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Doppelgangerシリーズ

失聴音楽家の私が転生先で回復魔法調律師になってもいいですか?

 この物語にはスマートフォンがアイテムとして登場しますが、全然無双には使えませんし、無双系やチート系の内容ではありません。




   *      *




 ミカサ(三笠)は音楽家でした。ギターを演奏してメジャーデビューを目指していましたが、失聴してしまいました。


 本来なら、聴力が失われていく過程と、それに伴う苦悩・絶望を書いていく方が「文学らしく」なるでしょうが、今回話したい物語は彼女が既に絶望しきって、自殺を決心した翌日からはじめさせていただきたいです。


 一体、この世の中に絶望した人が異世界にいくことになった時、誰がそのまま死んで、誰が異世界に行くのでしょうか? 天使がサイコロを振って決めたとしか思えないのですが、実際、今からお伝えする物語でも、そこは言及されません。ただ、ミカサは異世界転生者に無作為に選ばれたようです。




 彼女は異世界に来たことに喜びを感じることはできませんでした。見覚えのない西洋風景の街並みに突っ立っていた時、まず思ったのは「ついに頭が幻覚を見せ始めた」でした。


 次に、「たとえ幻だろうが事実だろうが、異世界に来たからには心機一転楽しむだけだ」と心を新たに駆け出そうと歩き出したのですが、ここでギリギリまで湧き上がったポジティブな感情が、また押さえつけられてしまいます。周りにいる人間の声が、生活音が、街並みの喧騒が聴こえないのです。彼女は異世界に来てまで「病気で失われた聴力が戻ることなく、第2の人生を全く知らない土地で歩め」と見えざる天の力で強制させられてしまったのです。彼女の絶望は、まだ続いたということです。


 わけもわからず頭をかき続けますが、近くを徘徊する警備兵に怪しまれて話しかけられます。ミカサは、ああまたか 、と思いながら見振り手振りで何とか耳が聞こえないことを伝えると、警備兵に少し強引に腕を掴まれてどこかへ引率されました。


 彼女が連れてこられたのは、どうやら冒険者協会という施設らしく、街で生きていくには事前に事務手続きで「ジョブ」を決めなければならない様子でした。


 ミカサは職業一覧に「吟遊詩人」やら「旅芸人」「踊り子」という文字列を見て目眩がしてきます。耳が聞こえない中でこのような職業に就くすべがあるのか? と、他の職業を確認しようとジョブ一覧を眺めるのですが、目で文字は捉えているのに内容が全く入って来ず、手に持った鉛筆を空に泳がせるばかりです。


 あまりに優柔不断でいたので、冒険者協会の受付人から「ジョブチェンジはあとから可能で、初回無料だから、とりあえず適当に丸をつけてくれ」と筆談されます。


 ミカサは「旅芸人」という、ジョブとしてどうスタートダッシュを決めればいいかわからぬ肩書きに結局丸をつけて、冒険者協会の建物から出てきました。


 それから、一銭も持っていない中あたりをウロウロしていると、ホームレス姿の自分がぼんやりと浮かんで来ては頭を振るというのを小一時間続けていました。ふと目にした居酒屋に、アップライトピアノがテーブル席の隅に設置されていることに気が付きました。


 ミカサは転生前ギタリストでしたが、失聴手前の難聴途中では鍵盤楽器の方が触る機会が増えていました。どうしても弦楽器の細かいニュアンスや、そもそもまともに音が鳴っているかの確証が得られず、鍵盤楽器の方がまだ安心感があったのです。結局、ほぼほぼ聴こえなくなると、鍵盤楽器でも心が折れてしまったのですが、この異世界で小銭を稼ぐために、聴こえぬピアノの旋律を稼ぐ他ないと居酒屋へ入っていきました。




