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薄闇の眠りを  作者: 吉舎街
第二章
42/85

魚心、あれば水心

 音を立てないようゆっくりと扉を後ろ手に閉めた途端、私は、がくりと膝からその場に崩れ落ちた。彼女が慌てたように駆け寄ってくるのを目の端に捉えながら、大きく息を吐く。

 心を満たすとあるひとつの感情。それはまるで、離れ離れになっていた親子が再会したかのような、失った大切なものが思いかげず戻ってきたかのような、泣きたくなるほどの強い安堵だった。

(…………なに、これ)

そしてそれを他人事のように醒めた思考で眺める、もうひとりの自分。



 私はすっかり痛みの消えた頭を持ち上げて、眼前で床に膝をついて心配そうにこちらを覗き込むネヴィを見返した。彼女の鮮やかな金色の髪は、恐らく今の私のものと寸分違わぬ輝きを纏っているのだろう。綺麗な翠色の瞳がどこまでも澄んだ光を湛え、私の心を貫く。見慣れた黒という色はもうどこにも見当たらない。

 その急激な変化にも関わらず、私は一目で彼女をネヴィだと判断した。彼女でしかありえないと理解していた。……多分、自分の意識とは違うところで。

 本来の色をどうやってか取り戻しただろうネヴィを見ると、黒目黒髪だった頃よりもしっくりくる、というのが正直なところだ。彼女の顔立ちには、その色が似合う。そう、いわゆる『光の巫女』の見本のような、姿―――。


「あの、……ラギ? だ、大丈夫?」

「…………、目的は?」

「え?」


 無様に座り込んだまま、私は彼女に尋ねた。もう守りたい誰かがいないのなら、巫女になることで守れるものがないのなら、いったい何の為に命を投げ捨てるような真似をしたのか、と。この世界の人々に聞かれれば怒られそうな表現をあえて使った。もっとも、それを聞いてネヴィが怒るかどうかは別の話だったが。


 ともかく、彼女の実情がどうであれ、『選定』に指名されたわけでもないのに、自ら生贄に立候補するなど狂気の沙汰である。姉をずっと見てきた彼女のことだ、『光の巫女』がどういう終わりを迎えるのかを誰よりも分かっているはず。それに対する恐怖、躊躇い、あらゆる負の感情を凌駕するだけの理由……私は、その理由を知りたい。

 何でも答えてあげるという例の報酬が今も続いているとは思わないが、ネヴィはそう悩むことなく口を開いた。


「この国は、最近、変わり始めたばかりなの―――」


 酷いことをたくさんしてきたのだと彼女は言う。毒入りジュース事件からわかるように、人攫いやそれに準ずる犯罪が全国各地で横行していた。しかし巫女候補を確実に集めるため、国がそういった悪事を半ば黙認し、放置していた。子や兄弟姉妹を失った家族の嘆きよりも、巫女の安定した供給を優先したのだ。世界の為といえば聞こえはいいが、単なる国ぐるみの犯罪教唆に過ぎないだろう。

 制度に振り回される高官たち。指定された色のせいでほとんど貴族が選ばれないのをいいことに、まるで人を人と思わないような振る舞いが続いていたらしい。彼女は語る。おそらくは、国民に公表されずに亡くなった巫女あるいは巫女候補も多数いるのではないか、と。


「でもね、何年か前のことなんだけど。それが悪いことだって声を上げた人がいたの。……当時の王を弑して、澱んでいたこの国に新しい風を起こした」

「…………」

 私は、それが誰か、などとは聞かなかった。

「この国は、ね。変わり始めていたから。全部全部、これから始めるの、だから」

「……だから?」

「うん。私も、間違いを正したい。間違いだと知ったなら、きちんと正していかなきゃ駄目だと思う」


 それはこんな風に命を懸けなければできないことなのか? この世界ことをほぼ何も知らない私には分かる筈もない。そのまま無言で続きを促すと、ネヴィは神妙な顔でひとつ、告げる。



「―――私は、『選定』を正したい」



 曰く。十二年前の選定で、ネヴィに反応が出たこと自体がそもそもおかしい。

 まず、年齢について。十歳以下には反応が出ないとされてきたにも関わらず、当時、彼女は五歳にも満たなかった、らしい。らしいという曖昧さは、彼女自身、最近まで自分の年齢を知らず、後になって姉から伝聞という形で情報を得たから。

 次に、ネヴィの姉について。彼女の姉は自身のその色彩ゆえに、あの日既に“選ばれなかった”。それなのに、周囲を騙して城を訪ねた際、祈りの間では巫女としての反応が出て、そのまま就任してしまったという。―――その、矛盾。仮に選定に何かしらの欠陥があるとすれば、絶対に見逃すべきではない。


「もう二度と、お姉ちゃんみたいな……ひと、を、出さないように」


 犠牲とでも言いたかったのだろうか。ネヴィは少し言葉に詰まりつつ、けれど強い決意を以って宣言した。選定を正すと。そもそも選定とは何なのか、誰かが定めたものなのか。それが人の手によってなされたものなら、百年も前に出来た制度だ、長い月日を経て不具合が生じていてもおかしくはないけれども。


「でも、何の力もない私が声を上げたって誰も耳を貸してはくれない。私には、力が必要なの」


 だから『光の巫女』になる、って? 彼女の姉がそんなことを望むとは到底思えないが。と、そこまで思ったところで、私は死ぬまで眠り続けるという今代の巫女のことを思い出した。選定期間ではなく、選定が終わるまで、とネヴィは言った。もし、もしも、ネヴィが次代の『光の巫女』などという話が完全なる決定事項であって、それが判明した時点で選定が終わることを意味するのなら。彼女の姉はもう……?

