『選択肢』
彼の答えはごく短いものだった。――「恐らくは」。
肯定と否定、どちらも同時に含みかねない非常に曖昧なもの。
「兄の目的は確かにそれだったのだろう。お前を喚ぶことで巫女を救おうとした。だが、実際“成功”すると思っていたかどうかは怪しい」
「…………」
実の兄に関することを、彼は淡々と、ただ事実を並べるように語る。そこには感情らしきものが存在していない。
「今、遅きに失した、と言ったな。それにも理由はつけられる。……まず、巫女の老化が始まった今期の直前までこの国は酷い有り様だった」
曰く。数年前までこの国の王はあの男ではなく、その父親だった。前国王――未だに国王が決まっていないのでそう称する――とその周囲は、国益の為なら手段を選ばなかった。
主に国民への被害を増大させたのは、光の巫女候補とその選定に関する犯罪を国家ぐるみで黙認したこと。人身売買拉致監禁強姦その他諸々、を、国家としてあえて見逃していた。巫女候補の安定した供給を優先したために。
この話はネヴィから聞いていたので、特に驚きはしなかった。何度聞いても胸糞が悪くなる話だと思いはしても。あの時あえて聞かなかったことを、フラグ美形男は言う。その腐った体制を、王を弑することで壊したのが――。
「新王となった兄は、制度から何から全てを一から作り直した。貴族どころか側近にも、利益を得ていた莫迦な連中が山ほど居て、随分と抵抗にあったようだがな」
裏切りに次ぐ裏切りに、かつてないほど城内が殺伐としていたのを強く覚えている。フラグ美形男は遠い目をしながらそう言って、静かに紅茶のカップを傾けた。『夜』のせいで戦争の類が存在し得ないこの世界では、大抵は身内が敵となる。前国王然り、あの男然り。
「とにかく時間がなかったのは事実だ。先代の巫女があまりに長く“持ちすぎて”、終わりを忘れていたかもしれないとも思う」
「改革が終わって暇になったら、現実が見えたので慌ててやってみた、ですか?」
「……身も蓋もないな。……そうかもしれない。だが、断言はできない」
「なぜ?」
フラグ美形男の話を聞いているうちに、私は少しずつ恐怖が薄れていくのを感じていた。話せば話すほど――二人の違いがわかるから、だろうか。あるいは彼の、家族であるあの男のことを一切庇わず、また、こき下ろしもしない態度にどこか安心してしまっているのかもしれない。
あの男を兄と呼んだことで、ほぼ彼が王位継承権第一位だとわかったのに。
「その頃にはもう王は人を寄り付かせなくなっていた。部屋に篭りきり誰とも会おうとせず、また、――――正気を失っていた、との証言もある」
それは。
「ああ、誤解がないように言っておくが。だからといって、兄が禁を犯したことは変わらない。……どちらにしても」
正気か、正気でなかったかは問題ではない。彼の言葉は、わきかけた私の昏い衝動を一瞬にして打ち消した。何なんだろう、この国の人達は人の心を読むのが趣味なのだろうか。フォローのタイミングも完璧で、文句のつけようがなかった。
ふと、フラグ美形男が長椅子で横たわるネヴィに視線を向けた。その視線の柔らかさに、どきりと心臓が跳ねる。
(……え、なに、この人)
本当に、本気で? 話の余韻がぶっ飛ぶほどの驚きに硬直している私の耳に、やけに小さな声で呟かれた言葉が届く。
「お前があの場所を“掃除”し始めてから、彼女の体調がすこぶる良くなったと聞いた。――感謝している」
私はもう何も言うことが出来なかった。友人の為だからとも、彼女を助けたいだけであって、別に貴方に感謝される謂れはないとも。
なぜかささくれ立つ心を宥めるのに、必死だったので。
なんだか苛々する。
私は例の秘密箱をかちかちと弄りながらそう思った。窓の外はすっかり暗くなっていて、おそらく真夜中くらいだろうと当たりをつける。まだ眠る気にならないので、箱開けに挑戦しているのだ。
思い出されるのは先ほどの夕食のことばかりである。気がかりだったフラグ美形男とのお話は上手くいって何事もなく食事を終えられたというのに、どうしたことだろう。彼はぐっすり眠ったネヴィを軽々とその腕に抱いて颯爽と部屋を出て行った。
去り際に「何か困ったことがあったら言え。力になる」と、頼もしいような、身の安全のためには逆に使わない方がいいような約束をしてくれた。これで私は宰相閣下と次期国王の後ろ盾という強力な切り札を手に入れたということになる。だが、全然嬉しくない。
(苛々する……。あれか、ずっと屋内にいて日光浴びてないから?)
