表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
薄闇の眠りを  作者: 吉舎街
第二章
33/85

闇に閉ざされた世界

 そもそもの始まりはわからない。たぶん、誰も知らないんじゃないかな。

 長いようでいて、後から考えれば案外内容の薄いネヴィの説明はそんな言葉から始まった。こういう難しい話の説明が苦手なのか何度も考えながら話す彼女に、けれど苛立ちは起こらなかった。一気に情報を詰め込まれて困るのは私の方だったからだ。

 ネヴィの姉があれだけ叫んだというのにやはり誰も来ない。この空間だけ切り離されたかのように、黙ってしまえば静寂が訪れた。老婆は沈黙を保ったまま横たわっている。説明を終えて水を口に含むネヴィの姿をぼんやりと眺めながら、私はもう一度この世界について――そして私自身のことについて、整理することにした。




 まず、この世界は五つの国、五つの大陸で構成されている。世界ひとつに対して国が五つだけとはあまりにも少ないと思ったが、ひとつひとつが大きいのだろうと言及を避けた。国家間の関係は今までずっと良好だという。こういう文明の時代にしては珍しくも平和なことだった。戦争のひとつやふたつ、あってもおかしくはないはずなのに。

 もっとも、出歩けば頭がおかしくなるという『夜』が存在する時点で、そもそも戦争を起こせるかどうか、という話だが。……実際やらかしてしまえば、もの凄い泥仕合になりそうだった。



「この世界では、昼と夜は常に反発しあっているの。どうしてか、いつからか、なんてわからないけど。とにかく早朝とか太陽が沈む瞬間とかは特にその影響が強くて、屋内に入ってないとひとたまりもないって聞くわ」



 つまり屋内に入ってさえいれば影響を受けないということか。夕方になると皆が慌てて帰りだす光景が脳裏を過ぎった。そして日が沈んでから外に出ようとした私を止めた、アニーさんの剣幕も。

 夜の間に出歩けば頭がおかしくなるという怪しげな話だって、ネヴィに幾つかの実例を挙げられれば納得するしかない。例えばついこの間全裸で見つかった男はなんと今も、どこかにある国の医療施設で治療を受けているという。完全に治るかどうかも定かではないと――。



「……そういうのを抑制するのが、夜の神子の役目だった。なんて言えばいいのか、うーん、確か闇を使役できるとか、闇を司るとか、そんな能力だったような――」



 使役ときたか。まさに御伽噺もいいところだ、と思わず溜息を吐きそうになったが、まああえて突っ込むまい。ここで私が培ってきた常識なんてゴミと同じようなものだ。せっかく話してくれているのだから、一通り否定せずに聞いてみようと私は思う。それがここでの常識になるのだろうから。



「そうすると、普通『闇のみこ』って呼びませんか?」

「ああ、それ? 確かいつかの神子が、悪の手先みたいで嫌だって言ったとかいう逸話があるわよ」

「…………へ、へえ」



 昼と夜では後者の方の力が強く、何もしなければ次第に昼は夜にのみ込まれて全てが闇に閉ざされる。なんとも抽象的な話だった。それを阻止できる存在が――――“神の子”。かつてそう呼ばれていたのだという。闇にのまれかけた世界を幾度も救った――なんて笑ってしまいそうな物語は、事実として存在しているそうだった。だからそれで、『夜の神子』と称する。

 対する光の……は、ネヴィの口振りと今まで得た印象からして、どうやら巫女、と変換するのが妥当だろう。金髪に翠の目なら誰でもなれるというのだ、ネヴィの姉は例外だったようだけれども。それに夜とくれば昼なのだが、確かに『昼の巫女』なんてぱっとしないな。



「夜の神子は、こことは違う世界に生きる存在。私達は彼らを召喚して――利用してきた」



 こことは違う世界、という言葉を私は静かに受け止める。驚くことではなかった。私自身が誰よりもそれを知っている。そして、今となってはむきになって否定すればするほど真実を語るようなものだった。ネヴィはともかくとして、おおよその事情を知っていると思われる彼女の姉の前では。だがしかし私はそれとは別のところが気になって仕方がなかった。



