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薄闇の眠りを  作者: 吉舎街
第一章
17/85

悪口は本人のいないところで

 ぞわっと背筋に悪寒が走り、私は持ち上げたばかりのコップを静かに元に戻した。聞き覚えのある―――と言えるほど耳にしたことはない声、けれど振り向かなくてもそれが誰のものであるかは気付いていた。芝居がかった口調に潜むどこか冷たい響きに振り向きたくない気持ちが強まる。

 美味しい飲み物をわざわざ無料で配ってやったんだ、さっさと戻って金を置いてけお客様とでも言いたいのか。それともやはり、私が口から吹き出したジュースで汚れてしまっただろうテントの絨毯を賠償しろとかそういう話か。私は色んな想像を巡らせながら恐る恐る振り向いた。



「……ど、どうもお騒がせしました」



 やっぱり。私は口だけの謝罪をしながら心で密かに呟いた。想像通り、怪しさ満載のテントを背にしてあの頭蓋骨仮面男が立っている。ちょうどうまい具合に逆光になっていて彼の表情は窺えず、更に胡散臭さが増している。そしてその右手には……何故か、一本の鞭が握られていた。……猛獣使い?



「ああ、これ?さっき演目で使ったんだよ。せっかく君達みたいな可愛い女性に見てもらえると思ったのにな」



 私の視線に気付いたのか、男は聞いてもいないのに親切ごかしに説明すると見せつけるように鞭を振るった。鋭く空気を裂く音に思わず肩が跳ねる。―――なんだろう、この雰囲気は。テントを出てきた時とは違ってこちらを睨みつけることもなく、ただおどけた様子で笑っているというのにどうして、私は、こんなにも緊張しているのだろう。



「今からならまだ間に合うからさ。ここまで来てくれたんだし、少しは楽しんでいってよ」

「っすみません、でも、私達ちょっと用事ができてしまって。また次の機会に来ます」

「―――へえ?」

「っ!」



 男の両目がすっと細められたかと思うと、空にもう一度鞭が舞った。その聴覚を襲う暴力にルカが小さく悲鳴を上げしゃがみ込む。はっと我に返った私は慌てて彼女に駆け寄り、そのまま男を睨みつけた。明らかにそれは客に対する態度ではないし、平和な国で生まれ育った私でもここまでされたら流石に分かる。―――脅しだ、と。



「……あなた、何をっ」

「ち、―――っ近寄らないで!」

(えぇ?!)



 私の、今持てる勇気をあるだけ振り絞った詰問をよく通る声で遮ったのはもちろんネヴィだった。出鼻を挫かれたことと彼女のはっきりとした拒絶に驚いたことで私は勢いを失って黙り込んだ。しかも彼女はルカと私を庇うように男の前に立ち塞がったのである。……その全身から敵意を剥き出しにして。



「え? ごめんごめん、鞭が怖かった? つい癖でさ、持ってたら振り回したくなるんだよね」

「とぼけないで。この子は絶対連れていかせない」



 叫ぶでもない、怒鳴るでもない、ただ何か強い思いの込められた静かな声が空気の色を変えた。へらりと営業スマイルを浮かべていた男は真顔になり、瞳に不穏な光を宿らせてこちらを見据える。この子、とは明らかに私を指していた。偽りとはいえ金髪碧眼を持つ存在を。ということは、さっきネヴィが言っていた“私が危ない”とは、このこと……?



「……何の話? 俺はただ、演目を見てほしいって言ってるだけだよ」

「嘘!あと、ルカのお姉さんをどこにやったのよ!」

「ルカ? 誰それ。言いがかりはやめてくれるかな」



 混乱する私と怯えるルカをよそに二人だけで話がどんどん進んでいく。ただネヴィには悪いけれども、正直、会話を聞いていると男に分があるように感じた。彼女の態度は鬼気迫るものがあったが男の言う通り単なる言いがかりにしか聞こえない。彼が―――あるいは後ろの団体そのものが、人さらいだって?彼らがここ中央公園に拠点を置いていることからしても、到底そうは思えないのだが。



「えっと……流石にそれは無理があるかなー、なんて思うんですけど……」

「何が!」


 男を牽制していなければネヴィはきっと私を睨みつけていたに違いない。こめかみにたらりと冷や汗が流れるのを感じながら、私は暴れる心臓をおさえて何とか反論することに成功した。ここで引いたら負けだ。


「い、いやその、この公園使うのって申請しなきゃ駄目なんですよね?その、管理所に。言い換えれば―――国に」


私達はこういう者で、こういう事をするのでこの場所を貸してください、と。ここは公園だから大元は国が管理していることを考えれば、つまり、彼らは自分達の身元を上にばっちり把握されているわけである。怪しいものだったら許可が下りるわけがない。まあ実体がある組織を隠れ蓑にするという方法もないわけではないけれど。



「そもそも、こんな国のお膝元でそういう暴挙に出ます? 普通。騎士団とかに速攻で気付かれるんじゃないですか」

「っ、それは……。人を集める場所だからこそ逆にやりやすいこともあるわ」

「人が集まるからこそ噂も広がりやすい、とか。図書館の近くだから人通りも多いしこそこそ動くには向いてませんよ。それにそもそもまだ誘拐だと決まったわけじゃないですよね」

