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薄闇の眠りを  作者: 吉舎街
第三章
52/85

おお、ファンタジー!

 これみよがしに、というよりは、思わずこぼしてしまったという様子だったから。

 そして彼の私を見る目が、ほんの少しだけ、朝食を共にしたときの宰相補佐官のそれに似ていたものだから、咄嗟に言葉が出なかった。その数秒のタイムラグのせいで私は発言の意図を問う機会を失う。


 廊下に横たわる不自然な沈黙は、私の手からすり抜けた雑巾らしき布が落ちた僅かな音によって破られた。慌てて拾えばもう黒い人は常の無表情を取り戻していて、私はそこからまた蒸し返す気にはならず、行きますねと声をかけて踵を返す。

(祈れば、祈りの間が闇に支配される、……ね)

 召喚され、色を奪われて、鍵の所有権とやらを押し付けられて。おまけに触れるだけで泉の水が漆黒に染まったことを考えれば、もう何が起きても不思議じゃない。私は深呼吸をしてからその扉に手を掛けた。


 外に待機している騎士というのはもちろん黒い人のことなのだろうが、正直、彼が待機している場所とこの祈りの間とでは割と距離があった。これでは護衛というよりは単なる見張りという感じである。中で祈っていれば神子は無敵だ、と多分そんなことを宰相閣下は言ったけれど、……そんなに距離を取らなければならないほど、危険なのだろうか。


 影響を受けない私は彼らの恐怖を理解できない。

 今は悩むだけ時間の無駄だと、夜の神子の祈りの間を開け――――


「…………」


 ―――そのまま力を込めて閉めた。

 重い扉だ、ばん、だの、がん、だのと大きな音が鳴り響いたが、それどころじゃない。


「黒、え、まだ黒いんですけど!?」


 部屋の中央にあるあの泉が、私が触ったときそのままに『夜』を湛えていた。一種のおぞましさもまったく変化していない。怖くはなかったが、やはり視覚的にくるものがある。まさかまだ黒く染まったままなんて全く塵ほども思っていなかったせいで、思わず私は素で叫んでしまった。


「そうだろうな。守護符を持っていてさえ――」

「守護……なんです?」

「守護符、だ。気休め程度だが、夜の影響を薄める効果がある」


 振り向いた私に見えるように、黒い人は首から下げた何かを手に取った。守護符と聞いてイメージする神社のそれとはやはり違うようだ。少し大きめのアクセサリー、というような外見である。そんなものをつけている人を今まで一度も見たことがないのだが。


「へえ、そんなものがあるんですね。初めて見ました」

「数が限られている上に、あまり長時間『夜』に晒すと壊れるからな。常に身に着けるようなものじゃない」

「……たくさん作れれば儲かりそうですけど」

「――――」


 無言。あれ、と、私は首を傾げた。いくら黒い人が口数少なく目で語るタイプだからといって、今のタイミングでこの沈黙は変だった。もしかして何かまずいことを言っただろうかと自分の発言を思い返す。守護符の話、数が少ない、……。そう経たずになんとなくわかってしまって、私は即座にすみませんと謝った。


「作り方も知らないのに、不謹慎でした」

「……いや、俺も悪かった」


 聞けば、それに関する事件は光の巫女候補誘拐事件と同じくらい深刻な問題で、あまり詳しく教えてはくれなかったが、諸々が人命に直結するらしい。しかもこの国だけの問題ではないから、解決が難しいのだという。恐らくその内容は誘拐事件以上に重苦しいものになるに違いない。

 私は自分が軽率に放った言葉を恥じた。本当に、何気なく、何も意図せず言った軽口だった。

(……真面目にやろう、今日は)

 説明を聞いたらなおさら、早々に用事を終わらせてここを離れたほうがいい気がしてきた。泉を黒くしたのは他でもない私なのだからいつまでも逃げてはいられない。掃除用具を抱えなおし、私は意を決して扉を開け、その向こうに身を滑り込ませた。





 あの日となんら変わらない光景が広がっている。掃除用具を一旦床に置き、私は後ろ手に扉を閉めた。部屋の中央にある泉はどこまでも黒い。首のない苔だらけで黒ずんだ女神の像。

(そういえば、あの人達みんな「ここ」に立ってた……)

 泉に『夜』が満ちても、平然としていたように見えたのだが、実は違っていたということか。またはその守護符とやらを身に着けているから耐えられた、と? ネヴィが普通だったのは光の巫女だからという理由をつけられるとして。

