前編
『私は王家の秘宝を使用しました。ベアトリス・カスティリオーネ』
たったそれだけがその手紙に記されていた。
「……これは」
「陛下? どうされましたか? ベアトリスの手紙にはなんと?」
「いや、公爵」
場所は王都にある公爵家の邸宅、その中庭。
今日、そこには国王と王妃、王子のステファンが来ている。
もてなしたのはカスティリオーネ公爵だ。
王家の三人が来た目的は、公女であるベアトリスとステファンの婚約を取り交わすことだった。
ベアトリスとステファンは今、十二歳。
王と王妃が決めた縁談に対して、ステファンは勝手なことを、と嫌悪感を抱いていた。
だが、表面上はその不満を押し隠している。
二人きりになったところでベアトリスに突きつけるつもりだった。
公爵夫人とベアトリスが中庭にやってくる前に、公爵から一通の手紙が国王に送られた。
それはベアトリスから国王に向けた手紙であり、他の者は読まないでほしい、と念を押されたものだった。
息子の婚約者になるだろう、まだ十二歳の公女の願い。
そう思い、国王はその程度の願いを叶えるのはたやすいことだと一人、手紙を読んだのだ。
「陛下……?」
「公爵、ベアトリス嬢は今どこに?」
「はい、屋敷で呼ばれるまで待機しているはずですが」
「そうか。では、すまないが公爵。王妃と王子の相手は公爵夫人、エレノーラに頼みたい。その間に私と公爵はベアトリス嬢と話したいことがある」
「……? はい、承知しました、陛下」
公爵夫人エレノーラは現国王の異母妹にあたる。
王妹が公爵家に嫁いで生まれたベアトリスは、王家の血を色濃く継いでおり、正当な王位継承権も有していた。
「陛下? どうなさったのです?」
「いや、王妃。気にするな。ただの確認だ」
「はぁ……?」
国王以外の全員が理由もわからぬまま、国王の思惑の通りに動いた。
中庭での応対は公爵夫人がこなし、王妃とステファン王子をもてなす。
その間、国王と公爵はベアトリスとともに応接室に入り、人払いをさせた。
「ベアトリス嬢、手紙の内容についてだが……」
「はい、陛下。私の拙い手紙を受け取っていただき、感謝致します」
十二歳の公爵令嬢、ベアトリスが美しいカーテシーで国王に礼をする。
その所作は、何も知らなければ、ただ優秀な高位貴族の娘とだけ思っただろう。
「……公爵、お前も手紙を読むがいい。ベアトリス嬢、いいな?」
「はい、陛下」
「……ベア? いったい」
公爵は国王から手紙を受け取り、その内容に目を通した。
そこに記された、たった一文に彼は首をかしげる。
「王家の秘宝、とは……?」
「知らないのか? エレノーラに聞いたことは?」
「いえ、初めて聞きました。妻からも聞いたことはございません」
「そうか。そうだろうな……。本来、いや。ベアトリス嬢、君は何を知っている?」
国王に問われたベアトリスは、幼子らしからぬ妖艶な笑みを浮かべる。
その笑みに息を飲む国王と公爵。
「まず、王家の秘宝とは時を遡る力を持つ聖遺物でございます」
「……!」
「時を……?」
国王は表情を歪ませ、公爵は呆気にとられる。
「その聖遺物を使える者は王家の血を濃く継ぐ者だけ。さらに王位継承権を持つ者に限られます。また時を遡った者は、遡る前の記憶を有したまま、過去の世界で生き直すことが可能となります」
「……陛下、本当ですか? そのようなものが?」
「……ああ。本当だ。ベアトリス嬢は……未来で、王家の秘宝を使ったのだな?」
「はい、陛下。私は五年後の未来より、この時間に舞い戻って参りました」
「五年後……? たった五年後なのか」
それは果たして聖遺物の限界なのか。
それとも、たった五年後の未来で何かが起きるのか。
「陛下。私は未来で知り得たことを陛下にお伝えせねばなりません」
十二歳のベアトリスには今、十七歳まで生きた彼女の記憶が残っているのだ。
そう簡単には信じられない。
ただ優秀で、大人びているだけと言われれば、その方が信じられるほどだ。
だが、国王は王家の秘宝について知っており、ベアトリスは秘宝を正しく説明していた。
目の前にいる少女は、確かに未来で王家の秘宝を使ったのだ。
「……未来で何が起きた、ベアトリス嬢」
国王がそう問うと、ベアトリスはそっと悲しげに目をそらす。
「陛下には酷なお話かとは存じますが……」
「構わぬ。王家の秘宝まで使ったというのだ。ならば、その知識を王国に役立てずしてなんとする」
「……はい。陛下のおっしゃる通りでございます」
王家の秘宝は、そう簡単に使用できるものではないはずだ。
まして、たった五年後であれば条件を満たす王族は他にもいる。
国王自身、ステファン王子、王妹であるエレノーラ公爵夫人。
それらを差しおいて、なぜ十七歳の公爵令嬢ベアトリスが王家の秘宝を使用したのか。
「……陛下は、お子を成せる体ではございません。二十年前から」
