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薄闇の眠りを  作者: 吉舎街
第一章
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ごきげんよう、さようなら。

 そのあまりに沈んだ様子に私を含め、誰もが黙ったまま似非役人の動向を見守る。似非――そう、彼は今日も町役場の役人らしい格好をしていた。ネヴィに対してまだ身分を偽っているのか、……その必要があったのか。いったい彼女と何をしていたか全く想像がつかないが、それこそ彼女の本題だったのだろうということはわかる。でもそれを、わざわざ私と引き離して行われたものを、どうして今こうやって私に匂わせる真似をするのか。

 流石におかしいと誰だって気付くだろうと男を見やり、私は、そのままそっと目を逸らした。……なんだか可哀想になるくらいの落ち込みようだ。もしかして、何も考えず、考える余裕もなくここまで来たのだろうか。傍迷惑だったとはいえ、図書館の前で黒尽くめの騎士に言い募るその強い意志を持った姿はもうどこにもない。



「シュルツ……? ど、どうした?」



 騎士団長が恐る恐る、といった感じで漸く声を掛けた。よくやった。だが彼は私達のことなど全く意に介さない様子でさっきまで若白髪がいた場所にだらりと座り込み、そのまま机に顔を突っ伏した。その際もの凄く痛そうな音が響いたのだが、……本当に大丈夫だろうか。いい歳をしているはずの大人がここまで弱っていると、どう対応していいかわからなくなる。



「な、なんかさ。仕事に失敗したらしくって――」

「失敗? まさか、なにか問題でも起こったのか?」

「――――いえ……ちょっと、自分の甘さを痛感しているところです……」

「……飲むか?」



 ちゃんとお茶を淹れてきましたよというポーズのためかどうか、青年はきちんと人数分のお茶を持って来ていた。そこからひとつ――恐らくは自分の分だろう――を取り上げた黒い人は、似非役人にそれを差し出す。お茶のいい香りに惹かれたか、がばっと顔を上げた似非役人は一気にそれを飲み干し、やかましい音を立ててカップを机に置いた。どんよりした顔の額にくっきりと机の木目模様がついてしまっているのを、なんとなく生暖かい気持ちで眺める。



「――私の捜索は、完璧だったはずなんです!」



 しかし、一息ついた彼の口からまるで奔流のように飛び出してきた言葉の羅列に、私はびしりと音を立てて硬直してしまった。――――曰く。



「ま、待てシュルツ。ちょっといいから待て、今の状況を」

「知らせが来た時点で国境は即刻封鎖していますし、そもそもこの城下町から出た人間はすべて調査済みなんですよ!伝えられている特徴に一致するものはいませんでした、ええ、ただのひとりもね!」

「ああ、騎士団こき使いやがったから知ってるっつの!」

「踊り子選抜で集めた者達だって、特別に“あの場所”を開いてひとりひとり確認して――もちろんそれで見つかるなんて思っていませんでしたよ、きっと我々に対していい感情を抱いていないはずですから」

「…………ああ」



 そこまで聞かなくても、彼が何について話をしているのか理解できた。――私、だ。黒目黒髪を持つ、私を、探しているんだ。……今も?似非役人は顔を両手で覆ってしまってその表情を窺うことはできない。一介の役人だといったその口でよくまあ喋る喋る。発言がおかしいぞ、似非役人め。

 私はこの部屋から今すぐに走り出ていってしまいたい自身をなんとか抑えつつ、考える。もちろんネヴィについて、だ。彼女が呼ばれたこと、彼女に彼女だけの本題があったこと。そして似非役人が零したことを繋ぎ合わせれば、答えは明白だった。彼、いや、彼らは「あの男」に召喚された黒目黒髪を捜していて、ネヴィがそうであると、この色は本物ではないと言ったにもかかわらずまだ疑っていたのだ。だから事の真偽を調べるために彼女を呼んで、今、この状況は……。


(そうではない、と、証明できたってこと?)


