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薄闇の眠りを  作者: 吉舎街
第二章
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夜を往くもの

 今朝はひどい悪夢を見た。血が滴る心臓をふたつ、錆びた天秤に掛ける夢。片方は自分のもの、もうひとつは、―――――。天秤を挟んだ向こう側に誰かが立っている。

 私はその誰かに、なぜ、と問いかけた。あるいは、何のために、と。やがて視界が薄靄に覆われ、天秤がどちらに傾いたのか確かめることはできなかった。



 外がまだ薄暗いうちに訪れた目覚めもかなりひどいものだった。意識は覚醒しているのに、頭痛はするわ身体は重いわで寝台の上でしばらく動けずにいた。おおよそこの世界に来てから初めて、と言っていいほどの体調不良だったが、まずいな、とかやばいな、とかそういう気持ちにならなかったのが非常に不思議である。

 寝起き特有のぼんやりした思考で私はただ受け入れた。……“仕方がない”、と。決意の朝は、爽やかさなどない、どこか鬱々とした雰囲気に包まれている。


 アニーさんと共にとる最後の朝餐は穏やかに過ぎていった。昨日よりも更に食欲が落ち、ろくに噛みもせずただ飲み込むことを繰り返す。はやいのね、とどこか寂しそうにアニーさんが言うので、食後のお茶はゆっくりと飲んだ。彼女と何の変哲もない会話を交わしながら、私は、『光の巫女』とは魔法の言葉だとつくづく思う。


 昨晩帰るなり、明日出ていきますなどと迷惑極まりないことを言い出した私は、当然、世話焼きなアニーさんに止められた。どうしたの、何があったの。繰り返される質問に曖昧に答えていると、少し語気を荒げて窘められる。私が一度、事件に巻き込まれたことが余計に彼女の焦燥に拍車を掛けたのだろう。食堂と繋がりのある彼女は早々にその事件を知り、あれから私のことをよく気に掛けてくれていた。

 もちろん感謝している。している……けれど。私の置かれている立場が、状況が、明確な壁となって間にそそり立っているのは事実だった。

(……本当のことなんて、話せるわけがない)

 きちんと答えなければ許さない――そう語る強い瞳の奥に揺れる、心配そうな色。芯の強いひとだから多少のことでは折れないだろうアニーさんをどう煙に巻くか? 顔に出さないよう努めつつ内心慌てていたとき、ふと思いついてこぼした言葉が『光の巫女』だった。

正確に言えば、『光の巫女』の『選定』のことで少し、と。


『――――!』

『……アニー、さん?』


 そのたった一言が、彼女を黙らせた。その一言だけで、彼女はまるで踏み入ることを恐れるように身を引いたのだ。目を見開いて、躊躇うような素振りをみせて、そして―――ぐっと口元を引き結ぶ。何かを言おうとしてやめたのだろうか? 数秒後には“いつもの”明るい管理人に戻って、アニーさんは“いつものように”、もうおやすみなさいと微笑んだ。

 生じた違和感には目を瞑りつつ、応えてお世話になりましたとお礼を言いながら、私は店の前で別れた黒い人のことを思い出していた。そういえばあの人も、店へ帰る道すがら選定の結果について私に聞いてこなかった。あれだけ若白髪が保護保護と言っていたのだから、少しくらい探りを入れてきてもいいように思うのだが……。





 準備にそうそう時間は掛けていられない。そもそも私が働いている食堂を、騎士団長という地位にある人間の血縁者が経営しているなんてネヴィに聞くまで知らなかった。その問題の店長がいる以上、私がネヴィからの――言葉は悪いけれども――施しを受け取りかつ拒否し、おまけに即店を辞めるなどという話がいずれ騎士団長に伝わることを覚悟しなければならない。

 ただ、今は巫女の選定期間中で、騎士団が忙殺されているだろうことを思えば、ある程度の猶予はあると考える。ゆえの、今日という選択だった。こういうことは不意打ちを食らわせてこそ価値がある。相手側に知られて準備されて、冷静に対応されれば私が不利になるだけだ。

 雇われている立場のくせに自分勝手な行動だと痛いほどに理解している。全国から客が集まるこんな滅多にない繁忙期に、と罪悪感が無いでもなかったが、受け取った皮袋の中身を見て考えを改めた。あれで一割だとしたら、店の取り分は―――。


 思考が下世話な方に転がり始めたので、私は軽く頭を振って気分を切り替える。体調は全然良くならないものの、深呼吸すれば清々しい空気が肺を満たした。城下町の喧騒とは裏腹に、この高台はいつも静かだ。私が何者であろうとも――単なる異物でしかなくても、何も変わらずただ穏やかに木々が揺れている。夕日が差し込み、ここから一望できる町のあちこちに引かれた水路が橙色の光を反射して光る。

