ごめんなさい。
突然、世界に音が戻った―――そんな気がした。悪口に精を出していたからかさっきまではちらとも耳に入ってこなかった音が、今うるさいくらい周囲に響いている。怒号、悲鳴、何かがぶつかり合うような金属音。テントの周囲には見るからに騎士だとわかる男達が控えており、あちこちに鋭い視線を送っていた。
(えーと、……なにごと?)
私は、ただその光景を見守るしかない。ぽかんとあいた口はさぞ間抜けだっただろう。心臓が口から飛び出そうなほど緊張しながら意味があるとも知れない時間稼ぎをしたのはほんの数分前のことだ。いつあの鞭が私に向かって振るわれるかとびくびくしながらの精一杯の強がりだったというのに―――。
私が衝撃から立ち直るには暫くの時間を要した。私同様驚きで固まっているネヴィやルカも、状況を理解してはいないようだった。
「くそ……っ放せ! 俺が何したって」
「動くな」
「っ!」
一片の感情すら読み取れないそのたった一言が異常に怖い。頭蓋骨仮面男もそう思ったのか一瞬で抵抗をやめ黙り込む。男の鞭に対して感じたものとはまた別の、身震いするような怖気が私の全身を駆け巡った。先の見えない時間稼ぎに終止符が打たれたといっても、黒尽くめの騎士の、荒事に慣れていると思わせる行為に助かったと安心するよりもまず不安が募る。怖い。彼の腕一本で私なんか簡単にねじ伏せられてしまうだろう、ことが、……ひどく怖い。
私は内心冷や汗をだらだら流しながら突然現れた男達、特に男を拘束している騎士をうかがう。覆水盆に返らず。口から出してしまった言葉をなかったことには……してくれないな。調子に乗りすぎたと後悔してももう遅かった。
「―――あまり騎士団をなめてくれるなよ」
それはいったい誰に言ってるんだ、私にか。じっと見ていることに気付かれたのか男の顔が動く気配をみせたので視線が合う前に私から目を逸らした。もうほんと怖いこのひと怖い。
無能集団。あってもなくても同じ。もちろん、ありえない仮定に従った単なる冗談の範疇だと言い訳はさせてもらいたい。そう、あくまでも騎士団がその義務を果たしていない場合、の話で、別に真実そうだと言い切ったわけではない。実際そうでないことはちゃんと証明されたのだ。他でもない彼ら自身の行動によって。
名誉毀損で訴えられたらどうしよう?ただそれ以前に、「国として終わってる」などと、王制を敷いているだろうここで反逆罪とも取られかねない発言をしてしまった私は、そもそも生かしてもらえるのだろうか。いまいちここの価値観が分かっていない私でもそれなりに、いやかなりやばいと想像はついた。どうにかして逃げてしまいたい、私の発言をばっちり聞いていた黒尽くめの騎士の両手が塞がっている間に。
私の切実な葛藤をよそに、テントの方では頭蓋骨仮面男のように変わった格好をしている人達が後ろ手に縛られて連行されていく。公園に集まった騎士共は誰もかれも厳しい顔つきをしており、これが彼らの“仕事”であることはわかる。組織丸ごと検挙したのなら本当にネヴィの言ったことが正しかったわけか。しかし国の中枢がある城下町に来てまでやらなければならないようなこととは思えなかった。人さらいなんてもっとこっそりやるものだろう?
