選択した行動はキャンセルされました。
テントの中から、わぁっと歓声が聞こえてくる。公園に来たばかりの頃は確かに中の見世物に興味があったが、最早今は全然気にならない。……そもそも気持ちとして現実に出せるお金は雀の涙のようなもので、それも身を切るような思いで貯金したものだったから―――正直助かったのも事実だった。だからこそ余計この可哀想な少女を見捨てられない。たとえ騎士団という私にとっては厄介かもしれない場所に赴くことになろうとも、だ。
まあ、相談所なんてところはあまり地位の高い人間を使ったりはしないだろう。市民との繋がり、いわゆる窓口でしかないはず。人々のどこか驚きの混じった歓声を背に、人気のないテントの裏で私達は顔をつき合わせて話を続けていた。
「おしごとの帰りにみんなで来たから、服はおそろいだったんだよ」
「お揃い……制服ってことね。お姉さんはどこで働いてるの?」
「っ、……」
「ルカ?」
「…………東の、あかいお店」
東といえば、―――花街か。今まであまり探索したことのないこの城下町を思う。どこで誰に会うかも分からない、どこでどんな厄介事に巻き込まれるかもしれないと考えただけで外出する気は起きなかった。それに泥作業という重労働は案外負担で、貴重な休みは身体を癒すことに費やすのが日常だ。しかしそんな私でも、管理人のアニーさんから受けた一通りの注意……忠告、のおかげでどこに何があるのかは大体把握している。城下町で東といったらいわゆるそういった店が並ぶ場所、と暗に意味するくらい有名なところだった。
もし私があの時食堂で雇ってもらえなかったらいつかはそこに身を堕としていたかもしれないと思えば―――、……いや。私は、そうしてまで生きることに執着しただろうか。生きるためなら何でもすると割り切れただろうか。なんとなく、そういう自分が想像できない。
(……死ぬのは絶対嫌だけど、ね)
それと同じくらい、痛いのも苦しいのも辛いのも本当はごめんだった。
「そっかあ。じゃあ、お姉さんはどんな人?」
ルカの姉がどういった仕事をしているか分かっても、ネヴィは眉を顰めることなく、たださらりと流して次の話題を振った。少女は何か言われると思ったのか俯き震えていたようだったが、あっさり話題が移ってしまうと大きな目をぱちくりと瞬かせて私達を交互に見やる。私もどうこう言うつもりなどなかった。娼婦を底辺だというのなら泥作業組も底辺を彷徨うもの、どちらも大して変わらない。私達だって所詮使い捨て―――何かあったら即刻首を切られる程度の存在でしかないのだ。
そう内心自嘲しつつ、私は戸惑った様子できょろきょろするルカの頭にぽん、と手を乗せ、宥めるように撫でてあげた。こんな些細なことに笑顔を取り戻してくれる少女はなんて素直に育ったいい子なんだろう。
「お、おねえちゃんは若くて、優しくて、ええと」
「ほらほら落ち着いて。ゆっくり喋っていいから」
「うん!あのね、あのね、きれいなみどり色の目をしてるの。宝石みたいにきれいなんだよ!」
熱心に語る彼女のきらきらとした瞳が、本当に姉が好きなんだなと思わせる。その姿はやけに眩しかった。やっぱり四の五の言わずにさっさと騎士団相談所とやらに行くべきなのだろう。失踪したのが一昨日ならまだ希望はある。最悪の可能性?そんなもの、他の誰かが考えていればいいことだ。
「それから、えっとそれから……」
言いたいことがありすぎて混乱しているのか首を傾げて悩む少女の様子はとても可愛い。つられてもう一度くしゃりと頭を撫でると、ルカはくすぐったそうに身をよじって私を見上げ、そしてぱぁっと顔を輝かせた。その視線の先にあるのは、私の、髪?
