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薄闇の眠りを  作者: 吉舎街
第二章
37/85

道は既に分かたれた

 部屋の扉を後ろ手に閉めそのままずるずると腰を落とした。口元を手で覆って深い溜息をひとつ。僅かに震えの残る手は冷え切っていて、握り込んでも少しも暖かくならない。不可解な頭痛はもう消えていたが、胸の閉塞感が強く、思うように息ができなかった。


『―――約束するわ。絶対、絶対に』


 私の手を取って彼女は何度もそう言った。

誰にも言わないと。何があっても絶対に、君の望まないことはしないから、と。

思えば、この時既に彼女は―――“理解”し始めていたのかもしれない。







 夜通し騒ぐという言葉通り、次の日は基本的にどの店も営業していない。国民の多くが遊び疲れて今も惰眠を貪っている……かどうかはさておき。祭りは飲めや歌えの大騒ぎ、そこに踊りや劇も加わってそれはそれは盛大なものだった―――の、だろう。参加しなかったなどと言えば浮くこと間違いなしなので、昨日のことが話題に上る度、適当に相槌をうって誤魔化している。


「やっぱり、昨日の舞台はリカルド様が一番だったと思う!」

「そうですね。私もそう思います」

「でしょ? さすが騎士団長! って感じで―――」


 興奮しきった様子で頬を赤く染め、衣装が、動きが、と語りつつ両手は休むことなくしっかり仕事をこなしている女性を横目に、私も新たに一枚皿を取った。彼女は、私が疑心暗鬼に陥り例の騎士団長のお菓子を毒見させた同僚、その人である。普段もっぱら皿洗いと料理の下味つけを担当している。私達泥作業組とは違って、経験を積めば、料理人として使ってもらえるだろう立場の人。話を聞く限り、昨晩は待ち合わせ相手と随分楽しんだ様子だ。

 そんな人と共になぜ私が本日休業のはずの店に来ているのか? なぜ水仕事などにいそしんでいるのか?……もちろん、目の前にぶら下げられた報酬に釣られたからである。



 私の周囲にはうず高く積まれた食器、食器、食器……。あとゴミ。本来今日それらの片づけを担当するはずだった男性が祭りで羽目を外しすぎて寝込んでいるらしく、店の誰かがわざわざアニーさんに『良ければ来るように、報酬出るよ!』と私宛の伝言を残していったそうだ。昼あたりになって、部屋を訪ねてきた彼女からこういう話があるんだけど、と言われた時は正直どうしようか迷った。が、しかし。報酬がいらなくなった古着数点にお菓子とくれば、飛びつかないなんてできなかった。

 衣食住。その三つのうち住居は確保しているものの、常に飢えているような私が、満足に生活用品を揃えられるわけがない。洗濯ひとつするにも絶対数が足りないのだから気を遣うのである。人員確保に名指しで言ってくるあたり、報酬さえ用意すれば快く了承すると思われているのだろう。―――事実、のこのこと出てきた私に言えたことではないが。


「そろそろ追加あるだろうから取ってくるね。たぶん、まだまだあるわよ」

「あー……まあ、頑張りましょう」


 かなり繁盛したのだろう、洗っても洗っても終わりがみえない皿の数に眩暈がしそうだ。といっても、乗せる量が少ないからか皿が小さい分軽くて楽ではある。それに水仕事……皿をタワシのようなもので洗って水で流し、ある程度たまったら布巾で水気を拭き取る、という作業はごく単純なものだった。水が潤沢なので使う量にそこまで神経を尖らせなくてもいい。

むしろ刃物を常に握っているわけではない分、普段よりぼうっとするというか、意識が別のところへ向かってしまうというか―――どうしても、昨日のことがよみがえる。







 さ、帰ろっか。話はこれで終わりというようにぱちんと手を合わせ、ネヴィはいつもの笑顔で私を促した。色々ありすぎて精神的に疲れ切り、突然の頭痛に苦しんでいる状態では逆らう気も起きず、私はにこにこと上機嫌な彼女にまた引き摺られるような形で高台から降りる。暗闇が怖いわけではないが、道に並べられた篝火の明るさに少しほっとしたのは否めない。

 まだ終わらない祭り―――酒が大量に振る舞われている以上、どういった光景が広がっているかは想像に難くない―――に行く気にはなれず、そのまま帰路につくことにした。ネヴィはただにこやかに手を振るだけで私を引き留めなかった。



“我に返った”。それが、一晩まんじりともせず夜を過ごし考え、私が出した答えだ。

違和感は最初からついて回った。そもそもネヴィの誘いに乗ったことから―――あるいは、あの妙な光に導かれて騎士団のところまで辿り着いてしまったことからかもしれない。


 実を言うと、私は女子供に泣かれると非常に弱い。泣きそうな顔、というだけでも途端に冷静さを失ってしまう自覚が、ある。原因もわかっている。

 そういう例を挙げるなら中学一年の夏休み。十近くも離れた従妹のお守りを頼まれ、ふとしたことでわんわん泣かれたことがある。そのとき私はまず慰めることもせず、それはもう大慌てで「おかーさーん!」と叫び、自分が母に泣きついた。私の混乱ぶりにどん引きしたのか、従妹の方が先に泣き止んだという恥ずかしいオチ。

 割と年を食った今でさえ、道端で泣いている女子供を見るとぎょっとしてしまう。男は割とどうでもいいけど。そういう前提を差し引いたとしても、だ。

 果たしてそれは、天秤に掛け得るものだっただろうか? と、私は自分に問いかける。身の安全を手放してまで―――犯罪に手を貸してまで―――請け負えることだっただろうか。未だに城を直視することすら出来ない私が、情報を得るということを理由に、手を伸ばしたこと。もちろん収穫はあった。むしろ知らない方がいいことも。結果としてネヴィの手を取ったことは得策だったように思える。しかし冷静になって、ひとりでじっくり考えれば、そう選択するに至った思考の展開が早すぎるような気がするのだ。あの時は……それ以外ないように思った、から……?


