その瞳の奥にある『誇り』
初めましての挨拶も何もかも頭から吹き飛んだ。あまりに不意打ちだったため大袈裟なまでに身体が跳ねる。無知なふりをして誤魔化すこともできないくらい、私は、驚愕に目を見開いていた。
老婆――ネヴィの姉は揺らぐこともなく、さっきまでの弱々しさはどこにいったのか、強い視線をこちらに向けている。私は彼女から目を逸らすことができず、見たくないと拒絶したその姿を真正面から見る羽目になってしまった。痩せこけた、というよりも老いのせいで衰えきった外見の中、金色の髪と蒼の瞳だけがただ色鮮やかに。そのアンバランスさが、余計彼女の不気味さを際立たせていた。
「ど、ういう……意味、です、か」
けれど唯一救いだったのは、騎士共と相対したときのような焦燥感が全くないことだろう。彼女が今にも命潰えそうな老婆だから?「あの男」や騎士のように、私を傷つけることのできる凶器や凶器になり得る力強い腕を持ってはいないから?
――それとも、この色のせいか。色だけがひどく際立って、鏡を見ているような錯覚に胸が苦しくなった。若白髪が言った通り、それらは今の私と同じ、まるでうりふたつな色をしていた。そのまま“写し取った”ような……?
「あら、……流石に、色をうつされたことぐらい、わかる、わよ」
「――あなたの?」
「そう、あたしの。――――あいつが勝手にそうした」
皺の寄った口元を曲げ、どこか吐き捨てるように老婆は言った。その部分だけ低く囁くような声だった。あいつ。私に色をうつした人物、それはたった一人しかいない。その考えに思い至るだけで心臓が痛みを訴えてくる。
「え、やっぱりラギのって、お姉ちゃんの色だったんだ!」
突然横から割り込んだ声に、またもやびくついてしまった。ぎりぎりと軋む首を何とかそちらへ向けると、思案顔をしたネヴィがひとり納得して何度も頷いている。彼女は今何を言っただろう。あいつ、という単語にぐらりと揺れた頭が急激に冷静さを取り戻していく。
最近、そう、騎士団に行ってからだ。彼女の考えていることがどうにもわからない。そして彼女が――どこまで知っているのか、も。
「……“やっぱり”?」
「うん? うーん、いや、深い意味はなくって。城下町に金髪碧眼ってまあそれなりに居るんだけど、そこまで深い蒼は、いないから。もしかしたら、って思ってただけ」
だからどうしてそこでもしかしたら、なんて思えるんだ。なんでもないと両手を振るネヴィがどこか胡散臭く思えてしまう。……いや、待てよ、そういえば彼女は己の色を自前ではないと言っていたのではなかったか。彼女もまた、私と同じ経験をしたから、そんな風に思ったのだとすれば――。
何かの答えに辿り着きそうになったとき、ベッドの方から恨みがましい声が聞こえてきて私は視線をそちらへ戻した。そこには不気味なオーラを纏った老婆が、恐ろしくもくつくつと笑っていた。ホラーだ。
「あいつときたら、……人に無断でそういう、こと、して」
「――――」
「は、……あたしも、昔やったか、ら? 人のこと、言えないけど。だから、って、ねえ」
苦しげな呼吸をしながらも、ネヴィの姉は喋ることをやめなかった。私は何を言えばいいのかわからなくてその様子をただ見守るしかない。老婆は手触りがよさそうなシーツをぎゅっと枯れ枝のような指で掴み、次第に興奮してきたのか爛々と目を光らせて―――大きく息を吸って。
「ほんっと、……忌々しいったらありゃしないわ!」
絶叫にも近い、声が、部屋中に響いた。当然のことながら彼女は直後に激しく咳き込み、お姉ちゃん、と慌てて駆け寄ったネヴィの手に背中を預ける。そのままゆっくりと身体から力を抜いていくのがこの距離からでも見て取れた。
しかし、私は脳に直撃したその悲痛な叫びのせいで完全に思考が止まっていた。なんだろう、この感じは。惨い外見からは到底想像もつかないほど快活な声。しわがれているというのに、どこか若々しいと言いたくなる力強さ。蒼い瞳に宿る光は、今にも死にそうな老婆が持ち得るものではない。
「まったく、よくもまあ、……しでかしてくれた、もの、だわ。信じられない。ありえない。同情? 憐憫? はっ、これが、侮辱以外の、なんだっていうの?!」
ねえあなたもそう思うでしょ?!と鬼気迫る表情且つ、かっと見開かれた目で睨まれ、私は半分以上意味がわからないながらも反射的に頷いておく。ぶっちゃけ怖い。激しい怒りが皮膚を突き刺すようだ。
「あたしは、ずっと真面目にやってきた! あたしにできる精一杯をやった、終わりが見えてきたってずっと頑張ってきた、それは評価されてしかるべきよ! 少なくとも、こんな最後の最後で、今までの全部を台無しにするような侮辱を受けるいわれはないわ。っああもう! だからくだらない邪推とかされるのよ、あの馬鹿!」
「お姉ちゃん、水、水!」
今までとはうってかわって滑らかに喋ることだとか、その心に引っ掛かる内容だとか、あの馬鹿とやらと随分と親しげだとか、そんなことはどうでもよかった。心配そうに枕元にあった水差しを手に取るネヴィも目に入らなかった。
ただ唯一私の目を引いたのは、ネヴィの姉の、その蒼く光る瞳だった。怒りと、苦しさと、悲しみに満ちたそれの奥底に――私は確かに、“誇り”を感じた。
(……どうして? 搾取、されているのに?)
