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砕けた心と身体

挿絵(By みてみん)


 秋特有のポッカリと抜けた真っ青な空が窓の外に広がっている。外から燦々と光が降り注ぐ。暖かさと明るさをもったそんな陽光ですら、私の心を晴らす事はない。

 私は病院内のパッとしないレストランで、大きく溜息をいた。右手でこめかみを押さえるようにしているのは、包帯が巻かれた頭部の傷が痛むというより、右目の付近に広がった青胆を隠すため。腫れと裂傷があるので、化粧で隠す事も出来やしない。


 私は車椅子から真っ直ぐ前に伸びたギブスで固められた右足に視線をやり何度目かになるか分からない溜息をつく。医者の説明によるとこの足には、今ボルトが何本か入っているらしい。工具であるボルトが人間の足を繋ぐのにも使われている事に驚くしかない。しかもギブスの下の皮膚は、あり得ない色彩となっていて、本当に元の人間らしい肌色へと戻ってくれるのか心配になっている。

 昨日から松葉杖の練習を始めたものの、まだ鬱血が酷く足が痛み、長く足を下ろす事も出来ない。その為今は車椅子で院内を移動している。『最悪』の状態というのは、まさに今の私の為にある言葉だろう。

 そもそも、私の人生で最低ではなかった状況の方が少ない。

 親の望む子供でいようと努力し耐え続けた十代。期待に応えて医大にも入学した。大人の世界と、自分がこれから歩む未来が見えてきたときに、何かが自分の中でハジけた。

 両親に本音を曝け出し、理解を求めたが無駄だった。父は憮然とした顔のまま何も答えず、母は半狂乱。それ以上の対話に耐えきれず家を飛び出し、そのまま連絡も出来ず断絶状態となっている。

 大学も中退した私のような人間が向かう場所なんて限られている。夜の街で短いスカートを履き、楽しくお酒を勧め騒ぐホステスとしての生活。それでも我慢して家にいるよりかは楽だった。同じ悩みを抱える仲間も大勢いたし。私はそこで初めて自由になれた気がした。

 しかし、一歩外を出れば、すれ違う人は私を奇異な目で見てからあざ笑う。派手な化粧で歩くホステスの私なんて、一般の価値観から外れたマイノリティーということを思い知らされる。


 人生で唯一心の底から幸せを感じた瞬間はあった。人生で初めて彼氏が出来たのだ。身長百七十七センチという長身で肩幅もある私を、彼は可愛いと言ってくれた。相手は一流商社に勤めている長身のイケメン。正に絵にかいたような理想の彼氏。今までの苦悩に満ちた日々も一気に挽回するような出来事に、私は舞い上がった。

 生活の全てが楽しくなり。一生懸命仕事も頑張り、金を稼ぎ、自分も磨き、彼に尽くした。それが最悪に変じる事も知らずに……。

 合い鍵を使い彼氏のマンションを訪れ、浮気相手との鉢合わせ。サプライズのつもりで、自分が驚くなんてベタな展開を誰が想像するのだろうか? 頭に血が上った私は、思わず恋人に掴みかかったが、『お前のようなヤツに本気になるわけないだろ』という彼からの嘲りの言葉に、自分の方が浮気相手だった事を理解する。また突然の事に思考がついていけず固まっていた女性の視線が、私達二人の会話を聞き、目が憐れむようなものに変わっていく事が、より私を痛めつけた。つまり対等に一人の男性を取り合う事すらありえない私と彼女。彼女より明かに劣っている自分をまざまざ見せつけられる。

 散々貢がせるだけ貢がせて、弄ばれていたという事実に頭の中は真っ白だ。その後の事はよく覚えていない、気が付いたら自分の身体が宙に浮いていて叩き付けられる激しい痛みで記憶が途切れている。


 後で聞いた話だと、私は彼ともみ合った結果ベランダから突き落とされたらしい。彼の本当の彼女が救急車を慌てて呼んでくれた事で、今この病院にいる。彼の部屋が三階にあり、ベランダの下が植木だったので助かった。階が上だったら、あるいは植木が下になければ私は死んでいた。

 全身打撲に、右足の複雑骨折で済んだのは運が良かったと言われるが、この状況の何処が良かったというのだろうか?

 

 ホステス仲間に紹介してもらった弁護士を通して、示談で必死に済まそうとする彼と、民事やらなんやらと、色々な形で争っている所。

「アイツ薫ちゃんをストーカーに仕立てようとしていたみたい。でも証拠のメールがあるから無駄よ!

 結婚をちらつかせてお金を散々せびっていたんだから!

 大丈夫、慰謝料もタップリぶんどってやりなよ♪」

「詐欺罪でも訴えられるんじゃない?

