うまれた繋がり
この時点でひとつ確信したことがある。いつか聞こう聞こうと思っていて、しかし日々の授業がスパルタ過ぎてつい頭から飛んでいたこと。むしろ無理なく理解できるせいでちょっと楽しくなっていたとかはまあ脇に置くとして。
私が『次期光の巫女候補』――それもかなり上位の――であるという『設定』は、城の大抵の人間が把握している、公然の秘密であるという話。騎士と常に行動を共にすると聞いたときから薄々分かっていたものの、今、確信した。
(侍女が王子様と楽しくお茶会とか、ないわー)
基本的に私の移動範囲がものすごく狭いと言っても、殆ど他の人間と会わない、すれ違いさえもしないのは彼らが手を回しているからかもしれない。とはいえ私が視認できない範囲から“見られている”ことはあり得る。
この部屋はもちろん一階にあり、全体ガラス張りでないことを除けば温室といってしまってもいいだろう。窓は多く大きく、数ある花たちが隠してくれるといっても限界がある。変に隠して人の興味をかきたてるよりはいいって? いや、流石にこの状況はおかしいだろう。護衛をつけてくれるのはいい。ただ、ここで王子と密会とか、彼らが何をしたいのかよくわからなかった。
ヘリオス、と名乗った王子様然とした正真正銘の王子様。王位継承権第二位とのことで、あの男の血縁であることは間違いない。年齢からして親子ではなさそうだったが。
主に彼のことを話してくれたのはエルだ。とても誠実な人だから心配しなくてもいい――優しいから、と。権力者に面会しなければならない私を可哀想に思ったのか、どれだけその王子様が素晴らしい人なのかを力説していた。正直、私にとってそうであるという保証がないので話半分に聞き流した。
その際、ふとフラグ美形男のことが頭を過ったから、駄目元で聞いてみたのだ。エルはお人好しなので何かしら答えてくれるだろうという期待通り、フラグ美形男と王子様とは腹違いの兄弟だと言ってくれた。騎士団長と一緒に会ったことがあるといえば一発だった。もちろんどこで、とは言っていない。
王子様がフラグ美形男の異母兄――兄であるにも関わらず第二位ということは、フラグ美形男の方が嫡子であり、王位継承権第一位だと考えた方が自然か。他の誰か、を想像しようとしても、狭い範囲で生活している私には心当たりがいなかった。
(や、でも、次期国王がゴミ捨て場でぶっ倒れてるとか……ほんとないわー)
現在、この国の王座は実質空位となっていると勉強会の際宰相閣下が言っていた。王の死から巫女の『選定』が開始されるまでの期間が短く、今は世界の安定のために光の巫女に付随する儀式などを優先しているという。
新たな国王が決まるのはまだ先で、それでもこの国が普通に機能しているところを考えると、よほどのこの国の体制がしっかりしているのか――それとも。
「何か、不自由されていることはありませんか」
中庭では特別意味があるとは思えない会話が続いている。不自由なんて、詳しくあげればきりがないし彼らに解決できるとも思えない。私は緩く首を振って、手元の紅茶に手を伸ばした。自然と視線が外れる。
ネヴィが言ったように、目の前の王子様とフラグ美形男は顔立ちがよく似ている。性格のせいか、まったく違った印象を受けるけれど。そして私が似ていると言った声だが、どちらかといえば、フラグ美形男の方がよりあの男に似ているなと思った。こんな近距離で会話していても、あの時ほど胸の動悸や息苦しさがない。
「お口に合いますか?」
「美味しいです」
紅茶の良し悪しなんて、渋みのあるなしでしか判断できない私は無難にそう答えた。会話は続かない。横たわる沈黙にも王子様は少しも堪えた様子を見せなかった。やっぱり外遊する人はメンタル面が強いなあと感心してしまう。私はといえば、やはり長時間聞いていたくはない声だと思うばかり。
(……なんだろ。ご機嫌伺い?)
一国の王子様を使ってか。流石にそれは、と、口からカップを離しながら考え――――
がちゃん、と手元のカップが耳障りな音を立てた。ソーサーにほぼ落とす形でカップを置いた音だった。だが私はそれを一切気に留めることなく、ほとんど意識すらせずに、何かが“聞こえた”方向を見やった。
「ラギさん!?」
驚く王子様の声を背に、立ち上がる。その勢いに椅子が倒れたがどうでもよかった。私が注視するのはある一点――方角は、あの方向にあるのは。
(ネヴィの、……祈りの間……っ!)
