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薄闇の眠りを  作者: 吉舎街
第一章
11/85

ほんとうに怖いのは?

 昨日の夜は散々だった。引き出しの中にしまいこんだ筈の焼菓子に足が生えてじりじり迫ってくる―――なんていう馬鹿げた悪夢を見て、夜中に何度も目が覚めあまり眠れなかった。朝になっても結局それを部屋に放置していくのが嫌で、私の荷物の中に入れて食堂に持ってきてしまった。

これが呪いだというなら恐るべきものである。




「おはよう、ラギ。どうしたの、なんだか顔色悪いみたいだけど」

「いえ、ちょっとお腹空いてるんで」

「また?!」

「そんなに驚かなくても……」




 今日もまた仕事が始まる。自分に割り当てられたカゴを裏庭に持っていき、洗って皮を剥いては厨房へ、毎日その繰り返し。休憩やそれが近いとき、客が少なくて余裕があるとき以外は特に私とネヴィの間に会話はない。いつもならその沈黙を心地よく感じていたというのに、今はただ、……重い。

 ……駄目だ、仕事に集中しなくては。ミスをしてご飯を抜かれようものなら、あの呪われたお菓子に手を伸ばしかねない。

ふう、と知らず溜息がこぼれた。




「ね、ラギ」

「……え、はいっ」

「ふふ。今日もお買い物頼んでいい?お菓子つきで」




たとえば、毎度彼女が持ちかけてくる頼みごとだって、最初の数回はまだしも、もしかしたらもう本当は頼まなくても大丈夫、とか。彼女からすれば異常なまでにお腹を空かせ続けている私への同情でしかない、だとか。目を逸らし続けていることはたくさんあって、それらをただ甘受する私がどれだけ浅ましい人間かなんて自分が一番知っている。




「是非お願いします。……でも、最近妙に餌付けされてる気分なんですけど」

「あ、それは私も。ラギを餌付けしてる気分」

「……」

「そうねえ。野生の動物を飼い慣らす感じ?たまに威嚇してきたりとかして」

「威嚇、してます?」

「あら、店に来たばかりの頃はぴりぴりしてたじゃない」

「そう……でしたっけ」

「そうよ」




 そう、だろうな。そうなんだろう。多分今でもそうかもしれない。私はたまに、この世界の人間が何か別の得体の知れないイキモノのように感じることがある。夜を恐れ、食物の摂取量も極端に少なく、……。こうやって意志疎通できることが信じられないくらいに。違う、と何かにつけて思う。




「んー、ちょっとは懐いてくれた?ほらほら、甘えていいよ?」

「……にゃー?」

「……。ごめん、それ全然似合わない」

「っ、この恥ずかしさをどうしてくれるんですか!」

「あっはは、うそうそ。可愛いわよ!」




 だから、だろうか。食材を洗う水の冷たさだけがやけにリアルで、他の全てが夢幻のように、揺らぐ。目立たないようこの世界に馴染もうと努力しても私は文字ひとつ満足に覚えられない。そんな自分が果たしてこの国を救うなんて可能なのだろうか?

 『みこ』がどうとか、全部「あの男」の空想話にすぎないんじゃないのか?国が黒目黒髪を探しているというのも私の被害妄想で、本当は何も起こってなど―――。なんて薄暗いことを考えていると。




「ラギ。ちょっと、ラギったら!」

「……え?」

「そのまま行くと自分の皮剥いちゃう!」

「ぅおわっ?!」




 乙女にあるまじき奇声をあげて我に返った。間一髪だった。今度は私が流血沙汰で減点、とか洒落にならない。お菓子あげるからもう頼むから買い物行って頭冷やしてらっしゃい、とネヴィに包丁を取り上げられた私は、すごすごと昨日行ったばかりの市に向かうことになってしまった。

 まかない抜きは無理。ほんと無理。飢え死にだけは勘弁してください。










 ざわざわと人がたくさん行き交う中をぬって、目的の場所へと急ぐ。ああ、そういえば昨日おまけに貰ったあの得体の知れない軟体動物は、親切な炊事場のおばさんによって捌かれ、まかないにもう一品つくという素敵なご褒美に様変わりした。……ぶっちゃけ、大して美味しいものではなかったが腹の足しにはなった。……ほんの少しだけ。




「おじさん、今日もこの魚全部ください」

「おっ昨日の嬢ちゃんか。ありがとよ!ちょっと待ってな、今そのカゴに――」




 でも流石に昨日の今日でおまけをくれたりはしないだろうとは思ったが、一応そのお礼として今回もこの店を利用することに決めた。ざっと見る限りどの店も鮮度は変わらず、値段もさして違わないように思ったから。所詮店のお金だし。予算内なら文句はでない。

 元気いっぱいのおじさんがいそいそと魚をカゴに入れてくれるのをぼんやりと見ていた、―――まさにその時だった。




「あんた、わたしを騙したのね?!ふざけないでよ!」

(っ?!)




