。この二人はその機会にさえちらとも見たことがない騎士だった。
用意にしばらく時間が掛かります、と言い残し侍女頭と護衛が部屋を出ていき、ネヴィと二人きりになったところでようやく私は直立不動だった姿勢を緩める。
「おはようございます、ネヴィ。……あまり眠れなかったんですか?」
「ううん、ちょっと変な時間に起きちゃっただけ。おはよう、ラギ」
ゆるく笑む彼女の姿は少し儚い。昨日の事件のせいか、それとも。私は心持ち声量を下げて気になっていたことを問うた。
「今日の護衛、なんだか見ない顔ですね。新しい人ですか?」
「え、ああ、うん。そうなの。今日護衛してくれるはずだった騎士さまが、……昨日」
(やばい地雷踏んだ!)
「っ、すみません怪我をされたんですよね」
「――違うの!」
その予想外の剣幕にびくりと肩が跳ねた。同時に扉へ視線をやるが、聞こえなかったのか、緊急性はないと判断したのか、少し待っても騎士が入ってくる様子はない。別に敵ではないのだからそこまで警戒する必要はないとは思うのだが、侍女頭の態度が気になるので念のため。
ほっと息を吐いて当のネヴィに視線を戻すと、彼女は更に顔色を悪くさせて俯いている。途端、ひどい焦りが私を襲った。
「ご、ごめんなさい、別に言いたくないことなら――」
「……違うの。昨日のことで、手引きしたんじゃないかって言われて……」
騎士団に拘束された、と。
はあ!? と声を上げそうになって、私は慌てて口元を押さえた。いやだって騎士団の、しかも巫女の護衛という恐らく王族のそれに次ぐ超重要な任務に就いている人が、襲撃の手引き? そんな馬鹿な。
身元やら素行やら絶対きっちり調べた上で任命しているだろう。それにあの男の改革とやらで、そういう阿呆なことを考える連中は一掃されたはず。何かの間違いではと考え始めた私に、ネヴィは更なる爆弾を落とした。
「今朝も、私の朝食に毒が盛られてたみたいで」
えええええ。私はあまりのことに開いた口が塞がらなかった。昨日襲撃で今朝は毒って、どんな攻勢? 警戒されるのを恐れて普通時間を空けたりしないのだろうか。自分もかつて毒入りのジュースを飲まされそうになったとはいえ、そもそも実感がなかった。今もネヴィの話をなにかの物語のように聞いている。まるで現実味がない。
「……ネヴィ」
「ううん、いいの。お姉ちゃんもそういうことがよくあったって言ってたし、覚悟はしてた」
しかし長く持ちすぎた巫女を消そうとするのと、この間就任したばかりの巫女を消そうとするのとでは全然状況が違う。そう言いたいのに、私の毎日がどれほど平和だったかを思い知らされて口を噤むしかなかった。少し落ち込んだ私を慰めようとしてくれたのか、ネヴィは明るい声を出して笑う。
「それに凄腕の薬師さまが色々教えてくれるから大丈夫。毒が仕込まれやすい場所とか、簡単な解毒方法とか!」
お姉ちゃんもずっとお世話になってたんだって、という彼女の台詞に、ぴんと来るものがあった。まさに天啓としか言いようがない。私はばっと顔を上げて、ネヴィの両手をがしりと掴む。
「その薬師ってどんな人ですか!?」
「わっびっくりした! えー、えと、サディアスさんのこと?」
「名前は知りませんけど。もしかしてあの、守銭奴で、割とずけずけ物を言う、若いのに頭髪が真っ白な人じゃあ――」
「……!」
どうして知ってるの? と目を見開いた彼女の目の前で、私は内心快哉を叫んだ。