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薄闇の眠りを  作者: 吉舎街
第一章
12/85

現実逃避を繰り返して

 何かから逃げるように急ぐ、急ぐ。野次馬の囲いを抜けた瞬間から言い争う声が聞こえなくなるまで、私はとにかく走り続けた。まさか追って来るのではと道中不安に思っていたが、結局誰も私のことなど気にかけていないようだった。それはそれで虚しかったけれども。まあ謎の物体Xはよく水に溶ける成分だったのか、あの気持ちの悪い感触はすっかり消えている。後は肌にはりついた服が乾けば何の問題もないだろう。

 上がってしまった息を整えつつ、次第にスピードを緩めた。気付けばもう見慣れた道まで戻ってきている。食堂はすぐそこだ。私は魚と野菜がいっぱい入ったカゴを持ち直すと、意識を切り替えて一歩を踏み出し、




「リカルド様!昨日の焼菓子、ほんとうに美味しかったです!」




 そしてそのまま動きを止めた。待て昨日の今日だろうありえない幻聴だこんな昼間から―――巡り巡る、現実を認めたくない私の無駄な抵抗は、続いて耳に飛び込んできた言葉に粉砕された。




「あたしもそう思いました!あの、香ばしくって、歯ごたえもよくって、お茶にぴったりだと思います!」

「あのっ食べ損ねたんですけど、いつ売り出すんですか?私、必ず買いに行きます!」

「リカルド様、次はどんなものを?」




 また、……出た。また、出やがりましたか「お菓子の人」!あとひとつ角を曲がれば食堂……というところまで来て、昨日と同じようにまたもや聞こえてきた黄色い声に嫌な予感がしたと思えば。かの長身のおかげで私の立ち位置からでも赤い色が目の端にちらちらとうつる。本当に何しに来てるんだろう、あの人。騎士団長なんていう偉い職業に就いている人間が、連日、しかもこんな時間からふらふらしていていいのか?この国、本当に大丈夫か?


(休暇だったら、あんな格好してるわけないし)


 しかし女性の話からすると、昨日配っていたのは試作品のようだ。つまりはゴミ捨て場で私が貰ったのもそのひとつ?もしかして誤魔化したんじゃなく、本当にただの試作品だったのか、あれ。楽しそうな女性達の声に何だかがっくり脱力したい気分になってくる。

……いやでも、それは呪われていないという証明にはならないな。……うん。




「君達には普段から助けられてばかりだ。本当に、いつもありがとう」

「ああっリカルド様!」

「私達でよければいつでも協力します!」




 落ち着いた声は耳に心地いいが、同時に不可解だと思う。素の口調がどんな代物だったにせよ、女性に対してきちんと礼儀正しいしあんな風に囲まれても苛立ちひとつ見せず愛敬を振りまく余裕がある。最初はどんなチャラ男か遊び人かと思ったものだが、ハーレムが目的かと今こうやって注意深く観察しても特にそんな雰囲気でもない。

 本気で焼菓子に対する反応が気になるのか、それとも、



(―――――仕事、か)



 己の思考に、ぎくり、と肩が跳ねた。角から様子を窺うのを止め、私は軽く頭を振って嫌な予感を追い出す。考えたってどうにもならない。私にできるのは関わらないよう行動することだけだ。

 私は来た道を少し戻ってから昨日と同じルートを辿って裏庭へと向かった。

―――ああ、何もかもが煩わしい。











「……あれ?」


 予想に反して、静寂のみが私を迎えた。今の時間ならまだここで食材を洗っている筈のネヴィがいない。また団体客でも現れたのか?それとも、騎士団長のせいで騒ぐ従業員の分の仕事をやらされているのか?もしそうなら、その仕事は本来私がやるべきことだった筈だ。いささか罪悪感を覚えつつも、とりあえず手に入れた食材をまず厨房へと持っていくことにした。


 常に火が焚かれている厨房に入ると、その熱気にほっと身体から力が抜けるのが分かった。……少し、背中が冷えていたのかもしれない。ぱちぱちと薪が弾ける音がどこか暖かい。と、背後からおばさんに声を掛けられた。




「ラギ?っあんた、どうしたんだいその格好!びしょ濡れじゃないか!」

「さっき往来で、その、痴話喧嘩らしきものに巻き込まれまして。それでこの惨状です」

「おやまあ……、それは災難だったねぇ。ほらこっちへおいで。このままじゃ風邪引いちまうよ」




 痴話喧嘩?当然、そんなものではない。ただ実情はどうあれ、被害者(わたし)を完全に無視してあそこまで言い合える二人はとてもお似合いだと思ったからだ。あと詳しい説明が面倒でもあったので適当に端折って話を流した。

