吾輩はダンディに憧れている
そう、近所に住まう、あのスマートでニヒルな成犬のような男を目指しているのだ。
彼は無駄に吠えず、走るときも走っているのか滑っているのかわからぬほど静かで、横顔にはいつも物思いの影が差している。少なくとも吾輩にはそう見える。
あれこそ真の成犬である。
ああなりたい。いや、ならねばならぬ。
ところが世間とは、まことに皮肉なものである。
吾輩がどれほど胸を張り、前足を高く上げ、視線を遠くへやっても、ご主人は目を細めてこう言うのだ。
「かわいいねえ」
違う。
いまのは愛らしさではない。威厳である。
未来のダンディが放つ、静かな気品である。
だがご主人はまるでわかっていない。
のみならず、その言葉を聞いた近所の人々まで、「ほんと、かわいい」と続ける始末である。
誰ひとりとして吾輩の志を正しく評価しない。
たとえば食事の時間である。
ご主人が「ご飯だよ」と声をかける。
吾輩はもちろん、内心では喜ぶ。喜ばぬ犬があろうか。
だが、そこで浮き足立ってはならぬ。
真のダンディたるもの、皿の鳴る音に魂を揺さぶられてはならないのである。
吾輩はできるかぎり落ち着いた足取りで、あくまで毅然と、ごく自然に食卓へ向かう。
そのつもりなのだが、ご主人に言わせると、その「いっしょうけんめい平静を装っている感じ」がたまらなくかわいいらしい。
解せぬ。
散歩の支度のときもそうである。
首輪が出てくる。
胸が高鳴る。
だが吾輩はそれを顔に出さず、窓の外など眺めて、いかにも「たまたま今、外気に思いを馳せておりました」という顔をつくる。
するとご主人は笑いながら、「行きたいのを我慢してるの」と言う。
我慢ではない。
節度である。
だが、その節度すら、この家では幼さの証拠に数えられてしまう。
そうした誤解は二度や三度では済まなかった。
そしてある日、ご主人は吾輩を連れて公園へ向かった。
近所の犬たちと合流するのだという。
吾輩は喜んだ。
広い。
とにかく広いのである。
風は遠くから走ってきて、草の匂いは土の匂いと混ざり、空は妙に高い。
犬という生き物の奥底にしまわれている何かが、こういう場所へ来ると急に目を覚ます。
心が喜ぶ。
身体が喜ぶ。
いますぐ駆け出したくてたまらない。
だが、待て。
あのダンディな成犬は、こういう時ですらきっと余裕たっぷりにしているに違いない。
広いからといって目を輝かせたりはすまい。
風に鼻先を向けて、静かに世界を受け入れる。
そういうものではないか。
そう思うと、吾輩もまた、毅然としていなければならぬ気がしてきた。
胸を張れ。
足をばたつかせるな。
しっぽに本音を語らせるな。
そう己に言い聞かせていた、その時である。
「ほーら、取ってこい!」
ご主人の声とともに、何かが飛んだ。
次の瞬間にはもう、吾輩の身体は地を蹴っていた。
精神に相談する暇などなかった。
四肢は勝手に伸び、耳は風を切り、目は飛んでいく獲物らしきものだけを追っていた。
しまった、と思ったのは走り出した後である。
しかし、犬というもの、いったん走りに火がつくと止まれぬ。
吾輩は見事にそれをくわえ、全速力で戻った。
そして獲物らしきものを、ご主人の足もとへ誇らしく置いた。
「えらい!」
ご主人は満面の笑みを浮かべ、褒美をくれた。
好物である。
その瞬間、吾輩は悟った。
もう敗北は確定である。
ダンディへの道は、たったひとつの投げられた物体と、ひとかけらの好物によって、あまりにもあっさり脇へ逸れてしまった。
こんなはずではなかった。
吾輩の威厳はどこへ行った。
落ち着きはどうした。
涼しい顔は、いまや息とともに荒く出入りしている。
失意のうちに、ふと吾輩はあの成犬を見た。
するとどうだ。
あのスマートでニヒルな成犬が、しっぽをぶんぶんと振りまわし、実にはしゃいでいるではないか。
目は輝き、足取りは弾み、顔つきなど、もはや哲学を知る者のそれではない。
ただ純粋に楽しい犬の顔である。
吾輩は愕然とした。
何ということか。
あれではダンディさの欠片もないではないか。
いや、少なくとも、吾輩が思い描いていたダンディとはまるで違う。
理想とは、もっとこう、静かで、影があって、何かを達観しているものではなかったのか。
吾輩は少し落胆した。
だが、その落胆は長く続かなかった。
なぜなら、その成犬の姿が、どうにも無理をしているようには見えなかったからである。
はしゃぎ方が自然なのだ。
喜ぶべき場所で喜び、走るべき場所で走り、うれしいときには全身でうれしがっている。
そこには照れも気取りもなかった。
そこで吾輩は、はたと考えた。
もしかすると、この場では、あの立ち振る舞いこそが正解なのではあるまいか。
広い公園で、投げられたものを追いかけ、ご主人の声に応え、仲間と駆け回る。
そんな時まで格好をつけて、本心を押し殺していては、かえって不自然ではないか。
真に大人であるとは、いついかなる時も渋い顔をすることではなく、その場にふさわしくあれることなのかもしれぬ。
だとすれば。
だとすれば、今この時、吾輩がなすべきことはひとつである。
全力で遊ぶことだ。
吾輩は地面を蹴った。
風は気持ちよく、草はやわらかく、ご主人の声は明るく響いた。
もうしっぽを取り繕うのはやめた。
嬉しいものは嬉しい。
走りたいものは走りたい。
それでよいのだ。
いや、たぶん、それがよいのだ。
遠くであの成犬がこちらを見た。
そして一度だけ、いかにも当然という顔で吠えた。
来い、と言われた気がした。
吾輩は走った。
ただ前だけを見て、風のほうへ。