 ここでひとつ話が逸れるのですが、読者諸君の中には「失聴の作曲家としてはベートーヴェンやスメタナがいるし、身体に伝わる振動を頼りに大太鼓を叩く奏者もいるのだから、ミカサの対応は甘えなのでは?」という愚かな感想を持った人がいるかもしれません。わざわざそのような読者に注釈することでもないのですが、この世の中の特殊才能を持った一部の人間を見て、他の障害・ハンデを持った人間に「あなたができないのは努力不足だ」と評するのは、病気・障害というものの解像度の低さと能力主義の侵食されすぎな思想だと言わざるおえません。もちろん、結局のところハンデがあっても努力しなければならない箇所があったりするのですが、障害を背負った人間の人生を顧みず、数文の状況説明だけで相手を非難するように、修字に無配慮に努力不足を指摘する人間というのは、今回「読者諸君」に含めていないということは明記しておきたいことです。




 話を戻しますが、ミカサは居酒屋に入っていき、ピアノ周りに人がいないのを確認すると、そっと座って1音、2音と静かに鳴らしてみました。まずは店主に「飲み食い代はピアノ演奏で代替したい」と伺いを立てるべきではとも思いましたが、耳の聴こえない浮浪者寸前の人物がそのような申し出をするとかえって事態が面倒くさいことになる気もしました。一旦ピアノを弾いてみて、周りの反応が良かったら、飲み食い代を要求してみようと考えました。


 結果は芳しくありませんでした。直接声は出しませんが、観客の微妙は表情のニュアンスというのは、ミカサのような立場の場合鮮明に読み取れてしまうのです。ミカサの演奏を全く気に止めていないか、逆に気になった人は「別段弾くなとクレームをつけるほどでは無いが、別のもうちょっとうまい演奏が聴きたいな」というのが、見て取れてしまったのです。ここでミカサがエリック・サティを聴かせられるレベルであれば話も違ったのかもしれませんが、彼女はサティの音色を獲得する前に失聴していたのでした。


 席を立ち、聴衆がミカサへの関心を無くしたのを確認すると、そそくさと居酒屋をあとにしました。




   *      *




 聴力を失った上にこの腕前なのに音楽の固執から逃れられない自分が愚かなのだと、ミカサは自身をなじる言葉を反復しながら、再び冒険者協会の前まで来ました。


 ジョブのチェンジ先を取り留めもなく考えていると、受付人の方から店外の自分に近づいて来るではありませんか。ミカサはまだ決心のついてないのにジョブチェンジを強制されるのは怖いと180度方向転換して逃げようとしたのですが、そこで人とぶつかって倒れてしまいます。


「大丈夫?」とぶつかってしまった人物は手を差し伸べました。ミカサは手を握り起き上がりますが、その時ポケットから床に落とした「板」を見て、疑問が湧いてきます。


「どうしてスマートフォンを持っているのだろう」


 ここでひとつ注意をしておきたいのは、この物語は所謂「スマホで無双」みたいな物語ではないということです。ミカサはスマートフォンを手に取り起動してみますが、一向にインターネットには繋がりません。


 ミカサは自身の装いが中世的ファンタジーのもので、世界観はRPGのようであったので、自分の持ち物にスマホがあるという考えすら微塵も湧いていませんでした。しかし、あきらかにスマートフォンがここにあることが異質で、なにか手がかりになりそうな予感がありました。





「板」に四苦八苦しているミカサを、ぶつかった男は1分ほどただ眺めていたのですが、声をかけてみることにしました。「キミ、旅芸人?」しかし返答がないどころか、こちらが話しかけているのにも気づいていない様子です。男はその様子に見覚えがあったのですが、ミカサの背後から冒険者協会の受付が近づいて来るのを見て、一旦彼にその場を任せることにしました。


「ああ、ミカサさん、あなたに仕事依頼がきたんですよ! 初日に来るなんて運がいいですね」受付はミカサが失聴であることを知っていましたから、彼女の視界に写るように目の先で手を振って筆談しました。


 ミカサはそれを受けて「スマホの音声認識などでやり取りが円滑になるのでは?」とアプリを起動してみますが、彼女のスマートフォンはかなり旧式なのと、ネットに繋がっていないこともあって、結局うんともすんとも言わず、筆談に戻りました。「仕事? そもそも旅芸人が委託を受けて何をすればいいんですか?」