 炊事場のおばさんは近くにあった布を取り、私の頭や背中を丁寧に拭いてくれる。その優しい手つきに身を委ねていると、ことことと料理が煮立つ音に混じって、どこからか微かにネヴィの声が聞こえた。




「あの……えぇと、貴方は……?」

「ああ、申し遅れました。私は町役場に勤めている者です。今回の―――を主催しておりまして」




 それに応える男の声。その音が、その響きが、己の脳に届いた瞬間に私は、おばさんの手を跳ね除ける勢いで顔を上げた。厨房の入り口近く、食堂全体からは奥の隅の方で向かい合う二人の姿が見える。一人はネヴィ。そしてもう一人は。




「こら、じっとしてな……っあ!ちょいと鍋見てくるからラギ、自分でしっかり拭くんだよ、いいね!」




 鍋が焦げ付く気配を感じたのか、おばさんは慌てた様子で厨房の奥へと引っ込んでしまった。私はそれにろくに返事もせずお礼も言い損ねたまま、自然と視線がそちらに向かうのを止められなかった。厨房の入り口に近い席に座るひとりの青年と、トレイを胸に抱え込んだまま可愛らしく首を傾げる我が同僚。

 絡まれている?ここからは分からないが、それよりもっと重要なことがある。


 今、あの青年は何と言った?町役場の人間?―――嘘だ。だって彼は、いつか図書館への道を塞いで喚いていた迷惑極まりないインテリ男じゃないか。あの時着ていた服からして、主に平民が働く町役場の人とは到底思えない。黒尽くめの騎士とも親しく話していたようだし、城の関係者には違いないだろう。だが今よくよく見ると、あの日とは違って確かに平民らしい服を身に纏っている。特に華美な装飾もない。言われればそう信じてしまうくらいにはそれっぽいと頷けるような。


……全く暖かみの感じられない声色を除けば、だが。




 何を話しているのだろう。そう気になるのは自然なことで、けれどわざわざ格好を変えてまでここに来る青年があまりにも怪しすぎて私は布を頭から被ったままその場に立ち尽くした。外が騒ぎになっているせいか食堂内の人もまばらで、もしやそれを狙っての接触かと勘ぐりたくなるほど、本気で怪しい。




「はは、突然すみません。もう選考は終わってしまいましたが、あまりに――の役にぴったりだと感じまして。思わず声を掛けてしまいました」

「まあ、……――の役だなんて、光栄です」


 距離があるからか?単語がいくつか聞き取れない。耳を澄ますように思わず意識を向ければ、何故かきぃんと耳鳴りがした。


「ご謙遜を。貴女なら文句なしに採用されたでしょうに、選考には来られなかったんですか?」

「……っ……それ、は」




 足が自然とそちらへ向かう。何かに呼び寄せられるかのように、戸惑い俯く彼女の元へ。そう、彼女はどうしてか顔色を失くしていた。聞かれたくないことを聞かれたとでもいうように。それを受けた青年もまた分かりやすく空気を尖らせ、そのまま畳み掛けるように言葉を紡いだ。




「どうしても祭りを成功させたいと雇い主が言うものですから、今回、賞金を奮発しまして。お陰で国内に住む殆どの黒目黒髪がいらしてくださいましたが……残念なことに、貴女は興味がおありではなかったようですね」




 声だけを聞いている私にも、含まれた意味は理解できた。こんな所で働いているくせにお金が欲しくないなんてあり得ない、と。細くて綺麗な手を長時間水にさらし土で汚して日銭を稼ぐ生活から抜け出すまたとない機会なのに、と。




「それとも他に、何か、理由でも―――?」




 鋭く深く、抉るような、言葉だった。彼はこの一言の為に来たのだろうと思わせるほどの強い意志が込められている。問われているのはネヴィだというのに、まるで彼女を通り越して私に向けられているかのように錯覚してしまう。

 私ははっと我に返ると、図書館前での時と同じように足を止めないままさりげなく裏庭へと続く扉へ方向転換した。聞かなかったことにしよう。見なかったことにしよう。耳を塞いで目を閉じて、何も分からないと言い続けていれば誰にも見つかりはしないのだ。彼らは何も知らないのだから。



 一歩一歩、前へ進むごとに二人との距離は近づいていく。もう少し。あと少し。布で顔を隠したまま向かい合う二人の横を何事もなく通り過ぎた、そう思ったとき。




「これ、実は……自前じゃ、ないんです」

「―――え?」

(え?)




……なに?


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