ただ、終わりを待つ人
神々しいと本当に言ってしまっていいものかどうか。それは病的なまでの白さだった。木なのか石なのかはたまた金属なのか、指先で触れてみてもよくわからない。じっと見ているとそのまま吸い込まれてしまいそうなほど綺麗な扉。ここの真下に祈りの間があることを考えれば、それは『光のみこ』に関わる何かだと私が思い至るのは当然で、……今、その先に何が待っているかは明白だった。
「ここが――ね。光の巫女が、住む部屋よ」
ネヴィの言葉にやはり、と思う。その声の柔らかさにまたどこか胸が痛んだ。優しく、そしてどこか懐かしそうに語る口調はあの高台で聞いたものと同じ――そして彼女の視線は、白い扉を通り抜けた向こうを真っ直ぐに見据えている。
この部屋に通じる螺旋階段は毎日使うにしては少々不便なように感じたが、住んでいるのが『みこ』という特別な存在ならば仕方がないのかもしれなかった。警備面からしても、外から以外は階段を塞いでしまえば入れなくなるので守りやすくなる。……そもそもここへは騎士団の詰所内を通らないと来ることができない構造のようで、階段に重点を置いているわけではないだろうが。
私は高台から町全体を見下ろしたときの光景を思い出してみる。広いようで狭い町。いや、そういえばあの位置からだと詰所の向こうに城があったので、直ぐ目を逸らしてしまったのだった。私はここの外観を思い浮かべることができず、ただ想像するだけにとどめた。
一階の祈りの間と、高さからすれば三階にある『光のみこ』の住居。それらを繋ぐのは細い螺旋階段だけ。建物全体の高さこそ低いものの、これではまるで塔の上に閉じ込められたお姫様のよう――。と、そこまで考えて、それが全く笑い事にならないことに私は軽く唇を噛み締める。長く持った、だなんて消耗品のように言われる『光のみこ』。住む場所さえ決められていて、毎日ただ祈る、そんな生活を送っているのだろうか。だとしたらさしずめここは牢獄とでも呼んだ方が相応しいかもしれない。幾何学的な紋様が描かれた白い扉の先がどんな様子なのか全く予想がつかなかった。
本当にこの先に――いる、のだろうか。私は隣で扉を見つめるネヴィをそっと窺う。不法侵入という危険を冒してまで会いに来た彼女にとって、今この部屋にいるのはきっと、あの日言っていた『命を捨ててでも助けたい人』……。
(ん? 待てよ。まさか連れ出しに来たとか?)
不法侵入に加えて誘拐の片棒をも担がされ――……は、流石にしないか。想像に思わず引き攣りそうになった口元を押さえ、私は扉に視線を戻した。ついていくだけで何もしないと最初に言い切っておいたからないと思いたい。おまけにネヴィは明らかに手ぶらだったし、格好も食堂で働いていたものと同じだった。そこまでやるならもっと準備をしてくるはずだ、きっと。うん。たぶん。
妙な思考に囚われて動けなくなっていた私の脇をすり抜けるように、彼女はゆっくりと腕を伸ばした。そしてそのまま扉の取っ手を握り、手前に引く。
(っ、えぇ?!)
何の抵抗もなく開いたそれに驚く私をよそに、ネヴィはさっさとその部屋に入っていってしまった。完全に私を放置して。って、ノックもなしかい!確かに最初から不法侵入だけど!今更かもしれないけど!
彼女の口ぶりからして多分女性だろう『光のみこ』の部屋に無断で入るのはもう、途轍もなく気が引けた。……だがしかし、この細い階段で一人残されるのは更にもっと嫌だった。私はせめてと控えめに「お邪魔します」と声を掛けて、ネヴィの後を追った。私の背後で、少し勢いのついてしまった扉が耳障りな音を立てて閉じた。
こそこそ部屋の中に入ると、案外広い空間に出迎えられた。今日が特別な夜だからか、こんな時間でも部屋の数箇所に明かりが灯され、特に暗くは感じない。それをいいことに私は不躾にもきょろきょろ周りを見渡してしまった。その、あまりのギャップに。
どこまでも白く神秘的な扉から勝手に連想していたイメージとは真逆に、なんというか、こう、いわゆる、少女趣味が全面に出た内装だった。全体的にピンクだの白だのレースだのがふんだんに使われていて――、一気に生活感が押し寄せてくる。神秘的、言い換えれば無機質な入り口とは裏腹に、ここで人間が“生活”しているのだと十分にわかった。
その感覚にはっと我に返った私は、人様の部屋で失礼すぎると慌てて正面を向く。するとちょうど部屋の中央に置かれたベッドの天蓋にネヴィが手をかけたところだった。そう、ベッド。部屋のど真ん中に。
(天蓋つき……なのは別にいいとして)
使われているレースが綺麗だとか、お姫様用かと思うほどに豪華だとか、そういうのはまあいい。しかしなぜそういう配置なのかがもの凄く気になる。扉を開けた真正面にベッドってどうかと思うのだが、それとも天蓋つきだから気にならないのか?