認識。と同時に踵を返したら、がしりと腕を掴まれてたたらを踏む。私は私の腕を掴む誰かが誰だか分かっていて、それでも行かなければならないと呼ばれているからあの子があの子が、私を、私のことを。
「ラギ、待ってよ!」
渾身の力を込めて振り払えば腕は取り戻せた。しかし、当然のことながら扉に背を預ける形で控えていた男二人をかわせずに捕獲される。前にも後ろにも行けなくなった。
でも声がしている。私を呼んでいる、あの子が、……ネヴィが! 彼女のところへ行かなければならないのにそれを邪魔するこの連中が忌々しくてたまらなかった。頭の隅に理性が僅かに残っていなかったら、口汚く罵っていたことだろう。
「待って――暴れないで、いきなりどうしたの、どこ行くの?」
彼女のところへ行かなければ。その思考だけに支配されていた私に、エルの咎める色のない優しい声が届く。ひどくゆっくりと。たが確実に。私が正気に戻るにはそれで十分だった。
ある種の激情がざっと引いていくにつれ、私は足に力が入らなくなって、その場にへたり込んでしまった。……震えが、止まらない。私につられるようにエルは心配そうに膝をつき、押さえつける必要がなくなったと判断したのか色白騎士は私から手を離す。
「大丈夫? もし、どこかに行きたいなら、俺達も一緒に行くから」
止めたりしないから。安心してよ。ね、ラギ。その声を聞きながら、私は戦慄く口元を両手で覆い隠して一度目を閉じた。
「…………ネヴィが」
「うん?」
「あの子が、泣いてる……」
かすれて小さくなってしまった声を、エルは穏やかに拾い上げる。彼が相談所で働いているというのを今実感した。彼の声はとても安心する。さほど年齢を重ねていないくせに、慈しみに満ちたそれをどうやったら出せるのか不思議に思うほど。
まるで自分が何もできない子供になってしまったかのように、私はただ彼に訴えた。ネヴィが泣いているのだと。
「だから――行かないと、と思って。……呼んでるから」
「……。そっ、か。えーと……ちなみに場所とかわかる?」
「光の巫女の祈りの間」
「――――」
ああやっぱり。即答した私に気まずそうな顔をして額に手をやったエルの姿を見ていると、ようやくではあるが頭が冷静になってきた。自分を客観的にみることができるようになった、と言うべきか。
私はまず目の前の彼を見て、次に少し離れたところで私達を見守る色白騎士を見て、そこで初めて背後にいるだろうその人を思い出した。
(………やっば!)
肘に強く残る感触が教えてくれる。私は、その人を力任せに振り払った時に、あの、あれだ、……思いっきり肘鉄を胴体に叩き込んだ気がする……! ぐ、とかうっ、とか、そんな呻き声が記憶に残っている。
私はさっと顔を青褪めさせるとばっと即座に立ち上がる。視界の端で色白騎士が動いたのをとらえたが、そのまま振り返り件の王子様に近づくと深々と頭を下げた。こういうのは早い方がいい。そして多少大げさな方がいい。
「申っし訳ありませんでした! よく覚えてませんが殴った気がします!」
一応ではなく心からの反省を込めた。彼らが私に強く出られない理由があるとしても、こちら側の負い目を作っていい理由にはならない。この国の法に従うと宣言した以上、どこぞのチンピラを殴ったのとは訳が違う。
「え、あ、いや……いえ、大丈夫ですよ」
「本当にすみませんでした。私、突然どうしてか周りのことがわからなくなって」
ああでもどうしてネヴィが泣いているなんて思ったんでしょう。同じ『みこ』だからでしょうか。やっぱり気になるのでちょっと確かめに行ってもいいですか。
エルの態度から、推察される答えを大体分かっていて、私はそう王子様に請う。すると彼はたった数秒の間の後、すみません、と首を横に振った。
「貴方にはもうしばらく、ここに居ていただきます」
「危険だからですか?」
今度は一瞬の逡巡もなく。
「――はい」
私をここに留めるということは、彼らは今何が起こっているのか知っている、ということになる。