中編
国王がベアトリスの話を聞いてから三年後。
ステファン王子とベアトリス公女が学園に入学する年には、二人の関係はすでに冷え切っていた。
ただ、ベアトリスが語る未来とは大きく異なることがある。
それは国王が病に倒れることなく、今も健在であることだ。
そのおかげか、王妃の散財は抑えられ、またベアトリスが必要以上に政務を押しつけられることもない。
ただし、別の問題もあった。
二人の関係が冷え切っているのは以前の歴史と同様だ。
しかし、ベアトリスは表向き、王妃教育すらまともに受けようとしない者と噂されていた。
事実、三年前からベアトリスが王妃教育を受けるために王妃の前に立ったことはない。
ステファン王子に婚約者として挨拶に訪れることもなく、茶会に顔を出すこともなかった。
「……あの女、とうとう学園入学まで」
ステファン王子は苛立ちながら、そう言葉を漏らす。
自分が無視をするのはいい。
だが、ベアトリスが欠片もステファンに媚びないことも、母である王妃の言う通りにしないことも、すべてが腹立たしいことだった。
そのくせ、ベアトリスはどうやら国王には気に入られている。
あるいは、息子であるはずのステファンには極度に冷たい国王が、ベアトリスのことは寵愛している姿を何度も見かけた。
以前はそこまで冷たくはなかったはずなのに、ベアトリスとの婚約が決まってから、国王から二人への扱いの差が顕著になっている。
もはやステファンにとって、ベアトリスは許せない存在となっていた。
王子に与えられる政務も、ベアトリスさえステファンの言うことを大人しく聞いていれば、彼女に押しつけられるはずだった。
だが、ベアトリスは決してステファンの思う通りにならない。
婚約者の立場を利用して彼女に命じようとしても、国王の影がちらつき、手を出せなかった。
しかも、ステファンに与えられる政務はどこか……雑務に近いもの。
誰がやってもいい、そんな仕事ばかり。
国政に関わる重要な公務は、すべてベアトリスに与えられた。
当初は面倒な仕事を押しつけられずに済んで好都合だと考えていたが、次第に自分は不要なのだと突きつけられているような格差に、ステファンの憎悪は募っていった。
「ステファン様」
そんなストレスの多い生活を送る日々、ステファンは一人の少女に出会う。
ファリス・シュレイン子爵令嬢。
愛くるしいブロンドの髪に、白い肌、赤い瞳をした可憐な少女だ。
彼女は王家の秘宝が使われる前の時間でもステファンと出会っていた少女だった。
運命の出会いを果たしたステファンとファリスは瞬く間に惹かれ合っていった。
元より仲がよくないと噂されているベアトリスとは一切の関わりを持つことなく。
学園でステファンの隣にいるのは、いつもファリスだった。
数ヶ月、その状態が続いたあと、ベアトリスは国王に呼び出される。
謁見の間ではなく、応接室に通された。
「ベアトリス、もしや、あのファリスという娘は……」
「はい、回帰前に殿下が妃にと迎え入れた令嬢です」
「あれを、か。いったいなんの役に立つ……」
「王妃様と同じく散財を重ね、殿下の横暴を助長し、国の崩壊を早めました」
「……はぁ」
国王は深く溜息を吐き出した。
「大人しく『飾り』にすらなれんのか、アレは……」
国王が子を成せない体であることは、すでに調べがついており、ベアトリスの言う通りだった。
同時にそれは王妃の不貞を意味し、ステファンが王族の血を引いていないことを証明している。
時間が遡る前の歴史で、王に毒を盛ったと思われる勢力はすでに判明している。
そう仕向けた貴族もわかっていて、それは王妃の実家だった。
王妃の発案かまでは定かではない。
だが、もはやこの時点で王妃にかける情けなど王にはなかった。
それは自分の息子ではないと判明したステファンに対してもだ。
それよりも健気に国に尽くし、国を護ろうとするベアトリスを王は大事に思っていた。
「ベアトリス、あれらはどうするつもりか」
「……どうとは」
「王妃を秘密裏に幽閉することは決まっている。今は残党を炙り出すために泳がせているだけだ。残る問題はステファンであり、ベアトリスの世代のことになる」
「はい、陛下」
「ステファンを飾りとし、ベアトリスを真の王とする計画だった。だが、ステファンには飾りの王すら務まらん。むしろベアトリスの邪魔となる。所詮は毒婦の息子だったのだ」
国王から王妃への憎悪は、すさまじいものになっている。
王妃のしたことは国としても重罪であり、一人の男としても度し難い裏切りだった。
当然、その子ですらも王からすれば憎悪の対象だ。
王としての理性がなければ、すでに二人の首を切っていただろう。
「このままいけば、どこかのタイミングで、ステファン殿下は私に婚約破棄を突きつけるかと思います。冤罪とともに、公の場で。そうなった時は飾りの役目すら負わせられません」
「そうだな。王家の威信を守るために奴を生かしているのだ。それを己で傷つけるとなれば、もはや生きている価値がない」
