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第18話 聖女降臨。「資産開示は、お済みですか?」

 


「あ……貴女は……!?」


 子爵は黄金の雲のベッドから転げ落ち、震え上がった。


 聖女——エルレアは、慈愛に満ちた、あまりにも美しい微笑みを浮かべてハリスの前に降り立った。


「迷える子羊さん。……いえ、救いようのない『債務超過者』さん?」


 彼女が足を踏み出すたび、足下の黄金の雲が——

「帳簿の数字」へと変化し、真っ赤な赤字で塗りつぶされていく。


 数字は蠢き、膨れ上がり、やがて悲鳴のように歪んだ。


「あ、あなたは? 聖女様、私を救いに来てくれたのですか!?」


「ええ、ええ。もちろん救いに来ましたわ。貴方の腐りきった『財務状況』をね」


 エルレアは優しく、母親が子供を諭すような手付きでハリスの肩に手を添えた。


 その指先から伝わる温もりは確かに優しい。

 だが、その奥には——一切の情がない。


「ハリス子爵。聞こえますか? 今、貴方がこの『天使のお遊戯』を維持するために支払っている魔力コストは、一秒あたり金貨三枚。……これは祝福ではなく、『利息』ですわ」


「え……?」


「そして、貴方の屋敷の地下金庫は、三分前に完全に底を突きました。支払い能力は既に破綻しています」


 優しく、優しく告げられる『宣告』。


「さらに、貴方が信仰するその『香炉』。あれは救済ではなく、ただの粗悪な麻痺毒と低品質魔石の混合物。……つまり貴方は、価値のないものに資産を投じ続けたのです」


 聖女は微笑む。


「——資産開示はお済みですか?」


「あ、ああ……あああ……!」


「では宣告いたします。貴方の人生は今、この瞬間をもって——『完全な不良債権』です」


 その言葉と同時に、足元の帳簿が爆ぜるように広がり、赤字が空を埋め尽くす。


「あ、あああ! 私の金が、私の爵位が……!!」


「さあ、目覚めなさい。現実は夢よりずっと残酷で……そして、『精算』は待ってくれませんわよ?」


「……相変わらずえげつないねぇ」


 ネムが、世界そのものに飽きたように指を鳴らす。

 その音はやけに乾いていて、どこか“契約の成立音”のようだった。


 次の瞬間——黄金の世界は轟音と共に崩壊し、真っ赤な「破産宣告書」の吹雪が視界を埋め尽くした。

 その紙片の一枚一枚には、同じ文字が刻まれている。


 ——金貨三枚/秒

 ——金貨三枚/秒

 ——金貨三枚/秒


「ひいぃぃっ! お金! 私の、私のお金がああああ!!」


 ハリスが絶叫と共に飛び起きた。

 涎と涙で顔をぐちゃぐちゃにした彼は、荒い息を吐きながら周囲を見回す。


 だがその口は、無意識に同じ言葉を繰り返していた。


「き、金貨三枚……金貨三枚……一秒……いやだ、減る……減る……!」


 狂ったように呟く子爵の目の前で、エルレアは手際よくハリスの手から『レヴィアタン号』の招待状を抜き取った。


 紙を引き抜く音が、やけに乾いて響く。


「ええ、この招待状。これは不浄の魔力を吸い上げる『避雷針』として私が責任を持って没収……いえ、お預かりしますわ。これで一秒あたりの赤字が、金貨一枚分減りました。おめでとうございます」


 その言葉と同時に、ハリスの耳には

 ——「チャリン」と、確かに金貨が減ったような音が聞こえた。


「お、おおお……! さすが聖女様……!」


 実際には何一つ解決していない。ただ招待状を盗られただけだ。

 しかし、極限状態のハリスには、“損失が軽減された”という実感だけが現実よりも重かった。


「さあネム、次の工程よ。この屋敷に残っている『不純物(金目のもの)』をすべてリストアップして。再建計画の担保として、一旦私の異空間倉庫に『隔離』するわ」


「はーい。……あーあ、このおじさん、明日になったらカーテン一枚残ってないことに気づくのかなぁ」


 ネムが呆れたように指先を弾くと、その音に合わせて、室内の絵画や高価な調度品が、音もなく——

 いや、よく耳を澄ませば、小さく「チャリン」と鳴きながら闇に吸い込まれていく。


 ハリスはそれを見ているはずなのに、ただ安堵の笑みを浮かべていた。

 失っているのに、救われていると信じている顔だった。


「さて、子爵。貴方は今日から『無一文からの再出発』という、最高にコストパフォーマンスの良い人生を歩むのです」


 エルレアはゆっくりと屈み込み、視線を合わせる。


「豪華客船の件は、この私——仮の姿として貴方の『親戚の娘』を名乗る私が、すべて片付けて差し上げますわ」


 その声はどこまでも優しく、逃げ場を与えない。


 エルレアは、恐怖に震えるハリスの額に、優しく、慈愛に満ちた(そして魔力をたっぷり込めた)「忘却と暗示」の呪印を刻んだ。


 その瞬間、ハリスの視界の奥で――まだ消えきっていない赤い帳簿が、静かに閉じる。


「ひっひっひっ。さあネム、行きましょう。カイルから貰った着手金と、この子爵から『寄付』させた資産があれば、船の上で少しくらいの贅沢……いえ、必要な投資はできそうね」


「ねえエルレア。今の、聖女っていうより、ただの『追い剥ぎ』だったよね?」


「失礼ね。私は彼の『夢』を現実に変えてあげただけよ」


 エルレアは一度だけ、背後のハリスを振り返る。


「ははは……聖女様……私の姪は救いの聖女様……」


 そこには空っぽの部屋で、満ち足りた顔のままうわ言を呟き続ける男の姿だけがあった。


「いざ、レヴィアタン号へ!私たちの魔石が、そこで主人の迎えを待っているわ!」




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