「あとね!おねえちゃんは、ラギお姉ちゃんみたいに髪の毛がきらきらしててね、お店でもいちばんなんだって!」
「私みたいに? ―――ああ、それで、間違えたんだ?」
「……う、あの、ごめんなさい。ほんとにおねえちゃんかと思っちゃって……」
「いいよ、もう平気だから。私は気にしてない、だからあなたも気にしない、ね?」
「……うん」
視界に入ることすら嫌悪してしまう己の金髪を少女が羨望の眼差しで見てくることに、私はずきりと胸が痛んだ。いつまで経ってもこの色には慣れないし、心の奥底に飲み込んだ激情は密やかにくすぶり続け決して消えることはない。うまく笑えているかどうか自信がなかった。ただただ、自分のものではない色が忌々しい。
―――ふと、さっきからネヴィが黙りこくっているのが気になった。
暗くなりがちな思考を止め、一体どうしたのかと彼女が立っている場所へ視線を向けた私は思わず目を見開いた。ネヴィの顔色が蒼白を通り越して土気色になっていたからである。なにか恐ろしいものでも見てしまったような―――恐怖と、焦燥に染まった漆黒の瞳。桜色の唇が戦慄く。
「……若くて、金髪で、……翠色の目?」
感情の窺えない声で、ネヴィは呟くように言った。何も言えずに見守っていると彼女はどこか苦しそうに表情を歪め、胸の前でぎゅっと両手を握り締める。ジュースで汚れた布切れが乾いた音を立てて地面に落ちた。
「お姉ちゃん?どう、したの?」
この痛々しい沈黙はなんだ。私はどうすればいい。困り果てて今度は私が二人を交互に見やる羽目になった。ルカの心配そうな問いかけにも応えずただ俯くネヴィの眦にきらりと光るものが見える。
(って、泣いてる?!)
今の会話のどこに泣く要素が?とひとり慌てていると、突然、彼女がばっと顔をあげた。
「ラギ……」
そしてじっと私を見る。見る。見続ける。視線がばっちり合ったかと思えばふいっと横に逸れ、また目が合う。その繰り返し。さきほどの台詞からして、私の髪と目を見ているのだろうか?その意味も分からず見つめ返せば、透き通るような漆黒の瞳が何かを堪えるように揺らいだ気がした。
「あの、私は金髪ですけど、目は翠色じゃないですよ?」
たぶん。と心の中で付け加える。最後に見た私の瞳は、海のように蒼かった。
「分かってる……伝承に従えば対象から外れてるとは思う、でも、それも十二年前までの話よ」
「え?」
「ラギは十二年前の儀式、見なかった?今代の光の巫女は金色の髪に碧い瞳を持ってるの。翠だけじゃないってもう証明されてる」
「え、……ええ?!」
みこ―――。一番聞きたくなかった単語がネヴィの口から零れでた。そしていったいなんの話をしているのかがさっぱりわからない。予想外の展開に私がどんなに焦っていても、何故かそれ以上に焦っている彼女が気付くことはなかった。それどころか問答無用とばかりに私とルカの腕をがっしり掴んで、大真面目に叫びだす。
「早く……早く騎士団のところへ行きましょう。危ないわ!」
「何がですか!」
「君がよ!この辺りでルカのお姉さんがいなくなったとしたら、ラギだって狙われるかもしれない」
「ひ、人さらいが出るってことですか?こんな真っ昼間から―――」
「昼間やらずにいつやるのよ?!」
そりゃあ夜とかでしょう。流れで普通にそう答えかけて私はぎりぎりで踏みとどまった。この世界は違うと気を抜けばいつも忘れそうになる。私の常識でものを考えてはいけない。珍しく声を荒げたネヴィの剣幕に圧されつつ、そうですね、ともごもご口の中で誤魔化しておく。
「朝も夕方も夜の影響が強いんだから。一番治安が悪いのは昼でしょ?もう、ラギって本当に食べ物のことしか興味がないのね!危機感足りないわよ!」
「ご、ごめんなさい……?」
わからない。今、ネヴィは確かに『ひかりのみこ』と言った。ひかり、が光だとして、『みこ』は「あの男」が言っていた『みこ』と同じものと考えていいのだろうか。でも私は本来黒目黒髪であり、『みこ』であるはずだ。彼女の言葉から察するに金髪に翠の目、あるいは金髪碧眼だけが『光のみこ』なのだとしたら、それは。
そこまで考えたところで、私の後頭部を軽い衝撃が襲った。はっとして顔を上げると、今まで見たことのないような怖い笑顔でネヴィが眼前に仁王立ちしている。
「おおお姉ちゃん……?」
「ごめんごめん、ルカも私達と一緒に行こうね。こらラギ!ぼさっとしない!」
「う、うん!」
「……えーっとじゃあ、あの飲み物取ってきます」
「っだからね、状況分かって―――」
なんにしろ、騎士団のところへ行ってルカの姉のことを頼まなければ考えることすらままならない。でも狙われているなんて、そもそも偽者の私には関係のないことだ。私は未練がましく例の美味しいジュースを置いた岩場へ舞い戻り、今度は絶対零さないと誓いながらコップを手に取った。
―――その背後から。
「お嬢さんたち、早く戻らないと演目終わっちゃうよ?……いいの?」
笑みを含んだ、声、がした。
巫女、と、『みこ』。