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薄闇の眠りを  作者: 吉舎街
第二章
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茶番の舞台が整いました

 光の巫女と夜の神子、双方の祈りの間には小さな泉がある。そうネヴィから聞いてはいたが、実際部屋のど真ん中に泉があり、透明な水を常に溢れんばかりに湛えているのを目の当たりにすると不可思議な気分になる。扉一枚隔てただけで、全然違う世界が広がっているかのような……うまく言葉にできない。


 泉の向こう側、部屋の奥で存在感たっぷりに鎮座している石像は、この世界を見守っている神様の姿を模したものらしい。ネヴィが言うには、巫女の祈りの間には男神、神子の祈りの間には女神が祭られているそうだが―――目の前の石像には首から上がないので、ぶっちゃけかなり怖い。ところどころ黒ずんでいるし、苔も生え放題、誰も手入れしていないことは一目で分かった。神様なんですよね? と彼女に確認してしまったのも仕方がないと思う。

 百年前の惨劇が起こるまで、夜の神子はこの場所で祈りを捧げたという。少し興味がわいた私は、以前ネヴィの姉に会いに行ったときには祈りの間などあまり気にしなかった分、この機会にと時間が来るまでじっくり観察することにした。



 建物の中に泉を作った、というよりは、元々あった泉を囲うように祈りの間を作ったのかもしれない。どちらにせよ人の手が加えられているので自然そのままではない。床面積の約半分を占めているこれのどこが小さいのか、この世界の大小の基準はあてにならないと思いつつ、泉にしてはやけに浅いのも気になった。少し離れたところからでも底がはっきり見える。水深はおそらく私の膝に届くか届かないかくらい。

(……人が溺れ死ぬには、膝までの深さがあれば足りる)

 なんて、どこかで耳にしたたわいのない話が唐突に頭を過ぎった。ここでいつかの神子が自殺した。この泉を真っ赤に染めて―――手首からの失血死か溺死か、どちらが先だったにしても、苦しみ抜いただろうことは考えなくてもわかった。

 果たして私は、その神子に匹敵するだけの何かを持っているのだろうか。闇を使役するだの、司るだの、そういう力が私にあるとはまったく思えない。現に多少念じてみたところで何も起こらず、真剣になった私がただ恥ずかしいだけである。


 あと、仮に、神子の恨みつらみが本当に世界を壊すとして。いつまでも胸の底に燻り続ける私のどす黒い感情が、非道の限りを尽くされたいつかの神子のそれと同じだとどうして言える? あるいは程度の差など関係ないとでもいうのか?

 そういうことを確かめられない以上、必ず同じことが起こるという保証はどこにもない。だが、その可能性を武器にして戦うと決めたのだから、私はそれを否定してはいけないし、疑ってもいけない。信じることはできないけれど。

(返答次第では、っていう風に脅すには、こっちも本気でやらないと―――)

 抜き身の刃を“盾”に、私はどこまでできるのだろう……? 手の中の懐刀が、少し、重くなった気がした。





 こんな風に彼らを脅迫して自分に少しでも有利な立場を勝ち取ろうとした行為は、あの男の取った態度と何ら変わらないのだと、私は最後まで気付くことができなかった。





 ざわり。首筋に何かが走ったような気持ち悪さを覚え、私は扉の方へと視線をやった。耳を澄ませば、確かに足音が聞こえる。あの音が響きやすい廊下を歩き、どんどん近づいてくる――誰か。

(ひとり、……かな)

 汚れてどこかかび臭い石像に寄り添うように立ち、私はその誰かを待ち受けていた。すぐ右隣にネヴィがいる。目の前にある広くて浅い泉のおかげで、扉からは割と距離があった。私達の所へ来るには、ぐるりと泉を迂回するか、水の中を突っ切ってくる他はない。水深は膝丈とはいえ、移動速度は格段に落ちる。この刃を振るうには十分な時間が稼げるだろう。

 問題は、その「刃」がいったいどちらに向いているのかという話であって……。

(……ん?)

 瞬間、生まれた静寂に私は内心首を傾げた。足音は、今確かにこの部屋の近くで止まった筈なのに、いつまで経っても扉を叩く音がしない。と、くれば。私はゆっくりと深呼吸をして、扉の向こうに届くよう声を大きめに、どうぞと言った。扉の前で立ち尽くしているだろう誰かに入るよう促す。

 祈りの間の窓は通常より高い位置にあり、その全てに鉄格子がはめられている。誰かが異変に気付いたとしても、まずその扉を開けなければ何も始まらないのだ。



 赤い髪。陽の下で見たときにはそう単純に表現したものの、少ない明かりの中で見ると赤は深みを増し、落ち着きのある色味が彼の印象をがらりと変えていた。もしくは、この状況がそうさせているのか。感情の見えない瞳が油断なくこちらを見据えている。彼の視線が動き、ネヴィの無事を確認しただろうところで声を掛けた。


「こんばんは」


 『あいさつを学ぼう~基本編~』の絵本を見る限り、そんな挨拶がないと知っていて、あえてその言葉を使った。笑顔は嘘くさくなるだけなので作らない。けれど怯えの欠片も見せまいと両足に力を込め、私は床を踏みしめる。