泣かないで、と言いたかった。彼女を悲しませたくなかった。

理由をいくつもつけて大丈夫と自分に言い聞かせた。出来ることならなんでもしてあげようと思った。

(―――この、私が?)

失笑ものである。ネヴィのことは友人だとは思えないと、命と引き換えにしてまでは助けないと断言したのに、だ。


 大体、ネヴィが次代の光の巫女だなんて話は、どこに根拠があったっていうのだろう。わかるの、なんて漠然とした一言だけであそこまで食い下がった私、ぶっちゃけどこかおかしいんじゃなかろうか。あの瞬間、いっしょに逃げよう、などとおそろしく寒い台詞が頭の隅をちらと過ったことは、絶対に墓の中まで持っていくべきだと思う。くそ恥ずかしい。

(こう、雰囲気にのまれたっていうか……テンションがおかしかったよう、な)

 ネヴィは優しい、誰にでも。でもそれは博愛とは違っていて、彼女にとっての特別はひとりだけだった。命と引き換えにしてでも助けたい人は、たったひとりだけ。その人は二度と目覚めることのない眠りについた。己の命を差し出しても、私という存在を国に差し出しても、決して救うことはできない。

だったら……もう、助けたい人などいないはずだ。彼女自身が光の巫女となることで救える命? そんなもの、彼女にとって何の意味があるだろう?

(そんなの、ただの自己犠牲であって、所詮綺麗事にしかならない)

そして私の知るネヴィが、そんな意味のない自己犠牲に走るような人間だとは思えなかった。



『――――ありがとう』



 だから、“我に返った”。まるで救われたとでも言わんばかりの笑顔に、冷や水を浴びせかけられた。何がきっかけだったのかはわからない。何がどう作用したのかもわからない。穏やかに笑うネヴィとは裏腹に、ざっと血の気が引いて“我に返った”私は、今までの感情の揺れ動きが嘘だったかのように凍りついた。感情に任せて吐き出した言葉の数々を、今になって後悔している。

私はちゃんと引き留めたはずなのに、どうして、……背中を押した気分になるのだろう。







 最後の一枚の水分を綺麗に拭き取って、山のように積まれた食器の横に置く。同僚は途中で別の仕事へ駆り出されてしまい、追加分は私一人で消化しなければならなかった。汚れのない食器。ゴミもちゃんと袋にまとめた。それらは指定の日に出すまで置いておけばいい。……やりきった。そんな束の間の充足感に浸っていると、厨房の方で悲鳴にも似た声が上がった。


「あーっ! また欠けた!」

「何やって―――って、おいそれ、魚用だろ? ただでさえ数少ねーのに、明日無いとまずいぞ!」

「んー、あのさあ……これ、あんま質良くないよな。こないだ仕入れたばっかなのにもう欠けたし」


 ちらりと視線をやれば、料理担当の若い男性二人が何やら言い合っている。近くの台には肉や魚、その他野菜などが所狭しと並べられているのを見る限り、彼らは料理の準備をしているようだ。お祭りの余韻は今日でおしまい、明日には選定された人々が全国からあの城へ向かうのだという。ずばり、稼ぎ時である。あのがめつい……もとい、商売上手な店長がそれを見逃すなどありえない。明日から元通り、通常営業だ。


「や、そうかもしんねーけど。このままじゃ数足りなくなるだろ」

「修理に出すよりさ、店長に言って新しくしてもらおうぜ。最初っから切れ味悪いと思ってたんだよなあ」

「……。あー、今日店開いてたっけか……?」


 自分の使い方が悪いという可能性はないのか。魚の骨とか切るときに気を付けないとすぐ欠けるだろう、あと欠けたなら自分で研ぐぐらいすればいいのに、と突っ込みながらもう一度視線を向けて――――えっ、と思わず声が漏れた。素で出してしまった声は彼らにも届いてしまい、振り向かれてしまう。内一人の手に握られた包丁は確かに欠けていた。ゆうに数メートルは離れているここから、目視できるほどに、大きく。


「す、凄い欠けっぷり、ですね……」

「だろ? 修理より買った方がいいよな?」


 むしろその包丁をどう修理するのかがものすごく気になる。どれだけ小さくなって返ってくるんだか、いやでも、異世界だから私の想像できない方法で研ぐのかもしれない。あとその包丁、どんな金属を使ったらそんな風に欠けられるんだろう。質が悪いとかそんな段階じゃない。―――と、興味を持ってしまったのが運の尽き。


「お、洗い場終わったんだ。じゃあさ、悪いんだけど――――」


 けど、の後に続いたのは、店の場所。開いてなかったときの対処。買う包丁の種類。代金は後払いで頼むこと。渡されたのは、文字が読めないのでわからないが、この食堂の注文であることを示す注文書、らしきもの。

 人手が足りないからとはいえ、これは業務外だから別に報酬寄越せ、と思いはしても実際文句は出せず。愛想よく頷いて私は一人店を出るしかなかった。泥作業組などという下っ端は、店長の次に偉い料理人に逆らえる立場ではないのだから。

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