「……彼、ら? って、男もいるんですか」

「え? 記録によれば、夜の神子は大体男女半々だそうよ。光の巫女は女性ばっかりだけど」



 返された答えがひどく意外で、私は何度か目を瞬かせる。自分で勝手に神子とは女性ばかりだと思い込んでいた。どうしてか、『みこ』といえばとイメージを固定していたのだ。

 男女半々――これまで合わせて何人が喚ばれたか知らないが、男なら行動力もある。抵抗する力もあるかもしれない。だとしたら、彼らの中で私と同じように“逃げ出した”神子は存在するのだろうか。押し付けられた使命とやらを投げ出した誰かは……?そんな疑問は、次にもたらされた新たな情報に頭の隅へと追いやられた。



「五つの国で、代わる代わる夜の神子を召喚していたのだけど、その、……ね。ある代の夜の神子を、死なせてしまった国王がいるの」

「……死なせた?」

「うん。随分と、そう、酷い扱いをしていたらしくて、……」



 召喚された時から泣くばかりで何もしない『神子』に言うことを聞かせるため、暴力を振るうことすら厭わなかった男がいるという。脅しても宥めすかしても、それでも首を縦に振らない神子に、行為はエスカレートしてやがては拷問まがいのことまで――。

 痛ましそうに語るネヴィをよそに、当たり前だと私は思った。突然何もかもを奪われ、見知らぬ場所に連れてこられて「祈れ」などと意味不明なことを言われて、誰がそれを許容できる?それまでの代々の夜の神子が役目を受け入れたという事実すら信じられないというのに。

 抑えきれない吐き気がこみ上げてきて、私はそっと深呼吸して心を落ち着かせる。もしその神子が私だったら、拷問なんてものに一秒たりとも耐えられないと思う。



「それはつまり、殺してしまった、ってことですか?」

「……殺した、ようなものだと思うわ。夜の神子は、祈りの間で自ら命を絶ったそうなの」

「――自殺……?」

「そう。祈りの間には小さな泉があるんだけど、水の中に沈んでいたのを侍女が見つけて」


 その左腕には縦に深く大きな傷が刻まれ――赤く赤く染まった水の中で、黒目黒髪の少女は亡くなっていた。


「そしたら、その日から太陽が沈んだままになったんだって。……三年もの間、ずっと」



『神子』が死ぬと世界は完全な闇に包まれた――なんて俄かには信じがたくて、辛そうに俯くネヴィをただ見返してみる。嘘ではないと思うが、でも、太陽が出ない、日光が得られないって、そんなの普通に死ぬんじゃなかろうか?

 真っ先に植物が枯れ、食物連鎖によってそれに連なる動物達も姿を消し、やがては人間も死に至る。貧富の差が激しいこんな国に、国民全てに行き渡る食物の余剰が三年分もあるとは思えなかった。餓死か、あるいは『夜』による狂死か?どちらにしても、被害は甚大だっただろう。

 その地獄を、ここでは『漆黒の三年』と呼ぶそうだ。災いを引き起こした戒めとして子々孫々に語り継がれていくのだとネヴィは言う。ふと、ここで私は何か奇妙だと思った。


 ……彼女はいったい、ここまで沢山の情報をどこから手に入れたのだろう?光の巫女である姉から聞いたのか。それともこれは、貧富の差に関わらず全ての国民が弁えているべき常識だとでもいうのか。



「『神子』を死に追いやった国王が亡くなった直後に、太陽はまたその姿を見せてくれた。だから夜の神子の呪いだって誰もが思ったってわけ」



 世界を覆った闇への恐怖は、それを引き起こしただろう夜の神子への恐怖に変わる。新たな夜の神子(救世主)を召喚することもできず、この世界の人間は僅かな光に縋って、ただ傷が癒えるのを待つしかなかった。そして太陽が戻ってきたとはいえ徐々に侵食されていく昼――生きていくためには夜を抑える以外に方法はない。

 人々の思考はどんどん変遷していった。あんな過ちを繰り返さないよう、夜の神子を絶対に傷つけないようにしよう、必ず守ろう。けれどまたあのように非協力的な神子が喚び出されたらどうする?もう一刻の猶予はない、泣き暮らしている間に夜が昼を飲み込んでしまう!

 地獄と言うべき三年間の恐怖はこの世界の人間の心を縛り付ける。――そもそも本当に夜の神子を召喚しなければならないのか、何か他に方法は?探せ、方法を!被害が少ない方法を!