「そのタイミングでステファン殿下にはご退場いただき、私が正式に表に立ちますか? 或いは、何か他の案を……」
「……ううむ」
「実際、ステファン殿下の評判は悪いようです。私の評判もですが」
「王妃教育を受けようとしない婚約者、という噂か。ベアトリスは王妃教育を受ける必要がすでになく、すでにその先に進んでいるというのにな」
「皆さん、真実はご存知ではありませんから」
「ベアトリスはどうしたい?」
「……陛下のお心のままに」
「ステファンが誠実で、善良ならばこうは思わなかった。だが、ただでさえ我が子ではなかったうえに、あの態度なのだ。正直にいえば今すぐにでも排除してやりたいとも」
「それは……」
「わかっている。そう簡単にはいかぬ。真実も簡単には明かせぬ。だが」
ステファンは放っておけば、また過ちを犯すだろう。
その時こそ彼の終わりである。
「ベアトリス、お前の方が私よりも冷静だ。国のためになるように動いてくれるか? そのために必要なことは認めよう」
「……陛下。かしこまりました。どうかお任せください」
こうして国王から全権を委任されたベアトリスは、かつての断罪の日を待つ。
その間、ベアトリスは国王のもと、〝真なる次代の王〟として教育を受け続けた。
その優秀さは国王だけではなく、大臣たちをはじめとする国の中枢からも高く評価されている。
国政の采配にまでベアトリスが大きく関わるほどになっていった。
「ベア、お前は……このままでいいのかい?」
「お父様? 急にどうされたの?」
ある日、公爵は娘に問いかけた。
「王宮でのベアの評価は聞いている。確かに表向き、ステファン殿下を次代の王とするように取り繕う必要があるのだろう。だが、今の評判を聞くとステファン王子には、正式に表舞台から退場してもらったうえで、堂々とベアが表に立つことだってできるのではないだろうか」
「お父様……」
「これは私が勝手に言っているのではない。実は、陛下からそういう打診があったのだ」
「陛下から?」
「ああ。やはり王妃の不貞は許しがたいことなのだ。不実の子であるステファン殿下に対しても思うところがある様子だ。陛下のお気持ちは理解できるだろう」
「……そうですわね」
「すぐにでも王妃とステファン殿下を廃したいと陛下は願っている。すでにベアという優秀な後継者がいるからこそ、余計にな」
「なるほど。陛下のお考えは理解できます」
「ああ。……どうだろうか、ベア。お前の判断次第となる」
「お父様、まだ私はその話をお受けできませんわ」
「……そうか。やはり心の準備が必要だろう」
「心の準備は、とうにできております。王として立つ覚悟さえ」
「そうなのか? だが、だったらなぜ」
「だって」
ベアトリスは父である公爵に微笑みを浮かべた。
「あの者たちに報いを与えるには、そんな生温いやり方では足りませんもの」
その言葉を聞いた瞬間、公爵は時が止まったように感じた。
呆然となり、娘に問う。
「ベ、ベア……? 何を」
「お父様、私ね」
ベアトリスは公爵の言葉を遮るように話を続ける。
「時が遡る前、死に物狂いで努力していたの。王妃の仕事と、王子の無能を埋めるために政務をこなし、教育も受け、国を支えて。けれどあの男は、私を蔑ろにしてあの女を侍らせ、ありもしない罪を被せて地下牢へと投獄した。処刑されなかったのは、ただ政務を押しつける相手がほしかっただけで、優しさでもなんでもない。公爵令嬢であるこの私が悪女と罵られ、貴人牢ではなく、冷たく暗い地下牢に。冤罪を被せられたまま、処刑を待つだけの罪人として蔑まれた。……そうして」
「ベア……」
「王家の秘宝を私に使わせた。知っていますか? 王家の秘宝を使うには、その命を捧げなければならないことを。ステファン殿下は王家の血を引いていないから秘宝を使えなかった。それだけではないのです。あの男は、私の命を秘宝に捧げた。すべてを自分に都合がいいように、歴史を書き変えるために、この私を『生贄』としたのです」
ベアトリスの発する言葉の意味と、滲み出る気配に、公爵は思わず震える。
そんな公爵に向かって。
「許せるわけが、ないでしょう?」
ベアトリスは笑いながら、そう告げる。
「ベア、君の目的は、まさか……?」
「ふふふ。ええ、お父様。私の目的は〝健全な王家の再興〟などではありません」
ベアトリスの目的は。
「──復讐。それこそ私がこの時間に舞い戻ってきた目的です」
公爵はその場で力が抜け、座り込んでしまった。
自分の娘であるはずのベアトリスを見上げて、固唾を呑む。
なんでもないことのように微笑んでいるその姿は、どこか狂気を孕んでいた。
そして。
「ベアトリス・カスティリオーネ! 俺は貴様との婚約を破棄する!」
ベアトリスたちが十七歳になった年。
国王が外遊で国にいない隙を突いて、ステファンはそう宣言する。
場所は王宮にある広いパーティー会場。
その場には多くの貴族たちが集まっていた。