ネヴィに連れられてこの部屋に入って、老婆と化した女性を見たとき。私は、全てがわかったような気がしていた。もちろん実際は何もわかってはいないのだけれど。『光のみこ』は文字通り消耗品で、選定で指名された人間は哀れにも命を捧げてこの国のため、ひいては世界のために祈らなければならない。国から補助金が出るなどというのは所詮命の売買でしかないだろう。
それなのに老婆は今、毅然と誇りを持って前を見据えている。彼女が怒っているのは――ただただ、己の使命を邪魔されそうになったことに対して?
(国がそういう教育をしてる、とか……?)
国のため世界のために死ぬことを美徳としているのだとすれば、考えられないことではない。しかし城下町でさえ識字率が低いらしいのに、そんな徹底した教育を施せるだろうか。その考えが完全に国民の頭に浸透しているなら話は別だが、日常生活でそんな話題が出たことは一度もなかった。私の貧乏仲間であるネヴィの姉なら、やはり貧乏だと考えるのが普通だろう。幼少から教育機関に通う余裕などなかったに違いない。
……それに、と私は思う。私が色をうつされたことを彼女は知っていると言った。話の流れからすれば、それがつまり彼女の今までを台無しにすることに繋がる、ということになる。要するにだ、彼女は「あの男」の目的を知っている、あるいは、私がどんな立場にあるか理解している――?
「……ああ、ありがと、ネヴィ。とにかく、いくら国王陛下だからってやっていいことと悪いことがあるわよね」
「や、っぱり、王様だったんですか、……あのひと」
「え?」
「……っ」
まずい、思わず反応してしまった。私は口元をおさえて顔を伏せる。凶器を振り翳す「あの男」の語ることなど何も信じられなかったから、余計、今の言葉には驚いた。
ネヴィの言葉に含むものがないように、明るく快活でわかり易い彼女の姉のそれも信じてもいいと思っている。――この世界の、他の人間の言葉よりは遥かに。そんな私の様子に何か思うところがあったのか、老婆は渡された水を一口飲み込むと、真剣な光をその瞳に宿して口を開いた。
「まさかとは思うけど、……あいつ、あなたに、なにも説明しなかったの?」
説明。私はあえて返事をせず、その単語を口の中で繰り返した。……説明。ものすごく、いやむしろ吐きそうになるくらい嫌だったが、頑張って、閉じ込められていたあの日々を思い出す。彼に、いったい何を言われただろう。凶器に気を取られて頭が真っ白になっていたときが多く、あまり「あの男」の言ったことなど耳に残ってはいないのだが。
『国を救うためだ』『――祈れ』『悪いようにはしない』『――――さあ、』
何か尋ねようと思っていても問答無用で繰り返される命令に、突きつけられる剣に、私は次第に口を閉ざした。話しても意味がないと思ったからだ。「あの男」は私が頷くことしか求めてはいなかった。拒否すれば斬ると行動で示していた。
(あ……でも、焦ってた?)
記憶にある「あの男」は無表情でいることが多かったが、私の反応の薄さに何度か声を荒げた様子を思い返せば、どこか急いていた印象を受ける。けれど何の為に。今、それをネヴィの姉に尋ねるべきだろうか。はっきりと言葉にしてはいないが、色をうつされたことを否定できなかった以上、何のことだかわかりませんと言いたくてもどうしようもない気がする。
ならばここはきちんと情報収集に徹するべきか。――ネヴィが、私に情報をくれると言ったのだから。そしてそれを私は信じたのだから。
心を決めて、なにも、と静かに首を振って答えを示すと、なぜか姉の方ではなくネヴィがにっこりと笑った。
「それじゃ、ね。……まず、夜の神子の話をしようか」
本当に、どこまで知っているのやら。彼女の提案に、私は諦めにも似た感情が身体を支配していくのを感じていた。