金色の髪、海色の瞳
漆黒の布があちこちで翻り、真っ白な花が街を包んでいる。賑やかな城下町はここ最近少し静かだ。
ふと、突風が吹いた。
その途端自分の視界に入った幾筋かの金色に、腸が煮えくり返るような激情が生まれる。
思わず細めた瞳はまるで海のように深い蒼色をしているのだろう。
みこ―――『巫女』もしくは『神子』にふさわしくないからと言って、あの男は私から髪と瞳の色を奪った。
日本人特有の黒目黒髪だった姿はもう見る影もない。
当初何をされたのかいまいち分かっていなかった私は、逃げ出した先、今住んでいる部屋に置いてあった手鏡を見た瞬間に声を失い。即座にこみ上げる強い嫌悪感に、そのまま鏡を衝動的に叩き割ってしまった。
信じられなかった。意味が分からなかった。地面に散らばった破片に視線を向けることすらできないまま。
これは、誰だ?
疑問を口にしてしまえば、何かが壊れてしまうような気がした。
その日から、私は自分の姿を何かにうつして見ることはなくなった。
当然、身だしなみにも殆ど気を使わなくなり、ただ肩を越す程度の髪を紐で常にひとつに纏めるくらい。下働きの私は接客しないので特に問題はなかった。生きる分にも、別に。
そしてもっと後になってから、この街で鏡が意外と高値で売れるらしいと耳にした。ああ、本当にもったいないことをした。……割るくらいならいっそ黙って売り払ってしまえば良かった。
今の私は――――文字通り、明日をも知れぬ身、だから。
「ラギ!悪いんだけどこっちもお願いしていい?ちょっと買出し追加出ちゃって、手がはなせないの!」
「分かりました。じゃあこれも調理場に持っていけばいいんですよね?」
「ええ、お願いね。後でお菓子差し入れるから!」
「……楽しみにしてます」
苗字である桂木。の、下二文字を取って、ラギ。それっぽいものだったら何でも良いと就職時適当に決めた。そう呼ばれるようになってから二ヶ月と少し、漸くその名前に慣れてきたところだ。
忙しそうに走り去っていく彼女は私の同僚で、ネヴィというあだ名だけは知っている。
本名を聞いたことはないがわざわざ訊ねるほど親しくもない。……なりたいとも、思わない。
さてと。私は気を取り直して頭にバンダナを巻き直す。
そして目の前にうず高く積まれた野菜の山からひとつを手に取り、冷たい水で泥を落とす作業に戻った。
私が城から逃げた先で比較的簡単に職に就けたのは、本当に運が良かったのだろう。
この街で五本の指に入るほど大きな食堂であるここは、下働き――つまり料理人ではなく、大量購入する食材の調達・下拵えなどを担当する雑用――を常に募集しており、この間も一人辞めてしまったため、身元もはっきりしない私でも何だか簡単に雇ってくれた。
根気があるなら誰でもいいとのこと。
確かに、私一人でこの野菜の山と格闘する羽目になるとは思いもしなかったが。けれど苦ではなかった。単純作業は嫌いじゃないし、水場があるこの裏庭は店の人間しか出入りできないようになっている。
それは逃亡者である私にとって酷く安心できることだった。
『みこ』の召喚。
それはとうの昔に廃れた法術だった筈―――私は法術が何たるかすら知らないが―――だというのに、召喚を成功させたひとりの男。彼は国王だと名乗った。事実、ひどく豪華な装飾を身に纏っていたのを覚えている。
国を救うためだと男は語った。
突然のことで何も分からない私に、彼は滔々と己の主張を告げる。けれど前提を知らない私にとってそれはただの脅迫であり、恫喝でもあった。人の上に立ち人を使うことに慣れている、そんな高圧的な態度で協力を迫る―――鈍く光る凶器をちらつかせながら。どこのチンピラだ。あれは本当に国王だったのか?
……私には、何ひとつ分からない。……今でも。
城下町であるここに在る全ての店、民家、教会、学校、ありとあらゆる建物には漆黒の布が掲げられ、白い花が悲しみを昇華させる。国民は静かに、静かに、喪に服している。
そう、この国を治めていた王は三日前、亡くなった。――――死んだのだ。
それなのに私の外見はいつまで待っても元に戻らない。
どういうことなのか、あの恐ろしい男は国王ではなかったのか、そもそも二度と奪われた色は取り戻せないのか。様々な考えが浮んでは消えていった。
ああ、もう何も考えたくない。帰りたいと思うことすら今の私には苦痛だった。前が見えない、前に進めない、進むべき道も選びたい道も思いつかない。こうやって泥作業で日銭を稼ぐことしかできない無力な存在に成り下がり、何も考えず働き続ける。ただ、ただ。
―――生きるだけで、精一杯だ。