 証明する、術があるのか。ここに。けれどネヴィと青年が走り去っていった方向は、例の祈りの間とやらとは逆方向だったと思う。私は、未だに愚痴り続ける似非役人にもう視線を向けることはできなかった。怖い。逃げたい。ずっと考えないようにしていた感情が、明確な形を持って私を苦しめている。 立ち上がることも出来ず、かといってこの空気の中、呪文のように語られる言葉を遮る勇気もなく。この時間が永遠にも続くと思われたその時、――ふと、肩に暖かい体温を感じた。



「帰ろっか、ラギ」



 思わず振り返ると、そこには、ネヴィがどこか泣きそうな顔で笑っていた。


 彼女のその様子は、まるで一刻も早くここから離れたいと言っているように見える。当然、私も同じ気持ちだ。差し出された手がまるで天使の助けのように思われ、すっかり呪縛の解けた私は深く、深く頷いた。これ以上あの愚痴を聞いていたら何か妙なことを口走ってしまいそうだった。

 似非役人を宥めるのに必死な騎士団長は放っておいて、一番とっつき易そうな、親切そうな青年に声を掛ける。ルカに対する態度からしてもいい人そうなのは感じ取れたからだ。



「すみません、私達、そろそろお暇させて頂きます」

「えっ、あ、う、うん! そうだ今、馬車を――」

「いいえ。私、少し歩きたい気分なんです。ラギ、いいかな?」

「もちろんです。せっかくですから、歩いて帰りましょう」



 ネヴィの意図するところはわからなかったが、私だってこれ以上騎士団と一緒にいたくない。迷うことはなかった。騎士団周辺の地理に全く詳しくはないが、道は彼女が知っているだろう。それならせめて入り口まで送るよという青年の申し出まで断るのは気が引けて、いつまでもぶつぶつ呟いているひとりと共に騎士団長を生贄に置き、私達はその部屋を―――出た。







 今朝馬車が止まったあたりで、青年と黒尽くめの騎士が立ち止まる。青年は私達へ振り向くと、人をほんわかさせるような優しい笑顔で口を開いた。



「何か困ったことがあったら、いつでも相談所に来てよ。大体俺が居るから、さ」

「あ、貴方って相談所の人だったんだ!」

「うん、俺の仕事場なんだ。場所はわかる?」

「えっと……確か……」



 ああ、平和だ。ネヴィと青年の穏やかな会話に、ゆっくりと身体から力が抜けていく。外の光がとても眩しい。開放感に浸っていると、真横にずいっと黒い人が近づいてきて私はびくりと身体を跳ねさせてしまった。……なんだろう。疑問の視線を向ける間もなく、落ち着いた声が降ってきた。



「とりあえず、自分の周辺には気をつけろ」

「周辺……です、か?」


 随分と密やかな声だった。それはまるでネヴィに聞かせたくないと思っているかのようで、こちらの声も自然と下がる。


「マリア――今回の被害者と共に行方不明になった彼女の友人は、遺体で見つかっている」

「な……っ!」

「金のために友人を“売って”、結局口封じに殺されたのだろう。誘拐の手引きをしたのはその友人だ」

「――――」



 なんつーことをこんな帰り際に言いやがるのだろう、と私は切実に思った。思わず声を上げそうになって、しかしネヴィのことが気になり唇を噛み締める。確かに、東の赤い店とやらで働くルカの姉の友人、とくれば、その友人も貧困に喘いでいるだろうことは間違いない。金に困ったゆえの……。日々の糧を得るので精一杯な私には、何も言うことができなかった。



「ご忠告…ありがとうございます。考えておきます」

「…………」

「………善処します」



 頭上からじっと見られていることはわかっていたが、会話を終えたネヴィに話しかけられるまで、そのまま私は顔を上げなかった。



 私に友人と呼べる友人はいない。いない、はずだと私は隣でゆっくりと歩くネヴィをちらりと窺った。最初より距離がぐんと近くなっているのは自覚している。けれど、どこか私達の間には越えられない壁があるのも――――知っていた、から。


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