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遺誡1  作者: 高柳県
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祖父の思い


風が、強い。

昨日から本州に上陸している台風は綾子の住む古びた日本家屋をも脅かしていた。

綾子は意識の端で雨戸を閉めたかどうか確認しながら男に問うた。自然、声は躊躇いがちになる。

今日。

十月二十九日は祖父の十回忌で綾子は久しぶりに実家−片桐家に帰ってきていた。大正に建てられたらしい家屋は今は無き古き良き昔の職人の良心を表すように崩れたようなところが無い。

もう自分一人となってしまった片桐家だが、この家の敷居を踏んだ事で家族揃っていた昔を思い出し、不思議と寂しい思いはしなかった。

そうやって、一時間前にこの家にやってきてやっと祖母の好きだった縁側に腰を下ろしたところだったのだ。

その男がやってきたのは。

綾子より十は上だろう。多く見積もっても四十代前の男は慇懃に礼をして名刺を差し出した。

広田法律事務所所長、広田昌章。

弁護士だと名乗った男は豪雨の中やってきた割には不本意だという顔をしていた。用事を済ませるなら早く、と綾子が急かすと彼は持っていた弁護士らしい飾りの無いビジネス用の鞄から一通の手紙を差し出した。

時代劇のように半紙に書かれ、堂々とした字で綾子殿、と認められたそれは手紙というよりは書状と呼ぶに相応しいものだった。

お祖父様からの物です、と男は言った。綾子は手渡された紙の上をもう一度眼でなぞった。

綾子殿。

確かに、自分宛てにだ。

自分にかと綾子は問うた。

はい、と男は答えた。あなたが片桐綾子さんでなければ別ですが、と男は付け足した。実直な男のようであった。入れば良いのに玄関の軒の下から一歩も動かない。ぽたりぽたり、と入りきらずに雨に晒された肩から雫が垂れていた。

綾子は何か夢でも見ているかのような気分で〆、と昔風に封をされた書状をもう一度眺めた。白い地平が広がり、僅かな黒がある。自分の名前。母でも父でも叔父でも伯母でも兄でも無く、自分の名前。

男は更に続けた。

開くか開かないかは自由です。その中にはお祖父様からの言葉があります。三十年前にあなたのお祖父様から私の父が預かりました。今日、お祖父様の十回忌に渡すようにとの父の遺言に従って参りました。

綾子はただ、はいとだけ答えた。

それで終わりだった。男は行きと同じように傘を差して帰った。その後ろ姿を見る事なく、綾子は仏間に駆け込んだ。

広い家の中に、綾子の足音だけが響く。酷く頼り無げな気分だった。何故祖父は自分に遺したのだろうか。それも、十回忌のこの日に。綾子はひとまず自分を落ち着かせる為に深呼吸し、書状を畳に横たえた。

祖父も、こうして畳に寝転がるのが大好きだった。大正生まれだという祖父は、本当に戦前の生まれかと思う程自由な人だった。

祖父が綾子に教え込んだ事は三つある。

紳士であれ、人を疑え、酒は飲め。

破天荒な祖父らしい教訓で今も綾子はそれを守っている。

そうして思うと書状が自分にたくされた理由も中々冷静に判断できた。幼い頃から綾子は祖父に気に入られていた。二つ上の兄よりも、綾子に菓子をくれる事の方が多かった。今回のもその延長であろう。綾子は次第に風のおさまりつつある窓に目をやった。台風は徐々に逸れてきているようだった。

綾子は畳の上に正座した。背筋を伸ばし、両手を腿の上に置いた。女性としては凛々しすぎるこの正座の仕方は長年通っていた空手道場で身に付けたものだ。

そのまま、書状に手を伸ばす。はらり、と書状を解く。雁字搦めに巻きついた糸を解きにかかるように、慎重に。

やがて、書状は微かな墨の匂いと共に開かれた。手を滑り落ちるように開いた書状には、祖父の筆跡で綾子へ、と書かれた冒頭に始まり、目を疑うような事が書かれていた。






現代小説です。

一般的な携帯小説というよりは普通の小説です。

楽しんで頂けたら幸いです。

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