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薄闇の眠りを  作者: 吉舎街
第一章
6/85

騎士団長とお菓子

 私はお腹が空いています。私は喉が渇いています。――――とても、




「何で余るの……?って、もしかして副詞の位置が違うとか?」




 小さな黒板とチョークもどき、加えて即席黒板消し。傍らに絵本を置いて。このセットが、とりあえず当面の私の勉強道具だった。私は今日も変わらずこの国の文字を勉強し続けている。

やっとこさあいさつを卒業して次の段階に進んだものの、やはり遅々としてなかなか捗らない。単に独学だから、なんて理由じゃ説明がつかないほど本当に理解ができなかった。覚えた端からぽろぽろと零れていくような。一度眠ってしまえば半分以上頭から抜け落ちるような。


ちゃんとやる気はあるんだけれども。


(お腹、空いた)


 胃がからっぽだった。水だけで空腹を誤魔化すのも限界がある。あれからずっと何の変化もなく、私の食生活は安定していない。ストレスが溜まるばかりだ。

彼らを真似してさっさと寝てしまえばいいのだろうが、中途半端にベッドの中で目が冴えてしまうと、その息苦しさは最悪に嫌な思い出まで掘り起こしてくれる。忌々しいことに。



―――暗くなりがちな思考を、ふと甘い匂いが包み込んだ。



今日持って帰ってはきたがどうすればいいか分からず、かといって捨てるに捨てられず窓際に放置したままのお菓子の匂い。女性好みに可愛らしくラッピングされたそれは、しかしこの飢餓感においてさえも、手を出すことを躊躇われるような何かを秘めていた。




「これがフラグとか、マジでやめて欲しい……」




食べたいという本能を根性で抑え、私はそっと目を逸らした。










 国王の死を悼む黒い布と白い花は気がつけばもうどこにもなかった。亡くなったと公示されてから一月も経っていなかったように思う。それが早いのかどうかも分からない私は何を思うでもなく毎日を過ごしている。




「おじさん、この魚全部ください」

「あいよ!……ってえ、その服、あんた南の食堂の子かい?いつもの子は確か……」

「ええ、今日は彼女の代わりなんです。昼前に団体さんがいらっしゃって忙しくて」

「そういや昨日、隣国に行ってた連中が帰ってきたとかなんとか。よし、こいつはおまけだ。今後ともご贔屓に、頼むぜ!」

「もちろんです。ありがとうございます」




 活き活きとした得体の知れない軟体動物をものすごくいい笑顔で追加してくれたおじさんに、こちらも笑みを返しておく。これが調理の必要がない食べ物だったら黙って懐にしまっておくのだがこれではそうもいかない。仕方がない、素直におばさんに渡すか。

両手一杯に荷物を抱えた私は、頭の中で頼まれたものを復唱してひとり頷く。買い物は終わりだった。



 町は初めて来た頃の賑やかさを取り戻し、そして、たくさん集まっていた黒目黒髪を持つ人々も姿を消した。黒目黒髪の男女問わず五十人――は特に何の問題もなく選ばれ、今はもう来る祭りの舞台の為に練習を始めているらしい。私が危惧していたようなことは何も起こらなかった。

幸か、不幸か。それはきっと後にならないと分からないのだろう。





 丁度その時手が空いていたからと炊事場のおばさんに押し付けられ、もとい頼まれた追加の買出しを終え戻ると、食堂の前に人だかりができていた。きゃっきゃと騒ぐ声は女性のもので、集団の中心に一際鮮やかな色が見える。


夕日をもう少し赤く染めたような―――そんな色をした髪。長身の―――男?