 私は食堂での最後の仕事を終えると、何とも物言いたげにこちらを見る店長に笑顔で挨拶を終えてから真っ直ぐここへ来た。背中に視線が痛いほどに刺さるのを感じながらも、足を止めることなく。例の施しを継続して受け取るから稼ぐ意味もないし辞める、と言えば彼もさして疑問は抱かなかっただろうが、引き換えに私の評判が地に落ちるに違いない。店を続けるという選択肢がないとはいえ流石にそれは避けたかった。それに、光の巫女の何たるかを正しく知る私が、その命を啜る行為を嘘でも肯定したくはなかった、という理由もある。


 とにもかくにも、私は選択を終えた。……終えてしまった。これでもう、どちらに転んだとしても城下町(こちら側)に戻ることはできないだろう。一抹の不安を覆い隠すように、私は皮袋の中身に貯金を足してぎりぎり買えたそれを、ぐっと両手で握りしめた。

(……これが商売繁盛のお守りって、ほんと笑える)

 食堂にネヴィが居ないのなら、買い出しを任されるだろうことはわかっていた。炊事場のおばさんに直接食材の買い出しを頼まれた私は、用事を済ませる前に昨日行った店に寄り、これを手に入れた。あまりにも容易く手に入ったため模造かと疑ったが、商品を受け取る際、店主が取扱いには気を付けるよう強く言ったのでその線も消える。都合の良いことに、特に刃物を購入する際の規制などはないようだった。

 それは頼りないほど小さく、想像していたよりは重い。鞘を抜けば覗く刀身が鈍く青光りした。決して美しいとはいえないそれは、あまり研がれていないのかもしれない。いや、切れ味などどうでもいいのだ。これに可能性を持たせることができるならば、それだけで十分役に立つ。―――私が望むことのために。


 ちなみに、そう意気込んでいる私を客観的に見ると、高台の茂みに潜みつつ小さな刃物を手に体育座りで丸くなる女……どこからどうみても不審人物である。もちろん、誰かに見咎められればの話だ。ここは緑に溢れていて、この暗さだと身を隠すのに最適だった。……誰も来ない。来るわけがない。皆、今頃は訪れる夜から逃げるように屋内に篭るから。

 アニーさんのように警告してくれる人がいないとも限らないので、夜の影響が強いとされる日没直前まで待つことにした。朝方では明るすぎるし、一応対話を目的としているので、彼らの寝込みを襲ってもあまり意味がない。


……これは私を守るだろうか。


 漠然とそう思う。小さくとも刃物だから、慣れないそれにしばらく手の震えが止まらなかった。でもこれが命綱だと自分に言い聞かせ、なんとか落ち着きを取り戻したばかりだ。私はこれを武器にして今から戦いを挑みに行く。彼らが持つ剣には決して敵いはしないけれど、それでも―――……。





 薄闇にまぎれて私は歩く。夜になる、ぎりぎり少し前あたり。もう少し経てば夜空に選定の月が現れるのだろう。外灯の類がないため余計暗く感じるが、足元はしっかり見える。行く先もまた。ある種の解放感を覚えつつ、私は周囲を注意深く見渡して何も変わったものがないことに詰めていた息を吐き出した。

(意外? というほどでもないけど。予想はしてたから、拍子抜けというか)

 音を立てないようあえてゆっくりと忍び足で歩く私を“導く”ものがないことに、私は密かに驚いていた。あの日、私がこの世界の真実に少し触れたときのこと、全てのきっかけになったのは私を誘う光だった。あの怪しすぎる光が……そこに誰かの思惑があるかないかは別として、故意でなくても、現れる可能性は高いと身構えていたのだが。


 彼女はなぜ私に、あの皮袋を寄越したのだろう。歩きながら思うのは彼女のことだ。似たような立場にいるゆえの同情か、単純に後ろめたかったのか、まさか私が素直にそれを受け取って感謝するなどと思っていたわけではあるまい。ネヴィが光の巫女に選ばれたという話への驚きが過ぎ去れば、私には、それが彼女の悲鳴にしか思えなくなっていた。彼女が自分の意思で行ったにも関わらず―――呼ばれている、と感じた。いや、今もなお。

 そして一歩足を踏み出すごとに、あれだけ酷かった頭痛が少しずつ、錯覚でなく和らいでいくこの現状を考えれば、おそらく、私達は―――。

(もう、導く必要もないって?)

 どこへ行けばいいのかわかっていた。前と同じように柵を越え、人っ子一人いない騎士団の訓練場のど真ん中を悠々と突っ切り、建物の中に入る。この辺りは片側が外に面しているからかまるで人気がない。私は足音がよく響く廊下を、前来た時とは逆方向に進んだ。……辿り着いたのは、光の巫女のそれとは正反対の、装飾などない、どこまでも黒く重苦しい扉。

(ああ―――行かないと)

 手を伸ばすことに躊躇いはなかった。扉の向こうに彼女が居ることも私にはわかっていた。光の巫女になる予定の人間がこんなところで何をしているかなんて知らない。そんなことは関係ない。ただひとつ確かなことがあるとすれば、それは。


「ネヴィ―――」

「…………ラギ?」


 その姿を目にしただけで、身体の怠さが消え思考は冴え渡り、胸の塞がりも嘘のように消える。

私は、彼女の傍にいて初めて、まともに呼吸ができるという、……事実。

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