 衝撃は後頭部に。何が起こったのか全くわからなかった。ただ首筋を流れるどろりとした感覚が異様に気持ち悪くて、私は全身を硬直させる。なに。なにが。……ん、なんか熱い、というかすーすーする。ええ?なんかでろでろする、いやこれ本気で気色悪い……!


 ぐらり、と視界がぶれた。次いで激しい酩酊感が私を襲う。まるで酒に酔ったような―――アルコール?でも、後頭部から酔うなんて聞いたことない……と、思う、のに。




「ああ、なんてことを……!早く流さなくては。君、どきなさい!」




いまにも闇に落ちそうだった意識の中で、そんな声を聞いた。





――――――ばっしゃん。





ぽた。ぽたり。激しい水音が周囲に響いた後、しん、と広がる静寂。




「――――」

「じょ、嬢ちゃん……でぇじょうぶか……?」




 己の濡れた金糸からぼたぼたと滴が落ちている。さきほどまでの感覚が嘘のようにすっかり醒めた頭は、状況を正しく理解してくれた。太陽がまだ高いこの時間、市は人でごった返ししているというのに、夜と違って煩いほどの賑やかさはすっかり消え、私を中心としたこの一帯が不気味なまでの静けさに支配されていた。




「……おじさん、魚、ください」

「っでもよ!……あ、いや、わわわかった。もうちょい待ってろ」

「…………お願いします」




 髪の毛全てと背中にかけてがずぶ濡れだった。下着まで濡れていないのは唯一の救いか。私は髪の毛をぎゅっと絞ると、下拵えのときに使うバンダナでひとつに纏めた。まだ気温は高い。背中は放っておいても乾くだろう。




「君は今自分が何をしでかしたのか分かっていますか?原液を人に使ってはいけないと言っておいたでしょう。下手をすれば意識が戻らないことだってあるんです。そんなことも忘れたと?まったく、君の熱心さに絆された私が馬鹿でしたよ」

「何を言うの!こんなもの、最初の説明と全然違うじゃないの。似非ものを売っておいてよくもまあぬけぬけと!」

「嘘は言っていませんよ、嘘は。使った後は君次第だと忠告しましたよね?無理だったということは、単に君の力不足です。あ、魅力不足と言い換えた方がいいですか?」

「っなんですって……!」




 赤の他人に謎の液体Xと水をぶっかけたのだから何を差し置いてもまず謝りに来るのが筋だろう。そう思っていた私は、聞こえてきた会話に振り向こうとしていた身体を思わず止めた。ヒステリックに叫ぶ女と嫌みたっぷりな男の声。どちらも若い。


 分かった。もう大体は理解した。多分、私の後頭部に直撃した謎の液体Xは男が売った怪しい薬で、効能に疑問を持った女が男を問い詰めていたのだろう。激情に任せて投げたのかもしれない。とにかく、私はそのとばっちりを食らったのだ。それに驚いた男が、応急処置としてどこからか調達した水を勝手に私の頭からぶっかけた、と。

 あの症状からして、皮膚から吸収できる即効性の睡眠薬もどき―――だろうか。やばい。なにその代物怖すぎる。女はそんなものを一体誰に使ったんだ。そして男はそれに輪をかけて危険だ。そんなものを作り、平然と売る職業なのか?絶対、絶対絶対関わりたくない。謝罪なんか最早どうでもいいからさっさと戻ろう。今すぐ戻ろう!




「悪い、待たせたな。でもってこれ、おまけだ。持っていきな」

「え?あ、ありがとうございます。嬉しいです」

「ああ。それより、……いいのか?」

「はい、気にしてませんから。全然気になりませんから」

「……なら、構わねぇけどよ」




 何やら未だ声高に言い争っているらしい男女に気取られないよう、私はこっそりとその場を後にする。どちらも譲らない、打てば響くような口喧嘩に、住民の注目も私から二人に移ったのが幸いだった。


(もう、買い物……行くの止めようかな……)


おまけに貰った蛇のような魚と、目があったような気がした。


主要キャラは男の方。でも今はニアミス。

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