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薄闇の眠りを  作者: 吉舎街
第二章
46/85

さあ、物語を始めよう

 はっきり言おう。私は、与えられたこの色が大嫌いだ。ネヴィの姉の色だという新たな情報を得ても、その気持ちは全く揺るがなかった。嫌い。大嫌い。いや、むしろ憎んでいると言った方がいいかもしれない。この色は象徴なのだ。私があの男にされたこと――拉致監禁強盗脅迫兵糧攻め――すべての。


 奪われ、何も持たない私が「生きる」ために、その忌々しい記憶は邪魔にしかならなかった。なぜ私が? なんのために? そんなことを考え出せば、最後には蹲って泣き喚くしかなくなるから。私は「生きる」ため、日々の糧を得るために重労働に精を出すことで、ずっとそれから目を逸らしていた。




 似非役人は言う。


 夜の神子の召喚は、あってはならないことだと。あってはならないことだった、と。これが国内外に知れ渡れば、再び過ちを犯した国として世界中から糾弾を受けるだろうこと。本来なら、国王が犯した罪、罰としてその謗りを受けなければならないことは重々承知の上だが、それでも、どうか、どうか。

(……なんっで、また頭下げるかなあ……)

 せっかく立ったのにご苦労なことである。しかも今度は後ろの騎士二人も膝をつくというおまけつきだ。

 つまるところ、国で保護するにあたって、黒目黒髪よりも金髪碧眼の方が色々やりやすい、という話だった。私を死なせないよう後生大事にもてなすとして、その対象が黒目黒髪だった場合、周囲のいらぬ憶測を呼びやすい。金髪碧眼であれば、次代の巫女候補だなんだとこれ以上ない言い訳ができる、か。

( し る か )

 ボケ、と口に出さなかった私を誰か褒めるべきだろう。そんなの、私の知ったことじゃない。それこそそっちの勝手な事情であって、私がそのお願いを聞いてあげる理由はどこにもない。せいぜい勝手に困ってろ……と吐き捨てることができれば良かったのだが。


 私は考える。


 突き放すのは至極簡単だった。奪われた色を元に戻す――その方法を彼らしか知らなかったり、彼らの協力が必要不可欠だったりした場合、『舌噛み切って死んでやる』などと現実に出来もしない脅しを掛けることは可能だ。憎しみは確かにここにある。そういう駆け引きの末に、望む結果を得られるかもしれない。ただ。

(私の目的の為には……)

 似非役人がさっき口にした、力の及ぶ限りの協力とやらが非常に魅力的なのである。私が世界を壊す、もとい壊せる存在であることは全世界共通の認識だとして、事情を証明できれば、この国以外の国においても保護を求められるはず。


 他の国とこの国との違いはなにか? 当事者かそうでないかの違い……そう、私に対する明確な罪悪感があるかないか、の、違い。

 夜の神子の召喚が百年ぶりだと言うのなら、当時の被害がどうであったにせよ、それぞれに温度差が生まれるはずだ。私の快適な生活のためにある程度の負い目はあった方がいい。私を守るものはひとつでも多く。


「今しばらく、ってまた曖昧な話ですね。はっきりとした区切りはないんですか?」

「それは―――」


 お互いの目的がはっきりしていないこの状況で、今後の予定を立てられるわけがない。まあ答えられないだろう、と知りながら、私は言いよどむ似非役人をじろりとねめつけた。この要求は到底受け入れられないと言わんばかりに。

 一方で、嫌いで大嫌いで忌々しくて憎らしいこの色を纏い続けることを、突き詰めれば、どうしても我慢できないわけじゃない自分がいることも理解している。私の目的は元の世界に帰ることで、もしそれが叶うのならば、色を取り戻すのが帰還の直前になったって構わないのだ。―――帰れるのなら!


 だから、私は考える。私と彼らの優先順位を。何が私にとって利益になり、何が彼らにとってそうなるのか。あるいはその逆も。張り詰めた空気を壊さないよう、少し声の調子を落として私は次のカードを出した。


「私の荷物を、返してください」

「……荷物、ですか?」

 彼らにとってはいきなりの話題変換に、返答に僅かに間が空いたのがわかる。訝しげな声に、はい、と何でもないように頷きながら言葉を続けた。

「こちらに来るときに持っていたものなんですけど、取られてしまったんです。服とかも全部」


 それは言葉通り全部である。鞄をはじめ、装飾品も靴下から下着に至るまで全て。もちろん服は脅されつつ自分で着替えたのだが、男に投げ渡されたごわごわした布の固まりには少し辟易したものである。国王とか名乗った癖に、用意された服は非常に肌触りが悪かった。いまいち彼の素性を信じ切れなかったのはその所為もあった。


「それを、ひとつ残らず返してくださったら、……いいですよ。“今しばらく”このままで」






 さて。

 今しばらくの現状維持を受け入れることが、私にとってどれだけの譲歩だったかなど彼らは知らないだろう。しかし、何か感じるところはあったのかもしれない。

 彼らの行動は素早かった。体感で十分弱。私がそう宣言すると同時に後ろの騎士二人が退室し、やがて何かを抱えて戻ってきた。見慣れた鞄と、見知らぬ布に包まれたもの。

(――私の荷物!)