なるほど美形か、と勝手に結論付けた私は、これ以上その集団に近づかなくてすむよう食堂の外側をぐるりと迂回するようにして従業員専用の裏口へと回った。ああいう人混みで誰かにぶつかり、折角買ってきた食材を地面に落とそうものなら悲惨である。

なけなしの給料が、いやむしろ首が飛ぶ。




「あ、ラギ。お帰りお疲れさま。ごめんね、ひとりで大丈夫だった?」




 馴染み深い裏庭に入った途端、下拵えの作業に戻っていたネヴィに声を掛けられた。彼女は今日、珍しくも接客の方へ回されていて、その分の裏方の仕事が私に全部掛かってきたのである。

……お菓子を約束してくれたので全く損はないけれども。




「はい。でもさっき、食堂の入り口にたくさん人が群れてて通れませんでした」

「人?――っじゃあ、もしかしてリカルド様がいらっしゃったの?」

「え……?……、……。……」




リカルド。リカルド。リカルド。

覚えのあるその単語を何度か口の中で転がして、数十秒。私はぽんっと両手を打った。




「ああ、お菓子の人!」

「騎・士・団・長!」




 即座に力一杯の突っ込みが入ったが。けれどネヴィは怒っている様子ではなくて、ただ呆れたように苦笑しただけだった。何を考えているか丸分かりな彼女の生温い視線を感じながら、私は内心軽く首を傾げる。

その騎士団長とやらはいったい、何をしにこの店に来ているのだろう?騎士が好んで来るような店ではないはずだ。ならお菓子を配るために?そんな馬鹿な。




「ねえ、まさかラギ……」

「……な、なんですか」




突然、ネヴィにずいっと迫られて私は思わず後ずさった。真剣な表情。緊迫する空気。




「この食堂の店長がリカルド様とご兄弟だって、知らなかったりする?」

「――――。――――初耳です」

「やっぱり!」




 はあ、店長と兄弟。それで?私は無駄に緊張していた自分を恥じつつ、身体から力を抜く。というか、普通にふーんとしか言いようがない気がする。兄弟の店が気になってちょくちょく様子を見にきては、手ぶらじゃ寂しいからと毎回従業員に手土産をもってくると?

 それは家族思いの人ですねと言えばいいのか、ちょっと女性に媚を売りすぎなのではと思うべきなのか。まあ、お菓子自体は欲しいけど。




「そうじゃないかとは思ってたのよねぇ。君、口を開けば食べ物のことばっかりだもん」

「あのですね、それとそのお菓子の人と何の関係があるんですか」

「だから騎士団長。……ほら、この店、従業員女の子多いでしょう?つまりは偶にいらっしゃるリカルド様目当てにこの店で働いている子が多いってこと」

「高級お菓子欲しさに?」

「……そういう発想をするのはラギだけよ」




 いや、それは冗談として。流石に私でもわかる。

顔を直接見てはいないが、騎士団長という響きだけでイメージできるその女性への人気っぷりと、そんな彼に少しでも近づきたい乙女の恋心。クビになりたくないだろうからさぞ真面目に働くのだろう。そしてそんな女性を雇うことで男の客が増えてほくほくな店主―――。

うん?これだと騎士団長のメリットがいまいち分からない。けれど家族想いであれば売り上げに手を貸すこともやぶさかではないかもしれないし、まあ、どうでもいいか。




「そっか、ラギは本当にリカルド様目当てじゃなかったのか……うん。……そうよね、泥作業してる時点で違うもの」

「なにか途轍もなく失礼なことを言われてる気がするんですけど」

「え?え、えーと。あっ!ほらラギ、外へ行ってきたら?今ならまだお菓子残ってるかも」

「……。貰えるなら貰いますが、自分から貰いにいくのはちょっと、いえかなり嫌です」

「なにそれ、同じじゃない」

「全然違います」




群がる集団と同じようにくださいと言いに自ら赴くのは、その騎士団長に「個人」として認識されるということだ。大勢の中の一人にすぎないくせに、自意識過剰、と言われてもいい。国の防衛の中枢―――つまりは自衛隊のトップのような存在に、誰が好き好んで近づくものか。


それにそもそも、お菓子はお菓子でもちゃんと何の裏もない普通のお菓子だったら、の話である。



飢えと引き換えにしても譲れないものが、そこにはあった。


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