タダより高いものはない
騎士団長はまずネヴィの姿を確認して驚きの表情を浮かべると、次に私に視線を移し、そして暫く経ってから思い至ったようにひとつ頷いた。そのまま複雑な表情を浮かべるのを見れば、彼がどんな思考を辿ったのか手に取るようにわかる。どうせ私のことなどすっかり忘れていたに違いない。思い出したら思い出したで反応に困ったのだろう。確かにあのゴミ捨て場でのやりとりは自分で思い返してみてもコメントし辛いものだった。
「君達は……食堂の?」
「あ、はい! いつもお世話になってます」
「……こんにちは」
ネヴィが居るぶん、余計にである。フラグ美形男とのことを言うべきかそうでないか結論が出ないままずるずる引き延ばしてしまったため、もう私は全部忘れることにした。何にしても今更すぎるからだ。そんな気持ちが伝わったのか、騎士団長もそのことに対して特に反応することはなかった。ただ探るように私の顔を、――髪を、眺めて?
「金髪に――碧、か。なるほど」
下種共が。じっと眺められるのが嫌で自然と俯いてしまった私の耳に、とても小さく呟かれた騎士団長の乱暴な言葉が風に乗って届いた。押し殺した怒りと隠しきれない嫌悪が滲む声。やはり騎士団もなぜそういった容姿の人間が狙われるか知っているのだ。そして攫われた者達が辿る道も。
「あの! やっぱりこの子が狙われたんですか?」
「恐らくはそうだろう。連中はあちらの女性の他にも、二十名ほど拉致していたようだ」
「っ、酷い……!」
唇を噛んで悔しそうに顔を歪めたネヴィの姿に、私はひとり取り残されたような気分になる。狙われた自覚が全くないというのが一番の理由だろう。巻き込まれたことに変わりはなくても、危険だったことは確かでも、所詮偽者の私には他人事でしかない。なんだかどっと疲れて盛大に溜息を吐いてしまった私をどう解釈したのか、騎士団長が宥めるように笑う。
「すまない。我々がもう少し早く動けていたら、君に怖い思いをさせることもなかった」
彼の、嘘ではない誠実な態度が私のささくれた心を更に抉る。ここで、そうだそうだ!遅すぎるわ!なんて騒いだら助けられたことに感謝もできないただの痛い人になってしまうじゃないか。怖くなかったなんて嘘でも言えない私は、いえ、とか特に、とか言葉を濁してその場を流した。
(―――で、いつまでここにいればいいの?)
ルカは無事家族と再会した。本来の目的はもう果たせそうにない。とくれば、私達がこの公園に居続けることになんら意味はない。慌しく動き回る騎士連中を見守りながら、私はネヴィと二人、テントの裏でぼんやりと立ち尽くしていた。
「騎士団長! 全員、捕獲完了しました!」
「団長、奥の部屋からこんなものが……!」
黒尽くめの騎士は頭蓋骨仮面男を引っ張ってどこかへ消え、騎士団長は次から次へと入る報告に対応するのに忙しく、私達のことなど眼中になさそうだった。私はゆっくりと、しかし悟られないよう慎重に周囲を見渡してみた。どうやらこちらを見張っている暇な騎士はいないようである。これはチャンスかもしれない……。再び視線を正面に戻すと、ちょうど私を見ていたらしいネヴィとばっちり目が合った。
―――帰っちゃう?
―――ええ、今のうちに。
アイコンタクトなどという芸当ができるほど親しくなったとは思えないが、けれどその時ばかりは、私達の心はひとつだった。と、テントの中にいるだろう同僚と合流してひとまずここから出ようと頷きあった、その瞬間を狙われたのではないかと思うほどの、いいタイミングで。
「ああ、ちょっと待ってくれ! 君達にはまだ聞きたいことがある」
声、だけでなく本体までがやってきた。
私は今、猛烈に叫びたい。騎士団長、あんたさっきまでテントの傍に居ただろう。背中が見えてたんだから私達を視界にすら入れてなかったんじゃないのか。後ろに目がついてるのか、ええ?それとも騎士ってものはそれくらい簡単に出来ないと駄目だとかそんな規定でもあるんだろうかちょっと化け物じみてるよその反射神経と身体能力!と。
心の中で罵倒にも似たつっこみを入れられているとは露とも思ってないだろう赤毛の騎士団長は、汗ひとつかかず裏のありそうにない爽やかな笑顔を浮かべた。
「といってもここじゃ落ち着かないだろう。すまないが、一緒に騎士団まで来てくれないか」
「……今から、ですか?」
私は視線を巡らせて太陽の位置を確認すると、それが一見お願いの形を取っているだけの命令だと理解していながら、あえて首を横に振った。
「明日は仕事があるので嫌です。騎士団に行く時間がありません」
「え、……いや、」
「もうそろそろ帰って休まないと、明日の仕事に差し支えるかもしれませんし」
「それは、俺が兄貴に話を通しておくが―――」
「いえそういう話でなく」
ぐっと力こぶしを握って、深呼吸をひとつ。常に、そう今も空腹であることが私に力を与えてくれる。演説の最中は隙を作らないことが大切だ。間は大事。そして全ては勢いにある。説得力なんて勢いさえあればきっと後からついてくる!