「今夜はいい天気ですね。雲ひとつなくて。星が、綺麗に見えます」

「君は……、確か、食堂の――」

「はい。どうも、この間は大変お世話になりました」

「…………」


 この人、すごい。私は思わず舌を巻いた。私という、知っている人間を認識して剣の柄から手を放しはしたけれど、いつでも抜けるようまだ構えている。警戒を解いていない。こちらの明るさを装った言葉にも全然つられなかった。ゴミ捨て場で煙に巻けたのは奇跡というほかはない―――あのフラグ美形男がいたせいなのかもしれないが。

(……やっぱり、怖いな……)

 黙って対峙している時間が長引けば長引くほど、私の繊細な心が傷ついてしまう。だから、これ以上距離を詰められる前にと、私はその存在を主張するように、一度、懐刀の背を掌に叩きつけた。


 ちなみにこれ、間抜けな音にしかならないくせに実は割と痛い。我慢してもう一度。……ぺしり。巫女様を迎えに来た騎士、というか護衛役が、私という不審人物の一挙一動を見逃すわけがない。まだ困惑が見え隠れしていた表情をすっと消し、彼は部屋の中へと一歩踏み出してきた。

 それに応える形で挑発するように心持ち顎を上げ、到底見下せない身長のお菓子の人を牽制してみる。これでヤンキー座りすればどこぞのチンピラになれるかもしれない。


「……どうやって、ここに来た」

「え? 歩いてですけど」


 普段の物柔らかな、悪く言えばチャラいフェミニストっぷりはどこへ行ったのか。なるほど公私はしっかり分けるタイプとみた。詰問口調のせいか声がかなり低く更に迫力を増して私を責める。いつ剣を抜かれてもおかしくないような雰囲気が苦しくて、背中に冷や汗が滲んだ。


「歩っ――いや、そういうことでなく!」

「柵を越えて、訓練場を突っ切ってきました。さっき」

「な……っ!」


 まあ、あまり長続きはしていないようだけれども。立て続けに情報を出して畳み掛けると、圧迫感が薄まり呼吸が少し楽になった……が。お菓子の人は一歩踏み出しただけで後は全く動く素振りを見せない。こちらを慎重に窺っていることしか読み取れない。扉は片方開け放たれたまま。

(ううん……理解してる、でいいのかどうか)

 私の、端から見れば『子供が刃物持っちゃいけません』『そういうのをやりたい年頃なのね』とも取られそうな意味のない行動を、正しく脅迫だと受け取ってくれるか否かが重要だった。相手が脅迫されていると認識しなければ無駄以外のなにものでもない。


 下手をすれば、わかりやすく「こいつの命が惜しければ……」なんて小芝居を打たなければならなくなる。そんな、道中すっ飛ばしてもろ命の危機に直行するような選択肢は御免こうむりたい。……って、待てよ。もしかしたら、夜に外に出たから頭が狂ったと思われてる可能性が……?

(あああもういい、面倒くさい! 次移ろう、次!)

 私が今この泉に入れば話は早いだろう。手っ取り早く全部が説明できる。けれどそのカードは後に取っておきたいのだ、もうどうしようもなくなるまでは。だって私にはまだ切れるカードがある――――隣にネヴィがいる。私がいったんお菓子の人への威嚇をやめて姿勢を正すと、心得たとばかりに横から援護射撃が始まった。


「あ、のっ、リカルド様!」

「……巫女様」

 あ、巫女様って言ったこの人。もう決定事項ですか、そうですか。

「ちょっとですね、その、私達、シュルツさんにお話があるんですけど」

「シュルツ、……ですか?」

「……誰?」

「こら、ラギ! 君が呼べっていった人でしょ!」


 ああ。あの似非役人、そういう名前だったっけ。私はお菓子の人から視線を外さないまま、また懐刀を手中で弄ぶ。今の彼女の台詞は良かった。“言わせている”と思ってくれた方がありがたい。


「すみません、お名前存じ上げなくて。以前お二人で食堂にいらっしゃった時に、ええと、確か」

 柄を握る右手に力を入れる。決して震えることのないように。

 斜め上に向けた刃の先にあるのは、私の首だ。

「町役場に勤めているとかって大嘘ぶっこいた方――でしたっけ?」


 似非役人がネヴィと話をするために食堂から人を誘い出していただろう張本人だ、何の話か分かるはず。嫌味たっぷりにそこまで言って、ようやく、私は笑みらしきものを浮かべることができた。ひとまず計画の一段階目は乗り越えた、と肩の力を抜きかけたそこに、お菓子の人が訝しげな様子を隠しもせずに問い掛けてきた。どうも腑に落ちない顔をしている。


「君は……彼女を連れ戻しにきたんじゃないのか?」

「えっ何ですかそれ」

「えっ私?」


 私とネヴィの声が少なくとも一言目は完全に重なった。あまりにも唐突すぎて、二人で顔を見合わせてしまったくらいだ。騙し討ちでなかったことは本当に幸いだった。まったく、一瞬たりとも気が抜けないのはいただけない。慌てて正面に向き直り、彼がその場から動いていないことを確認して、私は安堵の息を吐いた。

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