下半身を鍛えるべきでしょう。
図書館の隣に位置している大きな広場。その奥から一本の道で繋がれた場所、それが中央公園である。普段から誰でも自由に出入りできるが、楽団など国々をまわって興行する団体の場合、管理所に申し込みさえすれば無料で長期間の占拠を許されるという。緑豊かな自然に四方を囲まれた空間は、どこか日常から切り離されたような不思議な感覚を私達にもたらしている。
ネヴィとの約束―――といっても、時計なんてものは存在しないので、個人個人で正確な時間を知ることができない。唯一、一日に三度鳴らされる教会の鐘の音で大ざっぱな時刻を知るくらいだ。今日の待ち合わせだって、昼の鐘が鳴る頃に中央公園前に集合、という何ともいい加減なものだった。もっと酷いときには、太陽がどこそこ辺りに来たら……なんて誤差の大きそうな約束も交わされたりする。それを日常としている彼女達に私は何も言えず、ただ遅れるのが嫌で少し早めに部屋を出た。
公園には入らず、広場の方でネヴィ達が来るのを待つ。ここからでも、道の奥に広がる公園が賑わっているのが見えた。ど真ん中に大きなテントが張られ、漂う独特の雰囲気がまるでサーカスのようだとひとり思う。もしかしたら本当に玉乗りとかそういう大道芸のような見世物なのだろうか。ネヴィの反応からしてもその認知度は低そうだし……珍しく思われても不思議じゃない。
(でも、……あんまりこの場所には似合わないかも)
落ち着いた空間の中に、大きな胡散臭いテント。そのアンバランスさに戸惑いを覚えるのは私が異世界の人間だから?それに面白いと評判だったと彼女は言っていたが、何がどう面白いのかさっぱり伝わってこない評価は少し奇妙な印象を受けた。
フラグ美形男も、騎士団長も、―――似非役人も、あれから一度たりとも会わないし見かけることもない。最近になって、やはりあの数日間は異常だったのだと思う。普段すれ違うことすらありえないような連中と何度も出くわした事実は、そこに意図的なものが含まれていたことを示したようなもの。似非役人との邂逅からネヴィの周囲はすっかり落ち着きを取り戻した。
それは同時に私の平穏にも繋がり、空腹がいつまでも解消しないことを除けば、それなりに心安らかに暮らしている。
「あっ、やっぱりもういた!ラギ、こっちこっち!」
聞き慣れたよく通る彼女の声に呼ばれ、私は広場備え付けの椅子……らしきものから腰を上げ振り向いた。広場の入り口ので、後ろに食堂の従業員仲間を幾人か引き連れたネヴィがぴょんぴょん飛び跳ねている。なんだか、いつもより随分とテンションが高いような気がする。お互い走り寄って合流すると挨拶もそこそこに私達は公園へと向かった。
中央公園、テント前。やっぱり近くで見てもどこか異質なものを感じた。“らしく”ないというか。やっぱりこの町には似合わない。外から見えないようぴっちり隙間なく閉ざされた入り口も、閉塞感を助長させる。
「……変わった建物ね。外国のものかしら?」
「うーん、見た目は南国っぽくない?」
「あ、分かる分かる。そんな感じするよねぇ」
「あっちで説明してるみたいよ。行ってみましょ!」
「…………」
私のイメージする「南国」にはかすりもしないぞ、これは。と彼女達の会話を聞きながら全体図を眺めた。価値観の相違というものだろうか、皆特に怪しむ素振りもなく近づいていく。私は微妙に気が進まない自分を持て余しつつ、入り口付近で客寄せをしている男――人の興味を惹くためか、顔の半分を何かの頭蓋骨で隠し頭から毛皮を被るという奇抜な格好はどこからどう見ても怪しさ爆発状態だった――の方へと足を進めた。
客寄せならここじゃなくて広場か、図書館前あたりでやればいいのに。あ、子供は泣くかもしれない。
「さあさ、今入らないとそろそろ満員だよ! おっと、そこのお嬢さんたち―――」