「どんな理由があるにせよ、遅刻したりヘマをしたら結局給料は下がるんです。その下がった給料は何だと思います? 私の糧であり命そのものなんですよ! 命が削れたらいつか死にます。飢えて死ぬ。嫌な死に方だと思いませんか、私はごめんですよ。毎日私がどれだけぎりぎりで生きてるとか知りませんよね? たった一日、その給料が貰えないだけで私は死の淵に立たされることになるんですっ!」
「…………」
おお、一度も途切れずに言い切れた。謎の達成感に包まれていると周囲に何とも言えない沈黙が広がるのがわかる。この国に有給などという制度はない。体調不良以外で休んだら特別な事情がない限りクビもありうる。これ以上余計なストレスを負いたくないというのが本音だった。もちろんそれ以上に―――騎士団なんかに行きたくないという思いはあったけれども。
「ですから、申し訳ありませんけど次の休みにしていただけますか」
「……つ、次の休みというのは?」
「さあ、私にはわかりません。それこそ店長に尋ねていただければと」
休暇というものはあまりにも不定期で、次なんて私には本気でわからないからこそ特に追及されなかったのだと思う。騎士団長は幾秒か逡巡する様子を見せたものの、私達から一度視線を逸らすと何事か口の中で呟き、肩の力を抜いた。あ、諦めたな。
「なら、ひとつだけ聞かせて欲しい。ここで奴らに何か貰わなかったか?」
「貰う?」
どこかやつれたような声に同情しつつ、その質問を受けて思わず私はまたネヴィと顔を合わせた。そして自然と視線はとある方向に流れる。―――そう、川べりの石に大事に大事に置いたあの美味しいジュース。特別だからと無料で配ってくれた……のは、誰だった?
騎士団長の言わんとしていることは理解できる。つまりルカの姉が狙われたように私も狙われていたのなら、誘拐手段は同じはずだ。彼女は公演途中に気分が悪くなったという話だった。それが、連中が仕組んだことだったとすれば、自ずと答えは出る。毒か―――もっと他の何か。
「あれがそうか。証拠として我々が持ち帰らせてもらうが、いいな?」
「えっ」
「え?」
「……ちょっと、ラギ!」
反射的に声が出てしまっただけで、回収されることを別に拒否したわけではない―――という言い訳は、私の腕を引っ掴んで少し離れたところまで連れて行ったネヴィのその不可思議な表情に霧散した。何もかも見透かした可哀想なものを見るような視線と、真剣で、どこか辛そうに揺れる目の奥に潜む……後悔の色。
「もしかしてとは思うけど、まさかアレ飲むつもりじゃないでしょうね?」
「いや、後で飲もうと思って大事に置いてたんですけど」
「でも毒入りかもしれないってことなんでしょ? だから飲まないわよね?」
「……えぇと」
飲まない、と断言できないのは、未練があるからだ。美味しいジュース、しかも無料。あれだけ美味しいものは久々で本当に飲むのを楽しみにしていたというのに、いやもう飲まないけど、飲めなくなったけど、でも苦しいものは苦しい。
「目を覚ましなさい、ばか! そんなもの飲んで調子悪くなったら働けなくなるわよ」
「それはわかってます! でも」
「でも、なによ!」
ああ、本当に飲みたかった。
「―――せっかくタダで貰った美味しい食料なのに!」
なのにーなのにーのにー。わざわざ距離を取ってこそこそと話していたのが全く無駄になるくらい、嫌になるほど声が公園中に響き渡った。再び広がる沈黙、ちらほら集まる生暖かい視線。ネヴィにがくがく身体を揺すられながら、私はひとしきりジュースを失うことに対する愚痴を言い続けた。
結局、痺れを切らしたネヴィが私を押さえつけて勝手にジュースを引き渡し、そうこうしている内にテントの中から同僚が出てきたので、騎士団長とのやりとりは終わった。挨拶もそこそこに皆で帰路についてもなぜか、特に引き止められることはなかった。