金持ちの考えることはわからない、と僻みにも似た感情を覚えつつ、私はネヴィが布を横に退けるのを何となしに見守る。……いや、ベッドということは、もしかして件の人は今お休み真っ最中なのでは……?その可能性を完全に失念していたことに気付き、私はばっと身を引いた。部屋を明るくしているから油断していた。ネヴィと違って、私は赤の他人でしかない。寝姿など見られたくないだろう。
(――――――)
そう思って、目を、逸らした。そのつもりだった。けれど間に合わなかった。私は、目の端に飛び込んできた色彩に、全身の動きを止め立ち竦んだ。―――最初に私が認識したのは、鈍く光る金色。長く長くシーツを覆うそれは、ネヴィが開いた天蓋から差し込む灯りを反射して煌めく。足が床に縫い止められたかのように、私は、動けない。
「 」
ネヴィが何かを言ったような気がする。彼女は、絵に描いたように華やかで美しいベッドに横たわる誰かへと駆け寄り、その身をかがめた。ベッドの奥は薄暗くてはっきりと見えない。たが、その人物は彼女の呼び掛けに応えてかゆっくりと身を起こしたようだった。膝をついて枕元に顔を寄せるネヴィの、頬を、優しく撫でた――――手。
「 」
指先から凍えていく。息が、できない。この場から逃げるという選択肢すら思いつかず、目を閉じることも忘れて私は無意識に一歩後ずさった。――嗚呼。ネヴィはその手を自分の両手で包み込み、笑う。優しく、ただ、優しく。そこに居るのは、何だ?ベッドに身をもたせかけ彼女と見つめあう、ソレ、は。
嗚呼、なんて。
(――――おぞましい)
己の思考にぞっとして、私は咄嗟に口元を覆った。それでも胸いっぱいに広がる嫌悪感はますますその強さを増していく。見つめ続けて目が慣れたのか、次第にソレの姿かたちが理解できるようになった。伸ばされたしわくちゃの手、深く皺が刻まれた顔、ネグリジェのような夜着から覗く身体はまるでミイラのように骨と皮だけ。ネヴィは……ソレを、確かに「おねえちゃん」と呼んだ、のに。
「えへ、来ちゃった。……久しぶり」
「 」
「うん? 大丈夫だってば、誰にも見つからなかったし」
けほ、と小さな咳が耳に届いた。するとソレ――いや、ネヴィの姉、だという人物のしわがれた声が、こちらにも聞こえてくる。本当にひどく現実味がなかった。
「なに、しに……来たの」
「えぇと――お姉ちゃんを看取りに?」
「っ、早いでしょ、うが……っ!」
「……。……そうかな」
気持ちが悪い。老婆のような人間が、老婆のような声で、まるで若い女性のように喋ること。気持ちが悪い。二人の会話は耳を素通りして消えていく。内容を理解できない。
「てか、頼んで、ないわよ、……っそんな」
そんなこと。と全て言い切れずに再びネヴィの姉は苦しそうに咳き込んだ。その痛々しい姿にも私の中の嫌悪感は消えなかった。おぞましい――それはあまりにも理不尽な感情だとどこからか窘める声がする。『光のみこ』は消耗品、それは誰が言ったことだったか。
「でも私が来るってわかっててくれたよね?見張り、見事にひとりもいなかったもの」
「……まったく、あんたって子は……いつも無駄に、行動、力が――」
「うん! それに今日は、友達についてきてもらったから!」
「――――とも、だち?」
あの老婆が若い女性なら、ネヴィは幼子か。にこにこと笑う彼女がとても幼く見える。家族の前だから?それはわからない。私はどこまでも付き纏う違和感に軽く苛立ちを覚え、消えることはない激しい感情を抑えこむのに精一杯だった。私がソレにどんな感情を抱いてしまっても、ネヴィを傷つけるようなことはしたくない。
「ああ、……あなたが、“そう”なのね」
ふと、明らかにこちらに投げかけられた言葉が耳に届く。思わず視線を向けると、――海のように深い蒼が、真っ直ぐに私を貫いた。