 いずれは結婚とか言って、散々貢がせたのだから!」

「アイツ、最低なクズ男だと婚約者にもバレて、破棄になって捨てられたみたいよ! いい気味ぃ♪

 しかも会社にも傷害で揉めているのがバレて左遷で飛ばされるとか」

 見舞いに来てくれたホステス仲間の励ましの言葉も、私の気分を晴らすことはない。元彼が、傷害罪で有罪となろうが、裁判に勝って慰謝料を貰ったとしても、今の私の状況が変わるわけでもなく、心の傷も身体の傷も癒えることはない。

 私は明るく去っていくホステス仲間に手を振り見送った後も、このレストランでぼんやりとしていた。

 さてと、今からどうするか。午後三時チョット前。病気で体調が悪いわけでもなく、足は動かないものの他は元気な私のような入院患者にとって病院は、退屈の以外なにものでもない。しかも私がいるのは大部屋な為に、同じ部屋の人達の視線が煩わしい。

 みんな私の方を見て一瞬驚いた顔をした後、蔑んだニヤ~とした顔を見せていく。

「お前もさ、女なんだから、もっと女らしくしろよ! ほら あの入り口近くのお嬢ちゃんみたいにさ。あんなんだけど、荷物もいつも綺麗に整えているし、お前よりもよっぽど女らしいぞ!」

「お父さんったら~!」

 こんな感じで、お見舞いにきた家族らと、私の事をクスクスと笑っているのも聞こえてくるのだ。今は丁度お見舞い時間だからよけいに病室には帰りたくない。

 仕方が無いので、私は珈琲のお代わりを注文する。本当は煙草も吸いたかったが、この病院は外の通りに面した所に喫煙室がある。そこまでこの車椅子を動かして行くのも面倒だし、またソコにいる人から奇異な目で見られるのも嫌だ。せめて化粧で素顔と痣を隠せるようになりたい。突然の入院のために身一つで運び込まれた私を、ホステス仲間に随分助けてもらった。今着ている服を始め細々とした入院中に必要なモノは全て彼女達からの差し入れ。今の私の状態だと可愛いフリルのついたTシャツとか、ピンクの女の子らしいガウンがますます浮いている。しかし、可愛らしい格好していることで、私は自分というアイデンティティーを保っていられるような気がした。


 私は証拠のメールの吸い出しの為、一日ほど手元から離れていたスマートフォンの電源を入れ、色々弄くる。今更読んでも仕方が無いのに、元彼からもらったメールをついつい読み返してしまう。

『薫ちゃんからもらった時計。今つけているよ! こうしているとずっと一緒にいるみたいだよね』

『ゴメン、その日は仕事で逢えないんだ。俺も寂しい。来週逢ったときに薫の作った料理を食べたいな』 

 そんな、上辺だけの愛を語ったメールを読み返していくと、なんか笑えてくる。私はスマートフォンを握りしめる。

「あの、良かったら……どうぞ」

 遠慮がちな小さな声がした。私の目に、華奢で綺麗な手の上にのったポケットティッシュが目に入る。私は、それを差し出されて、初めて自分が泣いていた事に気が付いた。

「ありがと」

 私は恥ずかしくて、つい小声でお礼をいい、そのティッシュを受け取る。隣を見ると、細身の綺麗な女性がコチラを見ている。その女性はフワっと柔らかい笑みを私に向けてきた。その顔を見て私の心がズキっと痛む。

「病院って、嫌になっちゃうわよね」

 こんな、傷だらけで得体のしれない相手に、普通に話しかけてくる所からみても、苦労知らずで、真っ直ぐ育ってきたお嬢様なのだろう。黒目がちの瞳が印象的な、髪の長い女性がコチラを気遣うように見ている。やや儚げな雰囲気の細身の身体。優しい広がりをみせる黒のロングスカートに白いインナーにラベンダー色のカーディガン。その上品な出で立ちが嫌味な程似合っている。誰が見ても『素敵な良いお嬢さん』と言われるであろうタイプ。私と違って、男性がほっとかない。まさに男性が挙って結婚したいと望むのだろうな、こういった女性には。つまらない嫉妬である。彼女の左手を見ると、案の定プラチナの指輪が輝いている。私には眩しすぎる輝きをその指輪が放つ。

「まあね、アナタはお見舞い?」

 普段だったら、無視しているような相手だと思うけど、私は、ついその話しかけに言葉を返していた。

 似たような境遇のホステス仲間に囲まれた日常で忘れていた自分の立場。病院や社会において爪弾きモノだという事を嫌というほど感じる。人が一杯いるはずの病院で、疎外感と孤独に苛まれていた。それにあんな事件のあった後だから心も弱っていたので、人が恋しかったのかもしれない。

「いえ、患者。入院することになって……どうしたものかと、思っていたとこなの」

 耳を触りながら、チョット顔をしかめて言う彼女に、私は何と言葉を返して良いのか悩む。

「あ、そうなんだ……」

 無難な言葉を選んでおいた。あまり重病には見えないけれど、ここは病院、あまり突っ込んだ事も聞けない。

「なので、一緒ね」

 彼女はフフっと笑う。

 何処が一緒なのだろう? こんな最悪な状態の私と、私が欲しいものを全てもっているこの女性。私は曖昧な笑みを返す。  


 次の日の午前中、検査で二階の診療エリアに行くと、レストランにいたあの女性の姿を見掛けた。優しそうな旦那様と思われる男性と笑いあっていた。コレから入院するというのに二人は幸せそうに笑っている。心身共にボロボロでこの病院に一人で運び込まれた私とはエライ違いである。私はその光景に、なんかムカツキながら診察室へと向かった。


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