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薄闇の眠りを  作者: 吉舎街
第二章
40/85

とあるひとつの分岐点

 最初は、何が何だかわからなかった。全てが突然のことだったからだ。目の前に立つ男の言っていることはほとんど『理解』できなかったし、何よりも、反応の悪さに苛立ったあの男が剣を鞘から抜いたことで、私が恐慌状態に陥ったことが大きい。―――殺される。その恐怖が身体全体を支配して、半ば過呼吸状態になっていたと思う。殺されたくないのなら相手の言うことを聞く、なんて、そんな簡単なことにすら思い至らなかったのだ。


 少し時間が経って、呼吸も落ち着き、私がようやく自分の状況を把握してからも心に刻み込まれた恐怖は消えなかった。死にたくない―――。おそらく頭の中ではそんな言葉がぐるぐる回っていたに違いない。今になって思い返しても、細かいところはなぜか思い出せないので推測するしかないが。

 あの男は自分で召喚したにも関わらず、初めの数日はともかく、そんなにしょっちゅう私の所へ訪れたわけではなかった。説得しようとする意志は感じられたものの、忙しいのか食事だけを運んで去るときも多々あった。


 ……そう、食事だ。

 私は正直なところ、あれを無言の圧力、もとい脅迫だと思っていた。この頃にはもう既に所持品は奪われていたので正確に測っていないが、一日に二回という頻度、しかも水以外泣きたくなるような少量の食事とくれば、激しい飢えを感じさせておいていずれ思い通りに動かそうとしているのだ、と私が思い込んだのも罪はないだろう。現に私の体重はみるみる落ち、眩暈で気絶するように眠ることも多くなっていった。兵糧攻めだと思っても仕方ない。

 だからこそ、命からがら、と思っていた……けれど。本当は違ったのかもしれない、と意味のないことを思う。違ったからといって何も変わりはしないのに。


 とにかく餓死なんて苦しくて惨めな死に方まっぴらごめんだ、と私が逃げ出す決意をしたのは割と早かった。相手は凶器を使って私を脅している。辿る未来は明らかなように思えた。幸い、理由はわからないが私に接触するのはあの男一人だけ、それも日が経つにつれてここへ訪れる間隔も広がっている。ここに居てもただ死を待つだけなら、一度だけでも行動してみよう―――。襲い来る飢餓感に急き立てられるように、私は震える手を扉へ伸ばしたのだった。


死にたくない。お腹が空いた。逃げなければ。……あの場所に戻りたくない。


 今この状況を何とかしたい、お腹いっぱいなんて贅沢は言わないから、飢えを感じることなく、命を脅かされることなく穏やかに一日を過ごしたい。些細な欲求だ。こちらに喚ばれるまでは最低限保障されていたもの。けれど、その時その時望んでいたのは、どれもが目先のことだった。

私の望み、その根本にあるのは―――。たったひとつ。たったひとつ、だけ。


「     」


ばしゃりと水音が響く泥作業組の仕事場に、私の呟きが音もなく落ちる。ひとりきり、誰もいない裏庭はひどく静かだ。硬貨の入った皮袋を反射的に拒否した私は、ひとまず考えさせてほしい、と店長に告げた。突然すぎて混乱しているからと、開店時間が迫っていることもあって仕事場に戻ったのだ。

商売至上主義な面がある店長のこと、引き留められないだろうという打算もあった。答えは仕事終わりに出す、と畳み掛ければ、『怠けたりしたら減給するわよ!』などと激励の言葉と共にあっさり送り出された。


 考え事に夢中で作業が疎かになり、野菜に汚れや皮が残っていたりしたらまず間違いなく私に雷が落ちるな。仕事はきちんとしなくては。昨日、料理人二人がしていた下拵えのおかげで量が少ないのが幸いした。一人でも――なんとかなる。

(……やっぱり、来ない、か)

 本当に城に行ったのかと溜息がこぼれる。店長に担がれているとは思わないが、万が一を思った。店内に続くあの扉から、彼女がひょっこり顔を出すんじゃないか、なんて。……笑える夢想。

 野菜のへたを落とし、皮をむいていく。ピーラーもないのに包丁だけでよく出来るものだと最初は思ったけれど、慣れてしまえばたいしたことではない。すっかり板についた自分の手つきを自画自賛しながら、ネヴィのことを、思う。



 あの暗闇に包まれた高台で彼女が語ったことが、仮に全て事実だったとしよう。すると十二年前の選定期間の際、ネヴィの姉はネヴィを庇ったということになる。光の洪水となり大騒ぎになったらしい現象を自らのものだとして、妹の代わりに城へ向かった。“例外”として。

 それが単なる時間稼ぎだったのか、もしや本当に“例外”たる要素があったのか―――どちらにせよ、選定の結果に関わらず、ネヴィの姉はいずれ死ぬとわかっている光の巫女に指名されたのは動かしようのない事実だ。彼女がどうしてあそこまで誇りを胸に、自分を犠牲にできたのか? 今ならわかるような気がする。国の為でも世界の為でもなく、ただ家族を――ネヴィを守るため、だったとしたら。

(でも、それならなおさら、今のネヴィの行為はおかしい)

 その意思を尊重するなら―――あるいは感謝しているのなら、彼女は“逃げ続けなければ”ならなかったはずだ。ネヴィの姉がネヴィに光の巫女になって欲しくなくて庇ったのなら。守ったのなら。

今、次代の巫女として選ばれたというこの状態こそを、恐れていたのでは……?