目敏く私達を見つけた男から、中の見世物について軽く説明を受ける。お代は帰りに気持ちの分だけ。中は暗いので段差に気をつけるように。連日満員御礼で今日は特別に飲み物を入り口で配っているからそれを受け取って欲しいこと―――。変な格好にしては口調がしっかりしていて言うこともまともだった。外見で判断して悪かったな、と反省しつつ、説明を終えて入り口へ誘う男をもう一度見やる。すると向こうも私を見ていたのか目が合い、そのままにたりと笑われてどきどきしてしまった。
……悪い意味で。
中には、予想に反して対面式の舞台があった。テントの形状からサーカスだと頭の中で思い込んでいたせいか、いわゆる全方位に客を配置する円形構造かと勝手に思っていたのだ。狭いとは思わないが決して広くもない造りをしている。満員御礼などと言うからもっとぎゅうぎゅう詰めになるのを想像していたが、そうでもないようだ。今回だけがそうなのか、それとも、この世界での満員とはこういうものなのか。いまいち釈然としなかったが顔に出さないよう努力した。
入り口で呼び込みをしていた男がひとりひとり、丁寧にジュースを配ってくれる。無料サービスとはまた至れり尽くせりな話だった。タダより高いものはないと良く言ったものだが。薄暗い中では正確な色は分からなかったけれど、爽やかな柑橘系の匂いが鼻をくすぐる。私の隣で美味しい!と感動したようにネヴィが叫ぶので、どれ、と私もコップに口を付けた。
「―――……っおねぇちゃん!!」
どすっ。
「ぶほぁっ!」
「ぇあっ?!」
腰に重い、重い衝撃が来た。日々酷使している身体は見事耐えきった……なんてわけもなく。座っての作業が多いため酷使しているのは主に上半身だから仕方ないことか。とにかく私は何の前振りもなく襲いかかってきた横からの力に耐えきれずたたらを踏み、口に含んだばかりのジュースを前方にすべて吐き出し、傾いだ身体を支えようとしてくれたネヴィを巻き込んだ挙句、彼女のその右手に握られていたコップの中の液体を顔面からもろに被った。
それはまるで一連のコントのようだったと、後々思い返しては悶絶して転げまわりたくなるほど恥ずかしい出来事だった。
「ラ、ラギー?! だ、だだ大丈夫?顔からいったよね、ああごめん、ごめんね!」
「……い、いえ、大丈夫です。私こそすみません」
顎からぽたぽたと落ちる滴はひどく甘い匂いを放っており、ああもったいないと思わず口の端をべろりと舐めてしまった。ああ、これ、確かに美味しい。奇跡的に私のコップの中のものは半分以上残っていることに安堵を覚えた。
ふと、そこで気付く。あの衝撃は一体……いやそれ以前に私の腰辺りに巻きついているものは何なのだろう。私はジュース塗れになりながら恐る恐る、ぎりぎりと軋む首をゆっくりと下に動かした。
―――子供、だ。
小さな女の子。豪快に全体重をかけてタックルをかましてきた少女は、私に抱きついたままぴくりとも動かず離れない。むしろ、
(……震えて……?)
お姉ちゃん、と、呼ばれた記憶は薄っすらある。もちろん私に姉妹はいない。ここでも、あちらでもだ。もしかしてこの子は迷子だろうか?この薄暗い中家族と離れ離れになったのならそれは心細いことだっただろう。
ここの人にでも話してお姉ちゃんとやらを探して貰おうかと首を巡らせれば、突然、ネヴィに引っ張られた。……少女ごと。
「なにぼさっとしてるの、ラギ。早く洗わないと駄目じゃない!」
「ええそれはもう、私、外で洗ってきます。あのですからこの子―――」
「うん。皆、ごめん。すぐ戻るから気にしないで見ちゃっててね!」
いや、それは私の台詞なんですが。喉まで出かかった言葉は結局声になることはなかった。迷子を誰かに託したら一人で出て行くつもりだったけれども、てきぱきと話を進め皆に行ってくると宣言してしまったネヴィに、そして行ってらっしゃいと送り出す皆に、私は大人しく従うしかなかった。
三人でテントから出ていく際、ジュースを配ってくれた怪しい格好の男にもの凄い目で睨まれてしまったのが死ぬほど怖かった。開幕の邪魔をしてすみません、騒いですみません、でも始まる前だからいいですよね?……ね?
新展開突入。