(金儲け、って言ってたし……)
売り飛ばされる、のか?最悪に嫌な想像をしてしまい、私はそれ以上考えるのを止めちらりと前方少し下に視線を戻す。あの黒い人も犯人とやらを連行してどこかに消えてくれないかな。……ああでもその前に一応助けてくれたお礼を言っておかなければ、と焦りはするものの、この一帯に流れる微妙な雰囲気がそれを許さない。沈黙が重すぎる。
私のせいか。私のせいなのか。……仕方がない玉砕覚悟で!そう勢いをつけて顔をあげた私の目が、公園の入り口に立つひとりの歳若い少女を捕らえた。太陽の光を反射して金色に輝く髪と―――この距離でさえわかる、まるで翡翠のような瞳……。
「―――ミラルカっ!」
突如、公園に響き渡った声。え、と思うと同時に、私達の傍で蹲って怯えていたルカがはじかれたように身を起こした。信じられないといった様子で大きく目を見開いた彼女は、見る間にその瞳を潤ませていく。視線の先を辿れば誰を見ているか一目瞭然だった。金色の少女が泣きそうな笑顔を浮かべてこちらに走ってくる。じゃあ、ミラルカって、まさか。
「お、ねぇ、ちゃん?」
「うん、そうだよ。遅くなってごめん、……ただいま、ミラルカ」
「……っ、お、……おねえちゃんっ!」
「ごめんね、心配かけっちゃったね。もう大丈夫だから、……」
いきなり始まった展開についていけなかった私は、何度か目を瞬かせて二人抱き合い再会を喜ぶ様子を見守る。情報が脳全体に浸透するまで少し。ああ、そうか。見つかったんだ。私やネヴィが何もしなくたって無事だったんだ。―――騎士団のおかげで?
ルカの姉だろう少女の傍らで、純朴そうな青年が心底安堵した様子で笑っているのが見えた。あれも、騎士だろうか?腰に剣をさしてはいないようだけれど、服装はそれっぽい。私は暫し目の前にいる黒い騎士のことを忘れそちらを注視していた。青年が、少し申し訳なさそうな表情を浮かべながら、腰を屈めてルカに視線を合わせる。
「君のお姉さん、悪いやつに捕まっててさ。俺達が昨日のうちに保護していたんだけど、体調が戻らなくて騎士団で預かっていたんだ。……知らせが遅れてごめんな?」
「ううん、お兄ちゃんたちが助けてくれたんだよね? わたしは平気だよ、ありがとう!」
「ん。どういたしまして」
漏れ聞こえてくる会話に、私は多少引っかかりを覚えて思わず半目でその平凡な青年を見やった。なにそれ。連絡が遅れたのは姉の体調が悪かったから?どこの誰だとかそういう話もできないほど重体だったなら、昨日の今日で今そうやってここに来ること自体おかしい気がする。妹がいることさえ聞き出せていれば、こんな小さい子供がひとり町を探し回るなんて危ないことを防げただろうに。しかもルカはこうやって犯人のところへ乗り込んで来てしまった。下手に犯人と接触したり、姉のことを尋ねたりしていたらどんな目に遭っていたか―――。
そう考えると、わざと、ルカへ連絡しなかったこともありうる。まわりまわって情報が漏れないよう。連中の逃亡を阻止するために。
一度自分の中に湧いた疑念はどんどん別のところへ飛び火していった。そもそもあの黒い騎士が現れたタイミングだってどうなんだと思う。全部計算していたんじゃないのかと穿ちたくなるくらいだ。そりゃ証拠とか色々集めないと駄目なんだろうけど、仕方がないことなんだろうけど、こうも利用された感が強いと不愉快ではないと言ったら嘘になる。それともこの感情は、こいつらが「あの男」に近しい騎士団だからか―――。
そんなどうにもならないことをつらつら考えていた私は、怪しいテントからするりと出てきた人物が視界に入ったことで凍りついた。正確には、その赤い色を見て、だが。
「ルート、もういい。そいつを連れていってくれ」
「……ああ」
黒い人の名前とか二人の上下関係とか色々判明したものはあった。知りたくもなかった。そんなこと知らなくてもいいから私はただ平穏に何事もなく安定した生活を手に入れたいと願っている。一度でいいからお腹一杯になりたい。空腹に苦しめられず辛い仕事もしなくていい、そんな時間が欲しい。その為にも必要最低限の繋がりがあればいい―――つまり、こんな予定外の出来事はいらないのだ。
「っえぇ、リカルド様?!」
「うん?……っと、君達は――」
ああ、ネヴィ。わざわざ注意を引いてくれなくてもいいのに。声を掛けられて不思議そうに振り向いた「お菓子の人」もとい騎士団長は、私達の姿を確認すると驚いたように目を見開いた。
さきほどの暴言は地面に伏して謝りますから、なんかもう、帰っていいですか。