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無知と傲慢

 次の日は、午前中の診察では患部の手術後の確認ということで、その部分のみギブス切り取る事になった。小型電動のこぎりでギブスを切るわけだが、震動が傷に響き痛いし、おまけに刃が足まで切断するのではないかという恐怖は生半可ではなかった。その作業が無事終わった時には精神的にも疲れグッタリしてしまった。先生が傷の消毒をしている時に足の様子を見たが、相変わらず凄い色で、しかも大きな傷がホッチキスのようなもので留まっている。ボルト入りでホッチキス留め……ますます自分の足というか人間の足の話とは思えない。そして切り取ったギブスを再びそこに嵌め、今は元通りの状態に戻っている。

 いい加減それだけで疲れたけれど、午後一からリハビリが入る。松葉杖の訓練を再開する。正直まだ痛いし、思いの外ギブスをしている足が重くそれを労りながらバランスを取るのが難しい。でもコレをクリアーしないと退院が遅くなるし、退院した後に苦労するのは私だ。しかし足の痛みが激しくなってきたことで、一時間チョットで訓練は終わってしまった。

 レストランについたのは、二時半過ぎだった。すると鈴木香織は、昨日と同じ席で、同じように点滴スタンドを連れて座っている。なんか顔色が昨日に増して悪いように感じるのは私だけだろうか? 一人でいる事もあり、その顔には表情はない。ジッと思い詰めたような表情で、けたたましく騒ぐ赤ちゃんを連れたヤンママ集団のテーブルを見つめている。

 あの温厚で朗らかな彼女らしくないその顔に、一瞬声をかけるのを躊躇ってしまった。

「席はどうしますか? いつもの場所で宜しいですか」

 どうしたものかと思っていると、ウェイトレスが元気に声をかけてきて、ギョッとしてしまう。

 その声で、鈴木香織がコチラに気が付き、手を振ってくる。先程の表情が嘘だったのではないと思うほど、親しみの籠もった彼女らしい笑みに、ちょっとホッとする。私も笑顔で手を振り返す。

「いや~今日はリハビリあって疲れちゃった」

「お疲れさま~大変だったね」

 今日はアイスコーヒーを注文し、鈴木香織のいるテーブルに車椅子を近づける。私が近づくと慌てて手伝おうとしてくれたが、彼女も点滴スタンドを連れた身、なので私はそれを断り上手くテーブルに車椅子をつけた。こういってはなんだが、車よりも車椅子の運転が上手くなっている自分を実感する。

 私は、今日午前中にあった電動ノコ切断事件や、リハビリでの顛末を戯けた感じで彼女に話すと、彼女は時には感心したり、驚いたりと私が望む反応を返してくれる。でも何だろうか? 体調が良くないのか、その青い顔はどこか虚ろに見える。目の下にもクマが出来ている。頬も最初見たよきよりも痩けてきた?

「なんか、体調わるいの? 顔色わるいけど」

 彼女は苦笑して首をふる。

「いえ、チョット眠れなくて。あと、食欲もなくて」

 私は昨日仕入れた、突発性難聴についての情報を思い出す。クスリの副作用に食欲減退に胃腸の荒れがあった。ふと点滴スタンドを見ると、昨日ついていた薬品に加えもう一つ袋が増えている。栄養剤も追加になったらしい。

「あら、枕が変わるとダメなほう?」

「そうじゃないのだけど、私の病室産婦人科が近くて、一日中赤ちゃんの泣き声が聞こえてね~」

 鈴木香織は顔を苦しそうに歪める。

「なら、こんな所にいるのではなくて、ベッドで寝ていたほうが良くない?」

「あの病室には戻りたくない!」

 思いの外キツイ口調で彼女が返してきて、ちょっとビックリする。思い詰めたようなその目に私は一瞬絶句する。そういえば突発性難聴の原因の一つはストレスとかいうのもあったような。

「ま、私も病室が嫌だから此所にいるので、同じようなものね」

 そんな私の言葉に、彼女は泣きそうな顔で笑う。彼女の病室にも私ほどではないにしても、嫌な事があるのだろう。でも、最初に感じた以上に鈴木香織という女性が繊細で脆い存在に思えた。

 強く私がその肩とか持ったら、崩れて壊れてしまいそうだ。私は馬鹿な考えを振り払うように視線をそらす、彼女の後ろにある鏡にレストランの光景が映し出されている。華奢な鈴木香織の後ろ姿にその前にいる、片目の周りが青やら黄色やらと、凄い事になっている私の顔、そして後ろで騒ぐヤンママの集団の様子。