 あるのかよ、と内心思わず突っ込んだ。保管されていればいいなあと期待しつつ、証拠隠滅のために破棄されている可能性の方が高いと思っていた。夜の神子召喚の危うさを聞けば聞くほどその思いは強まったし、だからこそひとつ残らずという私の台詞は嫌がらせに近いものがあったのだが。


「……確認を、お願いします」


 扉の傍で控えている二人の騎士と、三度頭を下げる似非役人。泉の向こう側に並べられた私の荷物。

この人達は何を考えているんだろう、と、その時初めてそう思った。仮に荷物が全て揃っていたとしても、私が難癖つけて要求を突っぱねたらどうするつもりか、とか。そもそもこんな小娘の言うことを聞かなければならないことに苛立っていないか、だとか。

 様々なことが頭に浮かぶのに、訊ねるつもりは微塵もない。ただ、私の言葉に唯々諾々と従う年上だろう男性陣に怖気づいたのかもしれなかった。善良な一般人たる私にそういった経験があるはずもなく。


 促されるままに、荷物に視線を向ける。布に包まれていたのは衣服一式で、上から下まで綺麗に揃っていた。こちらに見せるため花柄レース付きの下着を手に取る騎士団長、というその絵面はかなりシュールなものだったが、指摘するとこちらもある意味恥ずかしいので黙っておく。

 それとは別に、地面に敷かれた布の上にちまちま広げられていく鞄の中身は、この距離でも十分見て取れた。財布、ハンカチティッシュ化粧ポーチその他もろもろ、そして、―――まっぷたつに折れた携帯電話。


「……」

「……」

「……」

「…………」


 あっ。隣から聞こえたその短い一言が、祈りの間にいた全ての人の心情を端的に表していた。恐らく、携帯電話などというものの存在を知らない人間でも、明らかに壊れていると分かる状態のそれ。流石の似非役人もそれを取り出す瞬間には見るからに硬直してしまっていた。

 綺麗にまっぷたつになったガラパゴス携帯、逆パカでもしない限りはこうはならないだろう。当然のことながら私に心当たりはない。……一人の男を除けば。


 非常に気まずい空気が漂う中で、私はむしろ、これはこれで仕方がないと思い始めていた。荷物から引き離されてもう数か月が経過している。携帯は数日、よくて一週間も経たないうちに電池が切れていた筈だ。充電の切れた携帯なんてこの世界では壊れているのとそう変わらない。折れていようといまいと、新たに充電する術がない以上、ガラクタでしかないのだ。

 だからこれは別にいい、と私は自分に言い聞かせる。もっとも、それをそのまま告げてやることはしないけれど。せいぜい負い目を増やしてやれ――。悪魔のような囁きが静かに胸底へ落ちた。


「……はい。確かに、それで全部です」

「え、ラギ? いいの?」

「良くはないですけど。ひとつ残らず無事に、とは言わなかった……ような」

 ここでぎゃあぎゃあ喚いたところで、全く得られるものがない。無理を押し通す場面ではないと私は思う。

「では、よろしいのですか?」

「二度と私のものを奪わないと約束してくださるなら」

 この懐刀も含めて。という、私の無言の内の主張を正確に読み取ったのだろう。似非役人はほんの数秒沈黙したが、私の気が変わる前にとばかりに畳み掛けてきた。

「……。……承知しました。貴女から無理に何かを奪わないと誓います」

 微妙な言い回しにはもはや突っ込むまい。私でも、理屈が合えば、納得できるなら、彼らの要求に従うことは吝かではなかった。話し合いという手段をとってくれることを期待している。―――と、脅しているのだから。




 最後にぺしりと一度だけ懐刀を手のひらに叩きつけると、私は、ぐっと両足に力を入れて立ち上がった。刀を左手に持ち替えて右手をネヴィに差し出す。それは終わりの合図。私の手を取って彼女が傍に立つと、こちらの心を読んだかのように懐刀の鞘を渡してくれた。これに納めた瞬間から、私は。


「―――あなた方の保護下に入ります」

「可能な限りの助力を、貴女に―――」


 意識して口の端を引き上げれば、同じく笑みが返された。共通しているのはそこに親しみや温かみなどが全く存在しないということ。似非役人の今までの言動は、決して信用に足るものではない。そして国側にとっての私も同じく、あるいはそれ以上に胡散臭く厄介な存在であるに違いなかった。

 冷ややかな、吹雪を通り越して雹でも降りそうな空間のなか、長い間中腰でいたことなど全く感じさせない様子で彼が静かに立ち上がるのを眺めつつ……くらり、と一瞬視界がぶれたような気がして、私は何度か瞬きをする。

(……うん?)

 おかしいな、と思うか思わないか。


「ラギ? え、ちょっとどうしたの、大丈夫!?」


 至近距離で響くネヴィの悲鳴にも似た叫びにはっと我に返った時には、私は泉のほとりに座り込んでいて、ぐらぐら揺れる視界を持て余していた。そして感じる、確かな命の危機。ああ、そういえばそうだった。ここ数日間、私は、ろくに―――。


「おなか、すいた……」


 やばいなんか眩暈がしてきた。視界が端からじわりと暗くなっていく。手の中の懐刀の硬い感触だけが私をなんとか現実に繋ぎとめているが、貧血かもしれない。こんなところで、彼らの前なんかで、倒れたくなどないのに。


「お腹って、えぇえええ! あ、お、お菓子! お菓子あるからっ!」

「っ、神子様!?」


 似非役人の焦りの滲む声に顔を上げると、夜を湛えた泉を迂回するように駆けてくる黒い人の姿が見えた。本当に不思議なものである。あれだけ筋肉のついた身体を持つ強そうな男性でも、そこに“在る”夜は忌避するのか。事情を知らなければ笑ってしまいそうなほどのギャップだったが、ぼんやりとした頭では、ただただ奇妙だとしか思えなかった。

(…………変な、世界)

変な人々。いっそもっとはっきりした違いがあればいいものを、なまじ似ているから余計に気味が悪い。

伸ばされた手に抵抗する気力も体力もなく身を任せながら、私は、切実な願いと共にゆっくりと瞼を下ろした。



――ああ、白米(ごはん)食べたい。

二章終了。

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