(夢の中とは違って、全部吹っ切れたみたいにネヴィが笑うから)

 化けて出たりしない限り、死人は文句など言えない、か。不謹慎なことを思いつつ、真偽を直接問うたところで掛ける言葉もないのでただ頷くにとどめた。わかりました、と口の中で呟き、私は震える膝に力を込めて立ち上がる。そしてぱちくりと目を瞬かせて私を見上げるネヴィに手を貸し、立ち上がらせた。背丈は同じか彼女が少し高いくらい、遮るものもなくまともに目を合わせる。


「『選定』を正す。それがネヴィの目的なんですよね」

「え、ええ……」

「私の目的は、元の世界に帰ることです」

「―――ラギ」


 今から紡ぐ言葉に打算がないと言えば嘘になる。いや、最初から打算しかないのかもしれなかった。現に今、私は、ネヴィを助けに来たわけではないのだ。彼女があんなしわくちゃな老婆になって死ぬ、おぞましい未来を変える為じゃない。十中八九姉と同じかそれ以上に長く“持つ”だろうネヴィが、この国にとってひどく価値があると知っている。ただそれだけの話。


「……私に、望むことはありますか」


 卑怯な質問。意地の悪い問い掛け。答えはたったひとつだと知っているのに、言わせようとする卑劣さ。とはいえ、罪悪感のようなものは一切生まれなかった。だって私は気付いている。私がここへ来た時のネヴィの態度で確信した。彼女は確かに、あの金の詰まった皮袋で、私を“呼んだ”のだ――――。


やがて少し経って、水の音以外静寂に支配されたこの場所に立ち竦む二人の間に零れる、一筋の涙。



―――死にたくない。小さな小さな呟きが、それを追うようにぽつりと落ちた。








 下手に出るのは、良くない。けれども、上から偉そうな態度を取るのも何か違う。私は忍ばせていた懐刀を鞘から抜き、ネヴィに鞘の方を押し付けた。私は柄を右手に持ち、抜き身のそれの、刃でない方を左の掌で受け止める。ぺし。ぺしん。あまり音が響かないが……うん、これで行こう。

 奇行に走ったと思ったのか、少し引き気味でこちらを見やるネヴィを尻目に考える。誰がいいだろう。誰が適任だ? 私が今まで出会った「国の関係者」はかなり少なかった。しかし、全くの初対面よりはその中から対話(取引)相手を選んだ方が、油断を誘えるかもしれない。となると。


「そういえばネヴィ、ここで何してたんですか? ここって、光の巫女とは関係ないですよね」

「ああ、こっちで祈るようにお告げがあったって言ったら快く入れてくれたわよ」

「は?」

「もう、だから、情報集めに決まってるじゃない! 選定が何の要素で作られてるか、少しずつでも地道に調べていかないとね」


 お告げってなんだ。神様か。ああでもそういえばこの城下町、教会らしき建物があったような気がする。行く用事などなく、ミサでもあるのかとぼんやり思うだけだった。しかし、巫女の言葉とはいえそれだけで信じるって、やっぱりここ、全体的に宗教色が強い世界なのかもしれない。巫女巫女と事あるごとにしつこく言っているくらいだし。


「誰か付き添いはいないんですか?」

「えっと、夜の影響が薄まった頃にお迎えにあがります、ってリカルド様が」

「……うん。……微妙」

「何が?」

「いえ、こっちの話です」


 お菓子の人、もとい騎士団長、か。地位に関しては全く申し分ないのだが、彼は神子騒動においては扱き使われる立場だったはず。どこまで権力が及ぶのか不明瞭で、基本受け身だから取引するにしては少々心許ない。いささか失礼なことを考えていると、ふと、一人の男性が思い浮かんだ。騎士団を扱き使った側―――つまり、黒目黒髪炙り出し作戦をとった、あの似非役人!

(……って、名前なんだっけ)

 思い出せないが、まあいい。ここに来るのがお菓子の人なら、面識のある彼に直接呼んで貰えばいいだけのこと。そして騎士団長が来る以上、距離を詰められたら私の負けだ。念には念を入れて取るべき行動を組み立てないと。


「ね、ねえラギ? あのね、商売繁盛のお守りなんか持って、どうする気?」

「ええまあ。お守りですので」


 文字通り、“お守り”以外の意味はない。

 私の最終手段……切れない切り札であり、同時に、脅迫材料でもある。

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