 しかし、私の後ろにいる、ヤンママ集団が先程から五月蠅い。何でその音量で話す必要がるのだろうか? 時々周りをビビらせるのが目的かというくらい、さらに声のトーンを上げてきてイライラさせている。赤ちゃんは乳母車にいれたり腕に抱いたりしているが、二・三歳の子供は先程から放置状態で走り回っていて危なくて堪らない。

 最初会ったときに、鈴木香織が不快そうに見ていたのも頷ける。

「しかし、五月蠅いよね、あの集団」

「ずっとあんな感じ」

 鈴木香織は、大きくため息をつく。彼女の瞳に何か険悪で暗いモノが宿るのを感じる。

「なんかさ、当たり前の事を当たり前に過ごしている人って、傲慢で残酷だよね」

 そして私に話しかけるというかつぶやくような彼女の言葉に、私は一瞬ついていけなかった。

「ん? どういうこと?」

 聞き返した言葉を彼女は聞いてなかったようだ。鈴木香織は驚いたように目を見開き、立ち上がり走りだす。彼女の腕に繋がった点滴スタンドが付いていけず、激しい音をたて倒れ、ブチっとイヤな音がしてチューブが腕から外れる音がする。

 鈴木香織は、私の一メートル程左にある食事を運ぶ用のワゴンの方へと走る。三歳くらいの子供がワゴンの側にいる。客の方を向いていてウェイトレスはその子供に気が付いていない。子供は考えなしに料理の載っているワゴンに飛びつきぶら下がっている為にワゴンが傾いている。子供にむかって食品ごと倒れてきているのを、鈴木香織は子供の手を引っ張りたぐり寄せ抱きしめて、そのままかばう。

 レストランに激しい破壊音が響きわたり辺りは騒然とする。

 鈴木香織の背中にスパゲッティーの皿がぶつかりそのまま落ちた。

 子供は鈴木香織のお陰で怪我はなかったものの、その激しい音に驚き彼女の腕の中で火がついたように泣き出す。

「あ~あ、何やってるの、アンタ、馬鹿ね~」

 その子供の母親と思われるヤンママの一人は、場違いな程ノンビリした口調で近づいてきた。馬鹿というのは、鈴木香織に対してではなく、子供に言ったようだが、鈴木香織はその言葉にキッとその母親を睨み付ける。

「……貴女最低な、母親ね!」 

 鈴木香織が発する言葉は、ビックリするほど冷たく怒りに満ちていた。瞳が異様にギラギラとしている。口の端が上がって一見笑っているようにも見えるが、激し過ぎる怒りが彼女をそのような表情にしているのだろう。

「なっ、他人にそんな事言われたくないわよ」

 私だったら、こんな表情で言われたら、多分黙ってしまうと思うのに。意外な事に相手は反論してきた。反論する前に、もっと謝罪とか感謝とかすべき事もあると思うのに、そういう常識はないようだ。

「子供の面倒も満足に見られず、子供が危険な目にあっても気付けず助けも出来ない、母親失格以外何者でもないじゃない!」

 流石に右腕から血を流し、息も荒く鬼のような形相で怒っている相手に、母親もびびってきたようだ。自分の子供を自分の元に引き寄せ、仲間の元に戻りさっさと逃げるようにレストランから出て行ってしまう。

 私も車椅子を動かし彼女に近づこうと思ったけど、近づくのにチョット躊躇ってしまうような怖さが今の彼女にあった。

「お客様大丈夫ですか?」

 レストランのウェイトレスは慌てて、鈴木香織の背中から麵を落とし、濡れ布巾で背中を拭く。食事していた看護婦も近づいてきて点滴スタンドを元に戻し針のついたコードを纏めてから近づいてくる。

「貴女何処の病棟? まず着替えて、点滴を付け直しましょうね」 

 やさしい看護婦の言葉に、彼女の表情が少し緩むが、逆に迷子の子供のような脅えた表情になる。

「いやだ、戻りたくない」 

 幼い感じに首をふり、そうつぶやき、私の方を縋るように見る。そして電池が切れたように倒れてしまった。

 私は、その看護婦に彼女の名前と所属している科を伝える。看護婦さんは頷きながら鈴木香織の腕にまかれた入院患者用のリストバンドを見てから、PHSでどこかに電話をかける。

 そして、やってきたストレッチャーに乗せられ、彼女はどこかに連れていかれてしまう。

 私はその様子を、ただ呆然と見守る事しかできなかった。

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