 疑問は尽きることなく後から後からわいてくる。彼女が選定の結果を振り切ってまで城へ向かったのは、姉の気持ちを踏みにじることになりはしないか――。そこまで考えて、私は軽く頭を振った。


 こんなもの部外者の邪推でしかない。それがネヴィの選択なら、それがネヴィの望むことなら、私に何が言えるだろう? 私と違って自分の望みをはっきり自覚してその為に行動したのだとすれば、私よりもよほどしっかりしている。覚悟が、ある。

(……逃げていたのは、私、だ……)

 望みを、言葉にすることが怖かった。言葉にして思い知るのが怖かった。たったひとりではどうにもできない現実を、受け止める余裕がどこにもなかった。何かを考えようとすれば空腹に思考を遮られ、この世界のことを知ろうとしてもまるで頭が馬鹿になったかのように覚えた片端から忘れていく。

 本当はわかっている。このまま食堂で働き続け、僅かな貯金を繰り返したところで、根本の解決にはならないと知っている。私の望みは、決して叶わない。

 それでも、と、私の向かい、食堂が混んでいるとき以外はネヴィが座っているはずの空の椅子を見やった。それでも……今、状況は変わった。彼女と、彼女の姉がもたらした情報が、私を取り巻く状況を変えた。




元の世界に帰りたい。

それが、それだけが私の望み。




(っ、自覚しろ!)

 唇を噛みしめ、包丁を握る手に力が入る。唯一の手掛かりは、ネヴィの姉が言っていた宝物庫の話だ。そこに夜の神子の召喚に関する法術について書かれた本があると言っていた。今も―――あるのだろうか。廃棄されてはいないだろうか。

 宝物庫、なんて名称からして城の奥深くに位置していることは考えなくてもわかる。よしんば奇跡が起こったとしてうまく忍び込みその本を手に出来たとしても、私の今の学習能力では読むことすらできないのだろう。よって、自力での帰還方法発見は絶望的だ。そう、……ちゃんと、認めなければ。


そして、彼らは夜の神子を死なせるわけにはいかない――――。

この事実は、私にとって何よりも重要な、切り札になる。


 夜、空に月が浮かぶ限り選定期間は終わらない。終わらない限り次の巫女は決まらない。逆に言えば、選定期間が終わってからでは遅すぎるということだ。光の巫女が祈りを通じて世界と繋がるまで……何もかも手遅れになるまでに、動く。私の望みを叶えるために。

(……助けに行く、わけじゃない)

 この店に雇ってもらって、一体どれくらいの日々が過ぎた? せいぜい二か月半くらいか。こんな短期間で辞めるとは普通だったら迷惑もいいところだが、私のような何の技術も持っていない人間が出来る仕事など、いくらでも代わりがいるから大丈夫。……光の巫女と違って、命を削られることもない。

 そうそう、入れ替わりが激しいから住所不定怪しさ全開の私でも雇ってもらえたんだっけ。あの時はお腹が空き過ぎて必死だったからなあ。ふ、と思わず口元が緩んだ。


 助けに行くわけじゃない。私は胸の中で繰り返した。そもそも助ける、などという表現はネヴィに失礼だ。それこそ……侮辱、だと言われかねない。だから助けに行くわけじゃない、むしろ私が彼女を利用するのだ。あの日、彼女が、彼女の姉のためにそうしたように。






 終業間際、監視役から今日の分の給料を貰った私は、その足で店長がいるという部屋へ向かった。来たのね、と私を迎える彼は少し憔悴しているように見えた。この世界の人々は、光の巫女制度に対してどんな感情を持っているのだろう、と改めて思う。名誉なことと褒めそやすのか、可哀そうだと憐れむのか。どちらにしろ私の取る道はひとつきりだ。


「店長、お疲れさまです」

「おつかれ。……それで? アンタ、答えは出たの?」

「はい。気が変わりました」

「……え?」

意識して、口の端を持ち上げる。できるだけ不遜なように見えればいいと思った。

「今朝の分は貰います。今後の分は、店長の方からお断りしていただけますか?」


店長は虚を突かれたように黙り込んだ。浮かんでいた笑顔が消える。驚きに見開かれた目を真っ直ぐ見据え、構わず言葉を続けた。

「それから急な話で申し訳ないのですが、明日付けでここを辞めます」

本当にありがとうございました、助かりました。深く、頭を下げる。私が飢え死にしなかったのはこの店のおかげだ。


「なに、それ……。ちょっとアンタ、いったい何考えてるわけ?」

「大切な用事を思い出したんです。たぶん、もう戻ってはこれないと思うので……」


 本来なら、今朝の分の硬貨も断るのが筋だと理解している。ただ、と私は今現在の貯金額を考えて、その少なさに溜息を吐きたい気分だった。足りない、のだ。あれを買うには、残念ながら、今ある雀の涙のような貯蓄を掻き集めても全然足りない。


「―――今まで、お世話になりました」


 もちろん、今日はもう夕方が来てしまったから時間がない。これからはアニーさんのいる家に帰って休むだけ。動くのは明日から、だ。関わるのなら覚悟を決めなければならない。行くのなら万全な用意をしていかなければ。揃えられるカードは全て、この手に。

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