「……いいえ、ラギ。これは間違いなく誘拐よ。そうでしょ? 金髪に翠の目とくれば誰だって気付くもの! 子供だってわかる!」




 すみません、私にはわかりません。そう言えたらどんなに良かっただろう。私は何も言わずにただ沈黙を守る。子供だって、の台詞で隣にいるルカをうかがうと、ネヴィと同じくらい強張った表情で男を睨んでいた。彼女も理解しているのだ、私とは違って。子供だって知っているという常識―――焦りばかりが募り、頭をフル回転させても中々答えは見つからなかった。金髪に翠色の目。『光のみこ』。今代の『光のみこ』は金髪碧眼。単語だけがぐるぐると廻っている。第一、わざわざ誘拐するほど金髪に翠の目、あるいは金髪碧眼が珍しかっただろうか?黒目黒髪よりはよほどたくさんいるんじゃないのか?そう何となく思い返して……初めて、私は、気付いた。


 食堂で働く人々、炊事場のおばさん、管理人のアニーさん、魚屋のおじさん、フラグ美形男騎士団長似非役人その他―――の、瞳の色を思い出せないことに。


 ネヴィはわかる、黒目黒髪だ。それは私が失った色だから余計気になっていた。けれどそう、今、私に縋ってくれているルカのそれでさえもはっきりと断言できないことに私は愕然とした。


(私は、……今まで、なにを)


 私は―――。城を逃げ出してから、今まで。ほとんど誰とも目を合わせずに生きてきたというのか。茶か黒かわからなくて迷うなんてそんなレベルじゃない。こうだったかな、なんて推測もできない。真っ白だ。



「ラギは渡さないわ!金儲けの道具になんて、絶対にさせない!」

「―――しつこいなあ、キミ」



 再び響いた鞭の音が私を現実に引き戻した。ネヴィが挑発し続けたせいか、空気が更に冷たく重くなっている。事の真偽は別としてあの必死さは私を守るためのものだ。男が痺れを切らしたように一歩前に出たにも関わらず彼女は動かない。どうしてそこまで必死になれるのだろう。どうして、……身体がそんなにも震えているのに。

 私はぎり、と唇を噛み締めると、ルカの頭をひと撫でしてゆっくりと立ち上がる。―――怖かった。多分、ネヴィに負けず劣らず私も震えているのだろう。こんなことガラじゃないし、状況がわからない私が出て行っても意味なんかないかもしれない。ただ、……ただ、あの凶器が、ネヴィに向かって振り下ろされる様を見たくない、だけ。



「やっぱり、この人たちのせいだっていうのは短絡的じゃないかと思います」


 数歩進んでネヴィと並び、私も男と向き合う。とにかくまず不機嫌そうな男を落ち着かせることが先決だった。


「ラギ……? どうしてそんなこと言うの?」

「彼らがこの町に来たのは結構前ですよね。組織立っての犯行だとするなら、犠牲者がルカのお姉さんひとりだとは思えない。金髪に翠の目、探せば案外いるんじゃないですか」


 黒目黒髪のように。そうかまをかけてみると、彼女は黙って頷いた。よし、この調子でどんどん話題を逸らしていこう。


「だとしたらやっぱりおかしいですよ。子供でも知ってることは騎士団だって知ってる。何かしらの対策をとってないはずはないし、ひとりふたり、とにかく金髪で翠の目を持つ人が失踪した時点で気付かないなんてありえません」



 理論が破綻していることは重々承知しているとも。突っ込みどころも多いだろう。それでも私はつらつらと思ってもないことを並べながら、盲目に騎士団を信じるふりをする。騎士団の実力とか仕事内容とかは全くわからないため想像で語るしかないが。



「ちょ、ちょっと、でも騎士団だって完璧じゃないんだし、うまく隠蔽されたら気付かないってこともあるんじゃない?」

「市民を守るのが騎士団の義務なんでしょう?そんな騎士団が今の今までこの人たちに何もしなかったなら、きっと無関係ですよ」

「…………」



 頭蓋骨仮面男は私達のやりとりに毒気を抜かれたような顔をして、何の言葉も返してこない。こいつが本当に黒幕だったなら今私のことを心の中で馬鹿だ阿呆だと思っているんだろうな。とにかく、このまま時間を稼いで演目が終わるまで引き伸ばそう。どちらが正しいにしても、もう一度テントに戻る気力はなかった。男を信じる気にもなれないからだ。



「まあ、もし、もしもこの人たちが犯人だったとしたら、騎士団はとんだ無能集団ってことになりますけどね。犯罪者を野放しにして市民ひとりも守れない騎士団なんて、あってもなくても同じじゃないかと」

「え、あ、っちょ、……っ!……もう、ラギ!」

「でもって、そんな騎士団を抱えてる国も言わずもがな。推して知るべし。こっちは無能とかそういう話じゃなくて、」



 私は流れが自分にあると調子に乗って更なる言葉を紡ぐ。その暴言が半ば八つ当たりであったことは、潔く認めよう。

でもまさか―――。まさか、まさかこんなことになるとは本当に夢にも思わなかったのだ。




「単に、国として終わってるってことです」



「―――まったくだ」




「ぐ……っ!」

「……え?」



 「あの男」への積年の恨みとばかりに吐き捨てた私は、視線を地面に落としていた。だからその声が誰のものかわからなかったし、どこから聞こえてきたのかもいまいちわからなかった。慌てて視線を元に戻すと、そこには頭蓋骨仮面男を後ろ手に拘束する、たった今私が思いっきり悪しざまに罵った騎士団に所属するだろう男が立っていた。



―――この人、確か図書館前で道を塞いでた二人の片割れじゃないか?

似非役人じゃない方の、黒尽くめの―――騎士?


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