日光は健康に不可欠、だったっけ? と何の気なしに考えながら、外に出る目的をぱっと思いつかない自分に頭を抱えた。かち、かち。やりたい事がありすぎて、そこまで外に興味が持てない。
森林浴でもした方がいいかもしれないと思うものの、それに付随するだろう手続きが面倒くさい。かち、かち、かち。――かちり。
(うん?)
手の中で箱が意図しない感じに動いたので視線を落とす。と、蓋が薄く開いているのが見えた。
「あ、開いた!? えー!」
手順手順、と近くに置いたメモ帳にどう動かしたかを忘れないうちに書きつける。これは、達成感がやばい。全身が解放感に満たされている。こういうのって本当にロマンだよね、とひとり頷き、私はメモ帳とペンケースをなくさないよう自分の鞄にしまった。
そして、蓋にかけた手にゆっくりと力を入れていく。あまりがっかりしないように、期待は控えめに。すると中から、透明な、小さいポリ袋のようなものに入った何かの粉末が出てきた。
「…………」
うん? と私はまた別の意味で首を傾げつつ、三包あるうちのひとつを、なるべく隅の方をつまんで箱から出してみる。目の高さまで持ち上げてじっくり観察すると、小さく透明な結晶の集まりであることがわかった。
塩、のように見えなくもないけれど。しかしそんなものを後生大事に、こんな細工箱の中にしまうだろうか? 粉末を入れている袋からして、そう時代が昔のものであるとは思えない。
判断に困り、全部同じものだろうか、とまずは疑問に思って全てを箱から出せば、底に折りたたまれた紙があることに気付いた。少なくとも百年以上経っているはずのものだというのに、箱の中でろくに空気に触れていなかったからか多少の黄ばみがあるだけで風化してはいなかった。
破らないように気を付けながらゆっくりと開くと、日本語で書かれた一文がまず目に飛び込んできた。
「ここに、選択肢を残す 一人一包」
ぞっとした。その言葉自体に、ではない。
『使わせてもらいます』
『使います』
『ありがとうございました。助かります』
『勇気がなかったので、嬉しかったです。ありがとう』
『使う決心がつきました。本当にありがとうございます』
少し大きめに書かれた冒頭の文章の下に続く、筆跡もばらばらな間違いなく日本語の言葉たち。几帳面さがよく表れているもの、乱れていてなんとか辛うじて読み取れるもの、若い女の子が書いたような丸文字のもの、滲んでいて読めないもの。
(……吐き気が、する)
思い込むな。決まったわけじゃない。何度も自分にそう言い聞かせても、身体の震えは止まらなかった。
これは――なんだ? 倉庫で見つけて読んだ日記の数々とはまるで雰囲気が違う。宰相閣下の勉強会で習った歴史とも。
この国の全体に張り巡らされた水路はある代の夜の神子が技術を伝えたものだという。建築系に勤めている人だったかもしれない。焼き菓子を調理道具と共に広め、この国の名産にしたある代の夜の神子もいるという。創始者は女性だという話だから、もしかしたらパティシエールだったのかもしれない。
そういった知識を提供した神子は役目を終えると大抵町に下り、子を成しこの国に溶け込んでいった、と。
(待って、そもそもこれがもし――で、神子が、――したなら、『災い』は?)
あまりに酷い扱いを受け“自殺”し災いを引き起こした夜の神子は、歴史上ただひとりのはず。それを教訓として光の巫女制度を作った、はず。それならやっぱりおかしい。
(……まず、確かめないと)
箱の中身、この粉末が一体何なのかを。でもどうやって? 可能性の種類があれな以上、自分で飲むわけにも他人に飲ませるわけにもいかない。他に誰か、こういう薬に詳しい人――。
『もし何かご入り用な薬がありましたら、是非私のところへ来てください。報酬さえいただければ、風邪薬から毒薬、媚薬まで何でもお客様のご要望にあわせておつくりします』
皮肉気で歯に衣着せぬ物言いをする、誰か、がふと頭に浮かんだ。