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薄闇の眠りを  作者: 吉舎街
第二章
38/85

一振りの

 急がなければ、と思う。今日の仕事の話を聞いたのが昼ごろ、店に来てからは洗い場にこもりきりで数時間は経つ、はず。時計があればいいのに―――と、今どこにあるかわからない私の所持品の数々を思い出し、途端、胸糞が悪くなった。無理矢理奪われたそれらは、処分されていなければまだあの城にあるのだろう。今は考えたくないと思考を打ち切り、足を速める。


 昼と夜との『狭間』は一夜きりだ。今日からまた夜はおかしくなり、屋外を出歩けば狂うという。私は恐らくその影響を受けないが、それゆえに、時間を守らなくてはならない。

(市場を通り抜けて、その先の橋を渡ったら右に曲がる。次は)

 こちらの文字の読み書きができないのだからメモを取るわけにもいかない。言われた内容を忘れないため頭の中で何度も繰り返しながら、目印を見落とさないよう周囲に目をやった。なにぶん初めて行く場所だから慎重にもなる。もっとも、この買出しを頼んだ料理人たちは、私がその店そのものを知らないなどとは思わなかったのだろう。場所の説明も、あの馬鹿でかい看板の、あの偏屈じいさんの、とそれ位は知っているだろうというように曖昧な表現で済ませていた。


 私は馬鹿でかい看板をぶらさげた店も、職人気質の偏屈じいさんも知らない。市場をぬけた向こう側には足を踏み入れたことすらないからだ。……行動範囲を狭めていたのは他でもない自分なので、言っても仕方のないことだが。

(ええと、確かこの辺り―――)

だったような、と。道順良し、目印確認、あとひとつ角を曲がればというところまで来て、ふと何かが耳を掠めた気がして私は足を止めた。続いて届いたどこかくぐもった音に、びくりとしてそのまま耳をそばだてる。

 なんだろう……いや、……人の、声? そう、距離があって聞き取りにくいが、確かに男特有の低い声だった。なんだ、誰かがそこにいて喋っているだけか。私は肩の力を抜いてほっと溜息を吐いた。ああ、別に驚くことでもない。野良犬でもいて、その唸り声でも聞こえたのかと身構えてしまった。噛まれたりすれば痛い上に、この世界の医療水準がわからない以上、衛生面でも怖すぎる。


 やっぱり何でも無駄に警戒してしまう自分に苦笑して、私はまた歩き出す。最後の角を曲がり、そして、――――そして。開けた視界に真っ先に飛び込んできたのは、黒尽くめの。

(……なっ、え?!)

予想外の出会いに呼吸が一瞬止まる。と同時に、行く先を失った足が地面に敷かれた砂利を思い切り踏みしめた。ここからは建物の陰になって見えない誰かと話していたらしい黒尽くめの騎士は即座に振り返り、立ち竦む私に目をとめると、……僅かに目を見開いた。





「―――なぜここに?」


 すう、と細められた目が鋭く私を見据えている。剣呑な、というよりは、訝しげな色が強いだろうか。目の前に立ち塞がる黒い人が作り出す不穏な空気が肌に刺さり、緊張からか口の中がひりつく。


「なぜ、……って、その、買い出しですけど」

「市場からは随分離れているようだが」

「今日は食材じゃなくて、包丁を買いに来たので――」


 近づかれているわけではないのに、圧迫感がすごい。目を合わせれば死ぬ、なんて冗談めいた言葉が頭に浮かぶが、ほんと冗談じゃない。ここにやって来たこと自体にだけはやましいことはないと姿勢を正したが、視線は微妙に斜め上を漂った。相手からの質問、いや、詰問に答えるだけで精一杯だ。


「―――包丁?」


 それなのに、黒い人は更に一段と声を低くしてこちらに圧力をかけてくる。何がそんなに引っ掛かるんだ、私が包丁を買いに来たら悪いのか、文句があるなら頼んだ店に言え! 口には到底出せないので、胸の内で叫びつつ、表面上は頷くにとどめた。その後もそれで? と視線だけで促してくるので仕方なく、包丁が欠けてしまい明日困ること、店の人に頼まれて買いに来たことを話した。するとどうだろう。


「………………」


 沈黙、そして、しばらく経った後の深々とした溜息。人が懇切丁寧に説明して差し上げたというのにこの態度。

(感っじ、悪……!)

 正直頭にきた。人の顔を見て溜息吐くとか、失礼にもほどがある。しかもなんだその生温い視線は。呆れているのか馬鹿にしているのか、とにかく耐えきれず私のこめかみがひくりと引き攣ったところで、男はわかった、と言った。わかった? 何が、と問い返す前に彼は私の脇をすり抜けて別方向へ。


「あのっ……?」

「その店に用があるなら、裏口から入れ。今祭りで“羽目を外した”連中を取り押さえたところだ。表は使いものにならない」

「―――――」


 わあ。乾いた声が口からもれた。もしかしてさっき最初に聞こえたのは、その人達の苦悶の声だったのかもしれない。嫌なタイミングで来てしまったと己の不運さを嘆きつつ、毒気を抜かれた私は大人しく黒い人の後をついていった。