「…………は? 何を言っている……? そんなこと、あり得るはずが……」
国王も公爵も言葉を失った。
「五年後、正確には今から三年後、陛下は病に倒れてしまわれます。その頃から王妃様とステファン王子の横暴は始まりました。王宮では王妃様が派手な散財を繰り返すようになり、学園に入学したステファン王子は下位貴族の令嬢を寵愛しました。王妃様も、ステファン王子も、政務のほとんどを私に押しつけ、病に倒れた国王陛下を見舞うこともせず。今思えば、陛下も本当に病だったのか、わかりません」
「…………」
「十七歳になった私は、多くの貴族が集まる場でステファン王子から婚約破棄を突きつけられました。……冤罪とともに。そのほぼすべてがありもしない罪と、王妃とステファン王子が重ねてきた罪であり、私は囚われ、貴人牢ではなく地下牢へと収監されました。そこからは処刑を待つ日々でしたが、彼らはわざわざ地下牢に来ては真実を打ち明けて勝ち誇りました。地下牢にいる私にまで政務をさせ、そのために生かすつもりだったのかと思います」
ベアトリスはスラスラと暗澹たる未来を告げる。
「しかし、政務のできない王族、横暴と散財を繰り返す王家が、いつまでも続くはずもなく。私は地下牢にいたために正確な流れを知り得ませんでしたが……。どうやら民と貴族たちによる反乱が起きたようでした。王妃様とステファン王子はすべてを失うと知り、王家の秘宝に頼ろうとしたのです」
そこでベアトリスは言葉を区切る。国王はベアトリスの意図を理解し、続ける。
「ステファンは王家の秘宝を使うことができなかった、か。つまり、ステファンは私の血を引いていない……」
「左様でございます。そしてステファン王子は地下牢にいた私を引っ張り出して、王家の秘宝を使わせたのです。反乱が起きる前に戻り、彼らが望むようになんとかしろと命じられましたが……」
「そのような命令は聞かずともいい」
「ありがとうございます、陛下」
部屋には重い沈黙が続いた。
「陛下、私の証言だけでは疑わしいものでしょう。ですが、王妃様の不貞をどうかお調べください。また陛下のお体についても」
「私の体が子を成せないとは、なぜ知っている?」
「王妃様が地下牢まで来て、わざわざ語りましたので。主治医は把握していたようです」
「……私も知らなかった。言えなかったのであろうな。だが、それは」
それでも罪となるだろう。
ベアトリスの言葉がどこまで真実なのか、それを探らなければならない。
「陛下、お願いがございます」
「……なんだ?」
「私の言葉が真実であるかどうか、陛下とお父様は調べてくださると信じております。ですが、その先について、私はお話ししたい」
「その先?」
「はい、陛下。どうか私に……次代の王としての教育をお授けください」
「……!」
「ベアトリス!」
国王は驚き、公爵は思わず声を上げる。
「ステファン王子は王家の血を引いておらず、王妃様は不貞を働いておいででした。ですが、このような醜聞が知れ渡れば王家の威信が揺らぎ、国そのものを危うくします。……私を『影の王』とし、ステファン王子を『飾りの王』として据え置き、その間に私が次代へつなぐ後継者を成します。そうすれば、次世代以降も絶えることなく、きちんと正当な後継者が王になれるでしょう」
「……しかし、それは」
「陛下。私はすでに五年、王妃教育を受けた身でございます。十二歳の体では信用できないかもしれませんが。我が心には、すでに民を愛し、導く、王家の覚悟があります。また、新たに王妃教育を受ける必要はございません。むしろ、あえて王妃教育を受けないうえで監視をおつけください。そして『王妃教育を受けていない私』を試してくださいませ。何も知らないはずの私が王妃教育を受けたのと同等の教養を示すことができれば、その時は」
「……ベアトリス嬢の証言が真実である可能性が、より深くなるであろうな」
「左様でございます」
国王はまた少し沈黙する。そして。
「他に望むことはあるか、ベアトリス嬢」
「私に監視の目をつけ、私の身辺を精査すること。私がした証言についての調査。陛下が知らぬ間に毒を盛られていないかの今後の警戒、医療体制の見直し。王妃、ステファン王子の監視。すべてが明るみになった先では、表に出さなくても構いません。私を正当な王位継承者として、王家に仕えし者を私の配下としてつけ、事情を知る者たちによって、王家の血を引くこの身をお守りください。王家の秘宝を使える者は後世に残さねばなりません。経緯はどうであれ、秘宝はこの国の滅びを回避する道を示しました。あいにく、一度秘宝を使用してしまった身では二度と使用できませんが、私の子ならば」
「……そうだな。よかろう、ベアトリス嬢の望むようにしよう。いや」
国王はそこで改めてベアトリスの目をまっすぐに見る。
「王太女、ベアトリス・カスティリオーネの望むように」