 手に持った懐刀よりもそれの方がよほど脅迫になっていたかもしれない、と思い至って苦く笑う。それではあまりに私が滑稽である。うん、これはもう考えないようにしよう。


 ところで掃除、といってもだ。この場所はいやに広くて、何から始めればいいのか困る。順当にいけば――祈る対象である、女神像から綺麗にするべきか。掃除は上からと言うし、と、まずはバケツと雑巾を手に持って中央へと進む。


「黒い……」


 この黒さをなんとかしたら、この水使って掃除してもいいかな。女神様に使うんだからいいよね。怖気づく心をそう宥めながら、私はあの日のように泉の淵に座り込む。祈り方なんて正直わからない。藤堂さんの日記にも「祈り方」については書かれていなかった。あるいはあれとは別に日記があるのかもしれない、とも思う。


 この国を救ってください、なんて心にもないことを念じても意味がないだろうし、その裏側にある“願い”を拾われてしまっても困る。とはいうものの、どうすればいいのか、何をするべきなのか、については心当たりがあった。この泉に触れたときのことを思い出せば自ずと答えは出る。あれ、を、今日は途中でやめなければいいのだ。

 怖くないわけじゃない。ただ、この行為が、ネヴィの命に繋がると私は知っているから。伸ばした指が泉の表面に触れるか触れないか。その瞬間、―――視界は闇に閉ざされた。



 一面、闇、闇、闇。泉も女神像も何もかもが黒に塗りつぶされ呑み込まれた。手を引っ込めそうになるのをなんとか耐えて、侵食が終わるのを待つ。首筋を這い上がる悪寒がおさまるとまた周囲は静けさを取り戻した。


 もう、いいか。支えになるものがあるかどうかも見えないので足の力だけで立ち上がると、その足元から水音がする。ぎょっとして後退されば一層激しい音がした。足首にも届かない、ほんの数センチほどの水深。

 水の色を知りたいと思ったが、全ては闇に閉ざされている。その中で自分の姿だけがはっきりと視認できるのがひどく不思議だった。どこにも光源などないのに。

(……どうしよう……)

 来てみたはいいものの、思った以上に何も見えないこの空間、今度こそ何をすればいいのかわからない。行けば何かしらヒントがあると思った私が悪いのか。仕方がないので、ゆっくりと手探りで歩くことにする。何かにぶちあたればそれはそれで。


 行儀悪く足で前方を探りつつ、一歩一歩進んでいく。……どれくらい歩いただろうか。時間の感覚がわからなくなるこの奇妙な空間、普通なら発狂しそうなほど淀んだ暗闇だったが、なぜか私にとっては恐ろしいものではなく、むしろ落ち着くと思ってしまう。不安もなく歩き続けられるのはそのせいだろう。


 ふと、何かを踏んだ感覚がして私は立ち止まった。そして服が濡れるのも構わずしゃがみこむ。踏んでしまったそれに恐る恐る手を伸ばすと、固いのか柔らかいのかよくわからない、なんとも不思議な感触がした。何だろう、と私は特に怪しむこともせずにそれをつまみ上げる。


「……うん? 何これ?」


 両手よりも少し小さいくらいの、平たい、クッキーくらいの厚みの何か。――黒い、ような気がする。どう考えても無機物だ。何度かひっくり返し、無害なことを確認しながら手で輪郭をなぞると、特に規則性などなく、歪な形をしているとわかった。何かの欠片のようにも思える。

(弾力はある……匂いはないし……いや、だからなにこれ)

 とりあえず謎の物体Yと名付けてみる。振ったり叩いたりしてみたものの変化はない。流石に口に含むことは躊躇われて匂いを嗅ぐにとどめたが、結局正体はつかめないまま。


 ――でも、これだ、と思った。


 自分が何をしているのかわからないけれど、これを探していたような気がする。もっと他にないだろうかと考えたのは偶然か否か。腰を下ろし、謎の物体Yを踏みつけたあたりを重点的に探すと、直ぐに同じような欠片がひとつ見つかった。

 もしかしてこういうのを集めろという話か? と思い、両手に持った欠片をひとまず膝の上に置いた、……その時だった。


「っ―――!」


 まさに一瞬のことだった。

 全てが元に戻った。一面の闇が消え失せ、いつの間にか夜の神子の祈りの間に戻ってきている。全てが夢だったかのように、泉の水の色も本来の透明なものになっていた。かなりの時間歩いた筈なのに私はその泉の淵で座り込んでいるだけ。さっき膝に置いた何かの欠片も見当たらない。


 戻ってきた―――その事実に息をつく暇もなく、私はばたりとその場に崩れ落ちた。頬に当たる湿った土の冷たい温度が気持ちいい。


「な、……なに、これ」


 意味がわからない。そして掃除もできてない。それなのに体力だけががっつりと奪われている。呆然とした私の呟きは、誰に届くでもなく空しく消えていった。

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