 古くさい金属製の扉を、がっちりと筋肉のついた硬そうな腕が開く。いつも黒い服を着ているからわからなかったが、この人、近くで見るとかなり逞しい体つきをしている。……片手だけで人の頭を潰せそうだ。怖い。あと、少食過ぎるくらいに少食なこの世界で、どうやってその筋肉が作られるのか、ものすごく気になるし怖い。こんな現実逃避をしていなければ、回れ右して逃げ出したくなるほどの威圧感を未だにその背中から感じるのも怖い。勝手知ったる、とばかりに無言でどんどん奥へと入っていく黒い人に遅れまいと、私も続いて中に入る。

 お邪魔します。どこか遠慮がちに響いた呟きは、店の中で轟々と燃え盛るかまどの炎にかき消された。裏口から入ったため作業場の方へ来てしまったようだ。部外者が入っていいところではないように思うのだが、連れて来られたのだから仕方ない。怒られたら全責任をこの黒い人になすりつけようと考えていると、奥の方でこちらに背を向けるように座っている誰かが目に入った。


「おう、なんだ。まだなんか――」

「客だ」

「あぁ?」


 作業の手を休めることなく誰何の声を上げた職人らしき中年の男性は、言葉を遮るように黒い人が返した一言に振り向いた。白髪の多い髪に浅黒い肌、ところどころ煤けている。昔ながらの、なんて表現が似合いそうな人。


「客だと? なんだってまた、祭りが終わったばっかじゃねぇ、か……んん?」

「どうも、お邪魔してます」


 今度こそ聞こえるように声を張り上げた。偏屈の二文字が頭の中を渦巻いている。緊張が顔に出たのだろうか? 店主らしきその人は、しばらく目を瞬かせて私を見ていたかと思うと、にっと面白がるように笑った。快活な笑みだった。


「わざわざ裏へ回らせて悪かったな。で、あんた、何が欲しい?」

「あ……魚用の包丁を、お願いします」


 失くさないよう大事に持ってきていた注文書を見せる。ああ、南の! そう言って彼は紙を受け取り頷く。そしてすぐ、倉庫に取りに行ってくるからしばらくあっちの商品でも見てな、と言い残し、……私と黒い人をあっさりと置いていった。


「あの、案内ありがとうございました。助かりました」

「ああ」

「…………」

「……」


 案内が終われば帰ればいいのに、むしろどうぞお帰りくださいという心境なのに、この男、全く去る気配を見せない。沈黙が非常に気まずい。

(……しょ、商品! 商品見よう!)

 話し掛けられる前に、と私の行動は素早かった。店主に示された方へすたすた歩く。――案の定、黒い人もついてきた。うん、予想範囲内。気にしない。気にならない。自己暗示をかけながら売場に出て、……そこで見たその光景に、本当に気にならなくなった。


 数種類の鍋。様々な金属性の調理器具。包丁も小型から大型のものまで一列に壁に展示されている。私は、違和感を覚えないことに驚いた。そう、そこは、まるで私の知る金物屋なるものにそっくりだったのだ。もちろん、並べられている商品は手作り感溢れるもので、よくよく見れば形が歪なものもある。それでも、この違和感のなさは―――。

(でも金物屋というより、むしろ……製菓道具店?)

 いわゆる、お菓子づくり――主に洋菓子における必要器具の種類が豊富だった。ケーキ型は基本のものからシフォンケーキのようなものまで、他にクッキー型もある。粉ふるい、泡立て器もどき、そんな風に私が“理解”できるものばかりだ。見たことのないものが――ない。

(あ、ちょ、計量スプーンまで?! これがあれば多少料理も……って、高!)

 信じられない。鍋より値段が高い計量スプーンとはこれいかに。背後に立つ誰かのことも忘れ、常識が揺らぐショックに打ち震えていた私は、目の端にあるものをとらえ―――全身の動きを止めた。



 私は、あの男のせいで刃物を必要以上に恐れるようになった。包丁は仕事で使うからおのずと慣れた。慣れるしかなかった。今こうして壁に吊られているそれらを見ても平然としていられる。しかし他のものはまだ駄目で、後ろの黒い人が腰に下げているような剣に至っては、鞘から抜かれていない状態でさえ冷や汗が滲む。

 だから、商品のひとつとして展示されているそれを見たとき、私が恐怖したのは事実だった。しかし恐怖以上に私の心を支配したのは、視線を逸らすことを許さなかったのは。まぎれもない……懐かしさだった。


刀。脇差し。小太刀?いや、それよりももっと短い、何と言うのだったか、―――あ、懐刀!

(どうしてこんなものが……?)

 両刃の剣が主流なここで、こんなにも異質なものが、こんな製菓器具と一緒に置いてあるなんて。私は驚きと共に手を伸ばした。柄や鞘などは決して品質のいいものではないけれど、それは確かに、私の世界を、ひいては国を匂わせるもの。


「なんだ、気に入ったのか?」

いつの間にか戻ってきていた店主が、包丁片手に声を掛けてきた。突然のことに驚いて返す言葉が跳ねる。

「えっ! あ、か、変わってるなぁ、と思いまして」

「そいつぁ古くから伝わる、商売繁盛のお守りってやつだ。邪気を祓うんだと」

「………………」


 お守り。守り刀という意味では間違っていない、かもしれないけれども。私はどうしてかその懐刀から目を離せず、魚用の包丁を包んでもらうまで、じっとそれに魅入っていた。


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