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薄闇の眠りを  作者: 吉舎街
第三章
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鍵を手に、城へ

 純白のドレスと、刺繍が美しい薄絹のベールを身に纏って彼女はくるりと回ってみせた。その他に目立った装飾品の類は身につけていないが、全体的にシンプルな分、むしろ神秘的な要素が強調されている。

 化けたな、というのが私の正直な感想だった。いつも笑顔を振りまいているネヴィ―――その生命を感じさせる明るさはすっかり鳴りを潜めており、少し目を伏せて黙ってしまえば、作り物めいた美しさだけが浮かび上がる。


 世界を守るものとして、人々の信仰の対象にするにはうってつけの『光の巫女』がそこにいた。


「ねえ、ラギ。これ全部でいったいいくらすると思う?」


 ……黙っていれば、の話だが。




 即物的な話題で一瞬にしてその神々しさをぶち壊した彼女は、ドレスの裾を両手でつまみ矯めつ眇めつしながら小首を傾げた。確かに、衣服に使われている触り心地のいい布は城下町でもとんとお目にかかったことがない。ベールに施された細かな刺繍も、腕のある職人によって手が掛けられていると見て取れた。この世界ではかなり高級品だろう、とも。


「一家族、かなり長期間余裕で食べていけるくらい、ですかね」

「……もしかして、まだお腹空いてる? お菓子あるよ?」

「いえ。今朝、『たくさん』いただいたので大丈夫です」


 私と共に朝食をとる羽目になった似非役人―――いや、宰相補佐官殿が頬を引き攣らせるくらいには存分に。何人分と考えて用意したかは知らないが、食卓に広げられた料理の数々から好きなだけ食べてもいいと言われたので遠慮なくそうした。

 暫く病み上がりで白湯みたいな食事しかできていなかったせいもあるが、多分私は、明確に示したかったのだと思う。私から見れば小食すぎるくらい小食なこの世界の住人に、これがこちらの「普通」なのだと。もちろんその際、これが朝食、これが昼食、これが夕食と、私の世間一般常識に基づいて平均的な量を示しておいた。


 今後の参考になればという親切心からであって、まったく他の意図などない。ええもう。もりもり食べる私を見て愕然としていた彼の顔は、普段涼やかな(つら)をしているから余計傑作だったと記憶している。


「なんか緊張するなあ。てっきりラギがついて来てくれるんだと思ってたのに」

「まあ、次期候補―――としても、極力表に出さない方向で行くそうなので。応援してますから頑張ってください」

「……。いま外に出るの面倒くさいって思ったでしょう」

「…………」


 にっこり。無言の肯定に、けれど彼女は怒らなかった。食堂で下働きをしていた頃とは違い、この国に、城に、私達は所属することになった。城と町の間には聳え立つ門があり、そこを抜けるには非常に面倒な手続きを終わらせなければならない。騎士団の詰め所を通る場合はその限りではないが、今は割愛するとして。

 あとは身だしなみだ。今までのようにぼさぼさの髪をひとつに纏め、薄汚れた服を着るなどもっての外。時間を掛けて頭髪を整え、衣服を揃えて……となると、行かなくてもいい場合は動きたくなどなくなる。国側が私を極力外に出したがらないのだから尚更の話。


 ネヴィには心細いかもしれないが、そこはそれ、屈強な騎士たちがきちんと守ってくれるだろう。笑顔を作って手を振っていればすぐに終わる。―――人々の期待が、たとえば心に刺さるとしても。


「巫女様、そろそろお時間です」


 扉の向こうから声が掛かった。はい、とネヴィが返事をすれば、声の主である騎士団長が静かに部屋の中に入ってくる。正装―――と言っていいのかどうか、式典用っぽい緋色を基調とした衣服に身を包む彼は、よりいっそう―――……。

