黒い髪、黒い瞳
『――――地味だな』
震える身体は止められなかった。だからせめてもの抵抗をと意地になって睨みつける。しかしそんな私を矯めつ眇めつ不躾に観察すると、あの男はどうでもよさそうにそう呟いてぱちんと指を鳴らした。その瞬間生まれた、身体中を侵食される感覚の気持ち悪さにぞっと背筋が凍る。
『……ふん、こんなものか。あれで――――と―――では、見栄えが悪い―――』
「―――だからって、私の顔に金髪碧眼は似合わないっつの」
ぽつり。零れた呟きはまだ薄暗い部屋に漂う冷たい空気に溶けていく。起きぬけの掠れた声。滑稽にも現実でさえこの身体は震えていた。夢を見たくらいで、ほんの少し思い出しただけでこのザマだ。首筋に触れた冷たい刃が今でもそこにあるかのよう―――。
私はカーテンの隙間から眩しい朝日が差し込むまで、まんじりともせず時を過ごした。今朝は最低で最悪な目覚めだった。
黒目黒髪は『みこ』にふさわしくない、という戯けた主張は、全くもってあの男の独りよがりなものなのだろう。この世界に黒目黒髪を持つ人間が存在しないわけではないし、そもそも黒という色が特に冷遇されているわけでもない。太陽が出ている間に外に出て周囲をぐるりと見渡せば、そこに幾つかの黒を見つけることができる。
ああ、確かに黒い髪と黒い瞳が揃っている人間は少なかった。数十人にひとりいるかいないか、そんな程度だと思う。それを稀少性があると言うにはちょっと大げさな気がした。
第一、あの男は間違いなく“地味”だと言ったのだ。私の生まれ持った髪を、瞳を。地味?見栄えが悪い?そんな下らない理由で色を勝手に変えられたのではたまったものじゃない。全く腹立たしいにもほどがある。
「行ってきます、アニーさん」
「行ってらっしゃい、ラギ。気をつけるんだよ」
不愉快な気持ちがおさまらないまま用意を終え、それでも仕事場へ向かう頃には多少落ち着きを取り戻していた私は、普段通り管理人のおばさんに声を掛け一歩外に出たところで……そのまま思わず足を止めた。眼前にはいつもと違う光景が広がっている。
通りのあちこち、いや、至るところに溢れる黒、黒、黒。
「―――――」
今日、か。私は後ろ手に扉を閉め、動揺を押し隠して歩き出す。町中に貼られた紙が、風に吹かれてまるで嘲笑うかのように煩い音を奏でていた。
「―――おはようございます」
「ああ、ラギ。おはよう。今日は朝から随分と騒がしいねえ」
「おはよう!え、でも仕方ないですよ、今日が初日なんだから。ね、ラギ?」
食堂に着いてもそのどこか浮ついた空気は変わらず、ひとり重く沈む心を持て余す。
「そうですね。確か、お祭り……でしたっけ」
「君ね、自分に関係ないからって興味なさすぎでしょ……」
ネヴィも炊事場のおばさんも今日から始まる“選定”が気になるようで、窓の外にちらちらと視線を向けていた。視線の先にはやはり黒、黒、黒。人の流れはゆっくりと、しかし確実に城の方へと移動している。
国王逝去の後公布されたあるものに従って―――黒目黒髪を持つ人間が、この町に集まっているのだ。
お祭り、と曖昧に言葉を濁したのは、私がその催しの正式名称を知らないからだった。食堂の皆の反応からするに、恐らく幼い子供でも知っているものらしい。聞けるわけがなかった。
だからこっそり噂話を盗み聞きするなどして何とか情報を集めた結果、季節が一巡りする間に二回、私の世界風に言い換えれば半年に一回あるというその催しは、一日中……つまり夜を通り越して朝まで続く宴だと判明した。それも屋外で、だ。
半年に一回、その日だけ、彼らは夜を忌避せずに過ごせる――――。
どんな現象なのかさっぱり分からなかったが、今はとりあえずそういうものとして無理矢理納得することにして。
「そうさねえ、募集してる踊り子は黒目黒髪なんだろう?演目があれじゃあしょうがない。選ばれたら結構いい報酬貰えるのに。残念だったね、ラギ」
「いえ、人前で踊るなんて想像しただけで気絶しそうですからいいです」
「うんまあ、それは私も同感だけど」
町のどこでも、あのフラグ美形男が倒れていたゴミ捨て場にも貼ってあったお知らせ、という名の踊り子募集、という名の、……指名手配書じゃないかと私は思っている。もちろん字が読めない私は最初「何か貼ってあるな」程度にしか思っていなかったが、それらが貼られた次の日の食堂ではその話でもちきりだった。読めない人の方が多いので年長者が内容を読み上げてくれるのを私は隅の方で聞いていた。
祭りの演目に関しての一般募集―――二回ある祭りのうち一回は、貴族ではなく一般市民が踊りを披露するのだという。練習の費用は国持ち、更には報酬も出るとなるとあの志願者の多さは頷ける。ただ。
「黒目黒髪の者男女問わず五十名」、それが今回の募集内容だと知ったときの、私の胸底から湧き上がった不快感は――――。
「せっかく条件は揃ってるのに、挑戦すらしないなんてもったいないよネヴィ。あんたの容姿なら合格するんじゃないのかい。舞人に選ばれたらきっと店長も……」
「いいのいいの。緊張するし、別に食べるのに困ってるわけじゃないんだし、それに」
「それに?」
「……。……ううん、何でもない」
「……?」
そう。数十人にひとりいるかいないか、という黒目黒髪のひとりがネヴィである。私が奪われたその色を持つ彼女に、だから余計近づきたくはなかったのかもしれないと思う。親しくなりたくなかったのかもしれないと思う。今どんなに切望しても戻ってはこない、色。
しかし反面、ここに来て複雑な気持ちだった。黒目黒髪を募集する貼り紙、紙自体の材質は荒いものだったが手作り感が溢れていて、このビラを作るだけでどれだけの費用が掛かったのだろうと斜めに邪推したくなる。
もし、わざわざ、国が“黒目黒髪の者を探すため”に黒目黒髪が必要な演目を選んだのだとしたら?
踊りの習得費用、報酬、それらのキーワードに、黒目黒髪を持ってこの国に召喚された『みこ』に対するメッセージが込められていたとしたら?
もし、もしも。全てが仮定の話だった。何もかも私の勘違いにすぎなくて、国は『みこ』に関して何も知らず全ては偶然の一言で片付けられることかもしれない。けれども、何がきっかけになるかなんて誰にも分からないのだ。
そしてもしこれがフラグだったとしたら、こんなに分かりやすいものはない。
「はいはーい、今日も仕事仕事。さ、ラギ行こう」
「あ、前の連帯責任……」
「お菓子ね!ちゃんと持ってきたわよ、分かってるってば」
「あんたたち!……はあ。もう、監督に見つからないようにしなよ」
「あはは、了解ですっ!」
例えば、今、私が黒目黒髪のままだったとして。
今のように飢えと戦っていたとしても募集に乗ったりはしなかっただろう。保障なんて何もない、どこで落とされるか分からない。
あの男が居たところなど信じない。
(誰が行くか、……ばーか)
心の中で口汚く罵りつつ、私は大量の野菜を抱えていつもの裏庭へと向かう。
そして、今、金髪碧眼であることに感謝なんかしない。募集条件から外れていることに安心したりはしない。
――――あの男がやったことに救われたなどと思うものか。
絶対に。
序章終了。