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第28話 強欲のルーツ:亡き母から授かった『顔面資産価値』の教え

 


 遠ざかるカイルの姿が完全に見えなくなると、車内には馬車の軋む音と、ネムの緩いあくびだけが響くようになった。


 窓の外は、王都の華やかな灯火から、深い闇に包まれた街道へと移ろっていく。


 エルレアは腕を組み、冷えた窓に額を預けた。

 暗い硝子に映るその顔立ちは、目も髪の色も、亡き母に酷く似ていた。


 あのブローチは、代々アストレイン家に伝わる魔導的価値も極めて高い至宝だ。

 断じて、魔法の『ま』の字も理解しようとしない無能な父の好きにさせてなるものか。


 エルレアは無意識に、膝に乗せたバッグのストラップをぎゅっと握りしめていた。


「……眠れないなら、僕が極上の『安眠』をあげるよ」


 隣でだらしなく背もたれに体を預けていたネムが、誘うように囁く。


 古びた革座席の匂いと、彼から漂う甘く重い魔力の香りが、尖っていたエルレアの神経を執拗に逆撫でした。


「余計なお世話よ。……あいつらからどうやって利益を毟り取るか、戦略を立ててるんだから」


「まあまあ、遠慮しないで。いい夢を見せてあげる」


 ネムが指先をパチンと鳴らした。その瞬間、エルレアの視界がぐにゃりと歪む。


「ちょっと、勝手に……っ」


 抗おうとした言葉は、急速に立ち込めた白い霧に飲み込まれた。


 一定のリズムを刻む馬車の揺れが、皮肉にも心地よいゆりかごとなって、エルレアの意識を深い深淵へと引きずり込んでいく。


「……お母様」


 小さな寝言が唇からこぼれた。そこで初めて、ネムの表情がわずかに変わった。


「……へぇ」


 夢魔のアメジスト色の瞳が、薄暗い車内で妖しく揺れる。


「君がそんな顔をするなんて、珍しいね」


 ネムはエルレアの額に冷たい指を添えた。その指先から、静かな魔力が溶け込んでいく。


「少しだけ、覗かせてよ。君の『ルーツ』を」


 霧の向こう側から、暖かい陽光が差し込み始める。


 そこは、今は亡き母リリアーヌが微笑んでいた、在りし日のアストレイン邸の庭園だった。


 ネムは庭の片隅にふわりと降り立つ。夢魔である彼の姿は、夢の住人には見えない。


『……さて、どんな涙の別れが待っているのかな?』


 皮肉げに見守るネムの視線の先。

 あどけない笑顔を浮かべた幼いエルレアが、繊細な魔法陣を編む母の傍らで絵本を広げていた。


「はぁ……素敵な恋のお話だったわ! ねぇ、お母様。お母様はどうしてお父様と結婚したの?」


 目を輝かせて絵本を閉じた娘の問いに、リリアーヌは手を止めた。


 聖母のような笑みを浮かべる彼女の背後で、木漏れ日が宝石のように弾けている。


「顔よ」


「え?」


 柔らかな風が、二人の琥珀色の髪を優しく撫でる。


「顔面には資産価値があるのよ、エルレア。しかも無能な資産家なら最高。運営コストはかかるけれど、鑑賞用としての減価償却を考えても、十分お釣りがくるわ」


『〜〜っ』


 物陰で、ネムは肩を震わせて爆笑した。


 幼いエルレアは手元の絵本に目を落とす。確かに物語の王子様もお姫様も、みな一様に美しく描かれている。


 彼女は納得したように頷くと、頬を上気させて夢見るように微笑んだ。


「わかったわ、お母様! 私も王子様みたいに資産家で、悪魔的な色気があって、かつ神々しい天使みたいなイケメンと結婚するわ!」


 ネムは堪えきれず、お腹を抱えて笑い転げた。


『……くっ、あはは! 何これ! 君の強欲さは、純粋な『英才教育』の賜物だったんだね』


「素晴らしいわ! さすがは私の娘ね!」


 リリアーヌが宝物を慈しむように娘を抱きしめる。エルレアは見たこともない幸福な笑顔で、母の温もりに溶けていた。


 ネムが普段食らっている濁った欲望や執着とは違う、純粋で無垢な『愛情』。


『……君のは、悪くないかもね』


 ポツリとネムが呟いた瞬間、甘い香りと共にリリアーヌの輪郭が光に滲んでいく。


「……お母様」


 消えゆく母に手を伸ばした幼いエルレア。その小さな手を、実体化したネムが優しく取った。


「……合格。君の夢は、期待以上に毒があって美味しいよ」


「あなたは……?」


 きょとんとした顔で見上げる幼子の額を、ネムはそっと指先で撫でた。


「君の理想の相手――の、半分くらいは満たしてる男、かな?」


 ネムが妖艶な笑みを浮かべると、景色は急速に白い霞へと溶けていく。




 激しい意識の浮上と共に、エルレアはハッと目を覚ました。

 そこはまだ揺れる馬車の中だったが、窓の外は既に白み始めている。


 顔を上げると、目の前には、いつも以上に愉快そうにニヤニヤと自分を見つめるネムの顔がある。


「……何よ、その薄気味悪い笑い。私の寝顔がそんなに面白かった?」


「いいや。君が掲げた『結婚相手の条件』があまりに高潔で、感動しちゃってさ。……王子様みたいに資産家で、悪魔的な色気があって、神々しい天使みたいなイケメン、だっけ?」


 エルレアは耳まで一気に熱くなるのを感じ、ネムを睨みつけた。


「……な、何でそれを! 覗いたわね!? 営業妨害よ! 精神的プライバシーの侵害で魔石五十個請求するわ!」


「ふふ、いいよ。あの『最高の教育現場』への入場料としては安いものさ。……でも、大変だね。君の側にいるのは、その条件を半分ずつ分け合ったような、カイルと僕。面倒くさい男二人しかいないんだから。……まずは僕とかどう?」


 ネムが蠱惑的な眼差しを向け、甘い魔力を滲ませる。


「冗談はそれくらいにしないと、目的地を神殿に変えてもらうわよ。浄化の費用、しっかり見積もっておきなさい」


 エルレアが低い声で言い捨てると、ネムは悲劇のヒロインのように儚げな顔を作った。


「……えー、僕、結構お得なのになぁ」


 不毛なやり取りを交わすうち、馬車の外は見覚えのある――懐かしくも、吐き気を催すほど忌々しい、アストレイン家の領地へと差し掛かっていた。




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