 一瞥の後、目が合う前に視線を逸らした。わざとらしいことこの上ないが、私は彼らに対してどういう態度を取っていいか未だに決めかねている。


 何かあったら絶対言ってね! と言い残して出て行く彼女たちに軽く手を振って見送り、完全に足音が消えた頃にふと息を吐いた。がらんとした部屋、彼女のでも私のでもなく、今日限りの控え室。ネヴィはこれから『光の巫女』として、人々にお披露目される。この身を世界に捧げますと宣言しに行くのだ。かつて彼女の姉がそうしたように。

 理解できない、と目を逸らし吐き捨てる日々はもう終わった。これからはどんな細かなことも見逃さずに知識を吸収していかなければならない。選定を正し、――――帰るために。



 夜の神子の祈りの間で空腹にぶっ倒れたあの日、私は盛大に熱を出した。体温計がなかったから正確なところはわからないが、絶対三十八度を超えていた。

 甲斐甲斐しく世話をして下さった侍女らしき方々には頭の下がる思いだったが、寝込んでいる間半分以上意識が朦朧としていて誰が誰やら全く覚えていない。唯一、ネヴィが何度も会いに来てくれたことは記憶の片隅に残されているのだが。

 とにかく私は体調を崩し、幾度か太陽が昇ってから目覚め、その間に全ては終わっていた。対外的には、選定期間の終了、という形で。


 視線を足元にやると、腰から下を覆う薄茶色の前掛けが目に入った。私を介抱してくれた女の人たちもこれと同じような服を着ていたとぼんやり思い出す。つまり、今私が身につけているのは使用人、あるいは侍女の服である。表向きは新たに雇われた使用人、しかし実際は次期巫女候補として国に保護されている身―――という、設定。


 私の一日の大まかな予定は彼らに管理されることになっており、また、基本的には侍女頭と名乗った女性が、その他変則で騎士がひとり、常に行動を共にする。今日は光の巫女のお披露目と題した国家行事があるため、その準備で忙しいのだろう、今朝私を起こしに来てくれた当の侍女頭……恐らく四十歳半ばくらいだ……は、私が宰相補佐官との朝食を終えた後、申し訳なさそうに頭を下げた。


 その背後に、腹立たしいほどに平然としているあの『黒い人』を従えて。


(騎士団長でも気まずいけど、黒い人の方がもっと気まずい!)

 今日一日、部屋に引っ込んでいるとき以外はずっと一緒に居なければならないなんて。何しろ懐刀に目をつけたところをばっちり近距離で目撃されているのだ。なんだか他にも色々見透かされそうで、怖い。

(でもまあ、事情を知る人間は出来る限り少なくしたいだろうし―――)

 黒い人の地位がどうだかは分からないが、騎士団長のような広く知られた人と関わるよりはまだまし、といったところか。仕方がない。譲歩するべきところはきちんと受け入れなくては。

 正直嫌だなと思いつつも、私は、今日の護衛、つまり黒い人が待っているであろう廊下に続く扉へと、一歩足を踏み出した。








「話を、しましょう」


 騎士団のそれとは違ってやや小ぶりな執務室。中央奥、位置が高めの窓と窓との間に置かれた重厚感あふれる机。調度品の木目が美しい光沢を帯び、差し込む日の光を浴びて煌いている。ネヴィの着ていたドレス以上に高そうな椅子に深く腰を下ろして、宰相補佐官は言う。話し合い、では、ない。今日のところは。


「……光の巫女のお披露目で、今日はずっとお忙しいのでは?」

「構いませんよ。そもそも私は、表立って動くことはあまりありませんから」

「…………」


 裏でこそこそ嗅ぎまわることはする、と。なるほど。騎士団長曰く人使いは荒いらしいが、食堂でネヴィに探りを入れようと自ら動いていたことを考えると、単純にただ頭の切れる文官などと思わないほうがよさそうだ。

 補佐、という彼の立ち位置が何とも微妙だと思っていたが、地位がひとつ下な分だけ自由に動けるのだろう。私のような反則的な存在を相手にするには、その位の方がいいと判断したのかもしれない。