 もちろん、夜の神子自体に同情する声がなかったわけではない。そういう様々な要因が重なって――最終的に考え出されたのが、光の巫女制度だった。



「世界中の術師が集まってね、調べて。夜の神子とは性質が真逆で、ええと、あれ? ああ、昼を夜から守る力ならこの世界にあるんだって。まあ、夜の神子と違って生命力が必要なんだけど」

「生命、力……」

「だから光の巫女は、この国――つまり夜の神子を殺してしまった国王の子孫が統治するここから、選出することになっているの。償いのために」



せめて、その三年間で傷ついた大地が、人が、完全に癒えるまでの間は―――。









「ネヴィ。悪いけど、あたしにもお水ちょうだい」

「ん、わかった。飲んじゃったから汲んでくるね。ちょっと待ってて」



 ぱたぱたと小走りに、迷う様子もなく部屋の奥へと向かうネヴィを見送りながら、私は白い扉に背を預けた。今にも崩れ落ちてしまいそうな身体を支えたかった。長々と話していたが、結局は簡単なことだ。

 いつからか、この世界は夜の神子を召喚することで昼と夜とのバランスを保っていた。しかし不幸にも夜の神子が死ぬと世界は完全に闇に閉ざされることが判明し、安全策を求めた結果、光の巫女として選ばれた人間が命を捧げるという方法を発見した、と。この世界は、この国は、百年も前に夜の神子を召喚することを止めたのだ。


(だったら、どうして「あの男」は)


 事情を知っているらしいネヴィの姉をちらりと見やると、ばっちり視線が合ってしまった。そのままおもむろに彼女が口を開くのを、紡がれるだろう言葉を、待つ。



「……あなたに、お願いがあるんだけど」

「えっ、あ、なんですか?」

「こんなこと言えた義理じゃないけど、せめて、あの子が生きている間だけは、……どうかこの世界を壊さないでほしいの」

「…………。……はい?」



 思わず素っ頓狂な声が漏れた。なにそのラスボス。世界を壊すとか、この人は何を言っているのだろう。私にそんな力があるわけがない。私が夜の神子であるか否かを論じる以前の問題だ。仮に今ここで私が死んだとして、そのかつての夜の神子のように、世界が闇に閉ざされる?流石に、到底無理だと思った。



「壊すって、なにをそんな――」

「あなたはこの世界を恨んでいないの?」

「……!」

「きっとね、そういうことだと、あたしは思ってる」



 世界に恨みを持った夜の神子が死んだら――?そんな荒唐無稽な、と跳ね除けられないのは、彼女が間違いなく『光の巫女』だからだ。そして私が無知であることもそれ以上の反論を許さなかった。私は、ぐっと耐えるように唇を引き結ぶ老婆の言葉を、黙って受け止めるしかなかった。

「あの男」へ、この国へ、ひいてはこの世界への恨みが、憎しみが消えるときなど来るだろうか。日常生活で、決して表面には出せないほの暗い感情は胸の奥底で燻り続けている。



「許さなくて、いいわよ。あいつのことも、……あたしのことも」

「……? あなた、も?」

「正直、謝って済むことじゃないとはわかってる。でもね、言うわ。――ごめんなさい」


ぎしり。心が、痛む。


「あたしが……昔、あいつを唆して城の宝物庫に忍び込んだの。いたずらのつもりだった。開かずの間なんて言われてたから余計気になって、だから」



 早口になりながら老婆は語る。好奇心の強い子供だった頃、幼馴染の少年と共に城を大人に黙って探検して、そして忍び込んだ先で、見つけてしまったのだという。その、とうの昔に廃れたはずの“法術”を記した書物を――。



「使うときが来るなんて思わなかった。昔の人が秘密にしたものを見つけられてただ、それが嬉しかった。それだけなの! でも、あの時あたしがそんな所に行こうなんて言わなければ……っ、中身を見たりしなければ、あいつは方法すら知らなかったのに……!」



 胸元を握り締めて声を震わせるネヴィの姉を、私は、冷や水を浴びせかけられたような気分で他人事のように眺めていた。


(ねえ、ネヴィ。あの光は、あなたが作ったの? この為に私をここへ連れてきたの?)


この人の、ただ終わりを待つこの人の、心残りを消し去るために……?

誰にでも笑顔を振りまいて愛想がいい彼女の真実(ほんとう)に、少し、触れられた気がした。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