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聞こえない音

 病室の前提条件は治療を行い療養する場所。居住性が多少悪いのは仕方がないにしても、他者と自分を隔てるモノがこの薄いカーテンだけと言うのは心もとない。

 私のいる病室は外科な事もあり、問題があるのは怪我している患部のみ。それ以外はすこぶる元気な事もあり、かなり賑やか。中途半端に行動を抑制されている事もあり余計に騒ぎたいのかもしれない。そしてコチラにも興味ありげに干渉してくるところが困った所。親愛をもって接してくるならいいが、好奇心だけでやってきてセクハラじみた発言を平気で投げかけてくるのだ。それが嫌で私は部屋にいるときはカーテンを閉めとじこもり、イヤホンで音楽を聞き外の世界を遮断する。診察やリハビリのない自由な時間は病院のレストランで過ごしている。

 ここなら、他人と程よい距離感を保てる。


 今日も車椅子を動かし、レストランに行くと、もうスッカリ顔馴染みになったウェイトレスさんが、入り口からはチョット見えづらい観葉植物の奥の席に案内してくれる。私は椅子を外してもらった部分に車椅子をつけ、一息いれる。ここなら観葉植物が右側を隠してくれるので少し落ち着ける。私は珈琲を頼み、車椅子の座席部分に入れておいた女性雑誌を取りだそうとしたが、手が滑り床に落としてしまう。

 普段ならなんてことないことでも、足が不自由な状態で床にあるものを取るのが途轍もなく大変な事。私は溜息をつく。そして、ギブスの右足でバランスを取りながら体勢を落とそうとすると、手か伸びてその雑誌を誰かが拾ってくれた。

 顔を上げると、先日このレストランで会ったあの女性だった。

 柔らかく明るい笑顔をコチラに向けてきた。なんでこの女性は私を見てこんなにも嬉しそうに笑うのだろうか? 私は、お礼を言いながらその雑誌を受け取る。

 上品で女の子らしいスェットスーツにシンプルなパーカーという入院患者ルックに身を包んでいる。腕にチューブが伸びて、隣に点滴スタンドを連れている。化粧をしてないせいだろうか? 前見た時よりも顔色は良くないように見える。でもノーメイクでも可憐に見えるところがなんと羨ましい事なのだろうか。ノーメイク状態で女物の洋服を着ていなければ、長髪の男性になってしまう私とは大きな違いである。

「また。会えるなんて、奇遇ですね」

 そう言って人懐っこい笑みを浮かべ、隣のテーブルにその女性は座る。

「まあね、この病院内だと此所くらいしか来る場所ないしね」

「それもそうね」

 フフフと笑う。そしてその女性は鈴木香織と名乗った。その名前に私は苦笑するしかない。

「え、貴女、鈴木薫さんというの? 凄い偶然ね!」

 彼女はその、偶然を素直に楽しんでいるようだが、なんで読みが一字違うだけで、こんなにもこの二人は違うのだろう。

 華奢で可愛らしくて性格もよい、素敵な旦那様もいて幸せな『スズキカオリ』さんと、身長百七十センチでゴツゴツとした筋肉質な身体で男性から可愛いねとは言われない『スズキカオル』。なまじ名前が近いだけに、キリリと心が嫉妬に軋む。

「所で、何でアナタ入院しているの?」

 私は話題を反らすためにそんな事を聞いてしまい、後悔する。病院でこういう話題をしない方が良い。もし笑えない病気だったらそれこそ、ここの場は凍り付く可能性もある。

「ああ、耳がね、片方聞こえにくくなってしまってね。それで耳鼻科に来たら入院ですって言われて、ビックリよね」

 よかった、耳ならそんな大変な病気じゃないだろうとホッとする。

「え、耳鼻科で入院なんてことあるの?」

 鈴木香織は幼い感じで頷く。

「突発性難聴って分かる? 最近では歌手の高崎あゆさんとかもなったという病気」

 そういえば、そんな話を聞いたことがある。その歌手はソレで片耳が殆ど聞こえなくなったとかいう話だった。

 彼女は耳に詰め物とか何かしている様子はなく、ただよく分からない薬品を点滴している。

「そうなの、コレね。一週間一日一袋ノルマなの。それで直ればいいなと思って」

 私の視線に気が付いたのか。点滴を指さしてアッケラカンと笑う。

「あ、大きい声で話した方が良い?」

「大丈夫よ、聞こえなくなったのは左の耳なんだけど、これがね、ある音程以上の音が聞こえなくなっただけという状態だから、会話には問題ないの。チョット耳が詰まっているそんな感覚」

 彼女はチョット顔をしかめ左の耳を触る。難聴っていうと、音が全体的に聞こえなくなるのかと思っていたけど、そういう形のもあるのだと妙な事に感心すらしてしまう。

 その病気は点滴をうける以外はあえて治療というものがないらしい。身体は元気の為ベッドに寝ているのも辛いので歩き回っているという彼女の話を、私は気楽に聞いていた。どう考えても私の方が重傷だろう。

 彼女は耳鼻科の病室が満床なので、内科の方の病室に入れられていて、そこには内科で体調悪くて吐きまくっている患者さんと、眼科のお婆ちゃんと、皆科がバラバラなのとかいった話をするのを、私は静かに聞いていた。

 何だろう、彼女のキャラクターなのか、おとなしめの落ち着いた雰囲気なので、会話していても五月蠅くはなくその声も心地よかった。しかも彼女と無邪気に話していると、嫌な出来事とかも忘れ、私は普通の女の子でいれるような気になる。

「薫さんって、ガーリーな洋服が好きなのね。でも、もっとクールな洋服の方が似合いそうな気がする」

「え? 私みたいなのがボーイッシュなのを着ると、可笑しくない?」

「いや、ボーイッシュというより、甘くないシャープな感じのヤツというのかな。その方が薫さんの魅力を引き出すような気がする」

 二人で女性雑誌に載っている洋服について盛り上がり、他愛ない無邪気な時間を楽しんだ。

 そして、彼女の点滴液の残量が終わりそうになるタイミングで、楽しいアフタヌーンティータイムが終わりを告げる。

「私は、午後は此所にいる事多いから、またね」

 離れがたい顔をしている彼女に、ついそんな事言ってしまったのは、彼女以上に彼女と過ごした時間が思いの外楽しいものだったから。病院で初めて普通に人間らしい時間を過ごすことが出来た気がする。 

 私の再会の意思に彼女はホッとしたような顔をして、ニッコリ笑って手を振って去っていった。

 気が付くと、陽は傾き景色は暮れの気配を漂わせている。一人になるとなんか、気温が数度下がったようにも感じた。

 まだ、夕飯の時間まで二時間もある。病室に戻る気もしないので、私はスマートフォンを弄くり、『突発性難聴』についてつい調べてみる。

 意外な事に、原因も不明の難病指定の大変な病気なようだ。治癒率は約四十%ってあまり高くない数字にも驚いてしまう。とはいえ、片耳が聞こえなくなったところで、死ぬわけでもない。それに所詮他人事。私はそれより、部屋に戻らねばならない食事の時間が迫っていることに心を気鬱に染めていた。

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