 今、この部屋には私と宰相補佐官しかいなかった。私をここまで案内してくれた黒い人は扉の向こう、部屋の外にいる。ある程度声は届くのかもしれないが実質二人きりだ。ただ、祈りの間で相対したときに比べればまだ漂う空気が柔らかい。

 もちろん表面的なものだと知ってはいるが、互いに全く変化がないわけではないのだ。私にとって最も重要なのは、彼が騎士とは違ってぱっと見何らかの凶器を持っていないこと。単純な話、それだけで呼吸が幾分楽になるような気がした。


「こちらこそ、無理を言って申し訳ありませんでした」

「いえ。特に興味もないので、大丈夫です」

「……そうですか。助かります」


 体調が戻ったばかりなのに呼び出したから、というより、ネヴィのお披露目を見に行くなと実質“命じた”ことを謝られたように取れたので、特に何とも思っていないことを告げておく。彼らにとっては重要な行事でも、私にはどうでもいいことだ。取るに足らない、瑣末な。

 知らず含んでいた突き放すような響きに、言葉にしてから相手に配慮が足りなかったかと少し後悔するも、宰相補佐官はひとつ頷きそれ以上の言及を避けた。怒ったかどうか、苛立ったかどうかさえもわからない。すべては綺麗に押し隠されている。


「では、今後のことについてですが―――」


 城で生活する以上、不自然にならない程度の一般常識を身につけてもらうというのはもう既に聞いている。ネヴィにも変人だと思われていたように、私はものを知らなさ過ぎる。いくら田舎から出てきたと言い張っても限度がある、と言われてしまえば黙るしかない。

 確かに良くも悪くも目立つのは得策ではないと理解しているので学ぶことに否はなかった。二つ返事で了承したからその話は終わったはず。では、今後、と改めて言うのならそれとは別のことなのだろうか?

色々なことを考えながら見ていると、とりあえず当面の生活についてです、と前置きの上で、彼はどこかからひとつの鍵を取り出した。


「……それは?」

「ある倉庫の鍵ですよ。さあ、どうぞ。手に取ってください」


 金属のような音を立てて机の上に置かれた艶のある黒い鍵に視線を奪われていると、はやく受け取れとばかりにずいと押しつけられる。促されるまま手に取った瞬間、なぜか鍵が溶けるように跡形もなく消え失せた。


「えっ……!」

「法術の一種で、今、その鍵の所有権を貴女に移しました。もちろん身体に害はありませんのでご安心ください」


 いやいやいやいや。もっともらしく言っているけれども、事前の説明一切なしに人に得体の知れない術を掛けるのはどうかと思う。礼儀として、いや、―――交渉の作法として!

 ここでなあなあにしてしまえばこちらの立場が悪くなる。前例を作っては駄目だ。決意と共に私がはっきりと抗議を込めて睨みつけると、宰相補佐官はゆるりと口元を引き上げた。その笑みが私を嘲るようなものではないとすぐにわかったが、何と言えばいいのだろう、こう、どこかしてやったりな雰囲気を醸し出している。いらっとした。


「貴女に不自由を強いる代わりに、と言ってはなんですが」

「……どういうことですか?」

 それではまるで彼が譲歩したように聞こえる。

「ここに滞在している間はその鍵を自由に使っていただいて構いません。倉庫の中にあるものも、必要であれば、持ち出しを許可します」


 もちろん返却はしていただきますが。彼はそう締めくくり、席を立った。そのまま事態を理解できずに固まる私に一礼して、行きましょうかと扉を指し示す。

 行く、とは、その倉庫とやらに? その中に私が必要とするようなものがあるというのか。いったいそれは。漠然とした不安がふと胸を過ったが、ネヴィが帰ってくるまでの時間はまだまだあるので、ひとまず大人しくついていき、様子を見ることにした。

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