捜し求める人々
裏庭へ向かう足を止めるわけにはいかなかった。
身体が鉛のように重い。一歩ごとに遠のいていく二人の声。
「――昔――の――――」
「っ、それは―――」
自前じゃない?……髪が?瞳が?言葉通り受け止めれば、ネヴィの黒目黒髪は生まれ持ったものではないということになる。私が奪われ、今も尚切望するその色。―――ああ、この場に留まってもっと二人の会話を聞きたい、けれど今立ち止まれば私の最も近づきたくない部類の人間に気付かれてしまう。
私が耳をそばだてていることを知れば、きっと青年はその鋭い目をこちらに向けるに違いないのだ。穏やかさを装った冷ややかな視線、世間話のふりをした尋問。どれを取っても歓迎したいものはない。私はともすればその場にうずくまってしまいそうな自分を叱咤して、何とか裏庭への扉に手を掛けた。
「偽りの色を纏って舞うなんて、……そんなこと、神様への冒涜だと思いますから」
どこか虚ろなネヴィの声が、頭の中で何度も何度も反響していた。
湧き水のせせらぎを聞きながら、私は自分の定位置へと腰をおろした。水分を吸った布の重みで自然と頭が下がる。目を閉じれば少し前まで町中に貼られていた踊り子募集の紙が思い浮かんだ。
(……やっぱり)
ぐ、っと息が詰まる。分かってはいた。気付いてはいたのだ。ただ考えないようにしていただけで。毎日充分な食事を得ることができない辛さもそれに拍車を掛けた。余計なストレスを溜め込めば生きること自体苦しくなる。私は顔を両手で覆って、深く深く息を吐いた。
国が本当に、真実、黒目黒髪の『誰か』を捜しているかどうか?それは今、役人に扮装したインテリ男が自らの行動を以って教えてくれた。
踊り子の選考は城で行われる。だからこそ城下町であるここにたくさんの黒目黒髪達が集まったのだし、あれだけ大量の貼り紙が作られた。支払われる報酬もあわせて全体に掛かる費用は莫大なものだっただろう。まあ、この国の予算が圧迫されようが私にはどうでもいいことだが。
青年が町役場の人間だと仮定して。立ち寄った店でたまたま見つけた黒目黒髪が選考に来ていたかどうかなんて、彼に分かるだろうか?もしかしたら行って落ちたのかもしれない。本人に聞かない限り普通は分からない。それはないと言い切るとすれば、彼自身が選考に深く関わっていた……か、あるいは、その情報を得られる立場にいる、ということ。
少なくとも、日本で言うところの“町内会”程度の規模でしかない町役場に勤めているとはどうしても思えなかった。
(胡散臭いにもほどがある、っての)
大体報酬云々の話にしたって、ネヴィが物凄く給料の低い泥作業組であるかどうかなど、その時点では接客をしていた彼女を見て気付くだろうか。……土で薄汚れた爪を見れば分かるか?とはいえそこまで瞬時に判断して尋問するなんて普通の人間なら絶対にしないと思う。
―――つまり、彼は、ネヴィに関して知りすぎている。
最初から彼女のことを調べていたと考える方が自然だった。もっと邪推するなら、騎士団長を使って店から人を出し、二人きりで会話しやすい状況を作った、とか。考えればいくらでも思いつく。不愉快なことに。
そもそも、何故、ネヴィなのか。
今日まで幾度もその疑問が浮かんでは消えていった。しかし今、私の頭の中でいくつかのピースが合わさり、ひとつの答えを導き出していく。あながち間違ってはいないという確信もありながら。
踊り子の募集は確かに黒目黒髪を簡単に集めるいい方法だったのだろう。さきほど青年は国内にいる殆どの黒目黒髪が選考に訪れたと言っていた。それで見つかるなら御の字、けれど奴らは見つかるなんて最初から期待していなかったのかもしれない。なぜならこうして、その募集に“来なかった”黒目黒髪を調べにきているのだから。地位の高い人間が、わざわざ自ら出向いてまで!
(でも、ネヴィの黒目黒髪は本物じゃなかった。……ってことは、当てが、外れた?)
彼女が黒目黒髪を自前ではないと言った時の彼の反応を思い出す。まさか、という失望の響きが宿った声。ああいう系統の人間は相手の嘘を見逃したりはしないだろう。だから多分、本当のことだと思う。そして青年の驚きようからして、彼は生粋の黒目黒髪を捜していたのだと分かる。
「っあーもう、こんがらがってきた!」
私は苛々して頭に被っていた布を地面に叩きつけた。考えれば考えるほどわけがわからない。とにかく、国が黒目黒髪を捜していることは事実として確定した。『みこ』がどうとか、国を救うためだとか「あの男」がほざいたことからしても恐らく私のことなのだろう。
だから?そう頭の冷静な部分が囁いた。
名乗り出る義理がどこにある。どうせ求められることは変わらないのだ。国のこれからに興味はない。私のこれからは―――まあ、この不安定な生活が改善されてから考えればいい。
ぱん、と一度両手で顔をはたいて気合を入れなおす。仕事はまだまだ終わらない。ネヴィと青年とを私が引き合わせてしまったかもしれないことに謝罪の気持ちを込めて、彼女の分まで下拵えに精を出すことにした。
今日も今日とて食材の下拵え。接客担当の五分の一くらいの給料で、私達は毎日を生き延びている。特に代わり映えのない日々が続く。唯一変化があったとすれば―――あの日から、ぱったりと騎士団長こと「お菓子の人」が店に姿を現さなくなったことくらいか。
「ラギ? なに、そんな溜息吐いて。大丈夫?」
「……最近、来ないですね。お菓子の人」
「騎士団長だってば。……まさかまたお腹空いてるの?」
「人間、お腹が空かない日はないと思います」
「そういう意味じゃなくて。って、分かってるでしょ!」
ゴミ捨て場で貰ったクッキーは、もうとっくの昔に私の腹の中に収められ消化され跡形もない。人間としてどうかとは思ったが、いつか食堂の前で騎士団長に「食べ損ねた」と嘆いていた女性従業員を捕まえて、半分お裾分けしてみたのだ。彼女はとても喜んで大事そうに持って帰り、翌日、本当に美味しかったとお礼を言いにきてくれた。
……毒見させたと言われても仕方がないことをしたと思う。彼女の健康や話し方に何の変化もないことを確認して―――次、空腹を我慢しきれなかったときに、食べた。
何も起こらなかった。普通に美味しかった。日本で散々クッキー類を食べ続けていた私にとっては、驚くような味ではなかったけれども。
「そういえばラギ。明日、本当に楽しみね」
「中央公園前現地集合。はい、お菓子が待ってますから絶対忘れません」
「えーその言い方可愛くない。どうしよっかなあ」
「冗談です私も心から楽しみにしてます!」
「……っぷ、あはは! 心配しなくてもちゃんと持っていくわよ、もう。必死なんだから」
ネヴィが笑うのにつられて私も自然と笑顔になった。そこに炊事場のおばさんが加わってたまに雷を落とされて。そんな日常。ああ、とても妙な気分だった。一方では笑顔で誰かを利用し、一方ではこうやって厭っていたはずの交流を楽しんでいる。どちらも表面的な関係にすぎないのに。決して何も生まないのに。
『みこ』。国を救うために召喚された存在。
何から救うのか、どうやって救うのか、それ以前に真実か否かなんてことさえわからないこの状況で。
私がこの国を救いたいと思う日が、いつか、来るのだろうか?