「依頼人の方はヒーラーを求めているようです」受付人は初心者に親切なタイプでしたので、チュートリアルのように続きを話しました。「魔力を増大させるのに演奏は有効だし、演奏に魔力を乗せれば癒しの効果があります。ヒーラーが現在この街では全員が手一杯のようで、『第2候補として旅芸人が演奏魔法を使えないか?』と依頼が出たようです」


 ミカサは悩みました。先程のピアノ演奏ですっかり怖気付いてしまったのです。「私は、ジョブチェンジをしたくて冒険者協会に引き返して来たので……」


 先程ぶつかって来た男が話に割って入って来ました。手話を添えて。「演奏? 耳が聴こえないのに?」男がミカサの有様に見覚えがあったというのは、つまり、男の交友関係に耳の聴こえない人いたということです。


 ミカサは男が手話をしてきたことに驚きましたが、何を言っているかは分かりませんでした。手話を学ぶ必要性を感じることもありましたが、日本では所属するコミュニティによっては、失聴してても手話に対して淡白な態度を取っていたので、ミカサは結局自分の言語にできなかったのです。


「手話は分からないので、筆談でお願いします」


「ああ、じゃあ」男はスマートフォンを取り出して、文字を打っていきました。


 それを見てミカサは驚きました。「スマートフォン、もしかして街の一般道具ですか?」と聞きました。本当は「この世界」と書きたかったですが、異世界転生者であることを公言していいか分からなかったので、このような言い回しになりました。


 男は意図を汲み取れたようで、「いや、これはキミがいた世界の機械だよ」と記述しました。「そうだね、ちょっと腰を落ち着かせて、キミの相談に乗ってみようかな」




   *      *




 男の名前はルージュ・フイユといいます。彼がなぜ異世界があることを知っているのか、なぜスマートフォンを持っているのか、そこは話の本筋ではありません。彼は実際に異世界の道具を使いこなしているという点そのものが重要なのです。


 彼は、旅芸人をパーティメンバーに誘ったのは自分だとミカサに伝えました。今度強大な魔獣をハントする必要があるのですが、ヒーラーが心許ないというのです。


「キミは耳が聴こえないようだが、楽器は演奏できる……ということでいいのかな?」


 ルージュ・フイユの質問はミカサを困らせました。「昔は弾けたのですが……いや、正直、人に聴かせられるレベルではなかったです。ただ、他に才能のなかった自分にとって、希望の見いだせる対象であったことは確かです。楽器を練習し始めたあとに、耳がおかしくなって……しかし、私は耳以外にも身体のあちこちに痛みが出る不都合なハンデがあるのです。やっと手に入れた能力をまた手放すことになるのは……直視できませんでした」


 もし、物語を読み進めた読者諸君に、「聴力以外の障害」を隠していたことを言及されたとしても、その話の順序は間違っていなかったと明記します。なぜなら、実際に世の中の人間は複雑な身体状態というのを汲み取って話を聞いてはおらず、1番印象に残った症状のみで話を進めるからです。結局のところ、言及が改めて必要な場面で言うに留めないと、そもそも「話を聞くことが面倒くさいな」となってさっさと見切りをつけられてしまうのです。


 だから、改めてここでミカサのことを「紹介」しましょう。彼女は耳が聴こえないだけでなく、一見すると普通に歩けているように見えるのに、他の身体箇所もボロボロ、しかし医療制度は間に合っておらず助けてくれなかった。という状態です。


 彼女の状況を観察したルージュ・フイユは、ミカサのスマートフォンと自分のモノを「交換」する申し出をしました。


「それは……一体なぜ?」ミカサは聞きます。


「気づいてると思うが、当然この世界はワールドワイドウェブがある訳ではなく、インターネットが繋がらない。そしてキミのスマートフォンには必要な機能が入って無さすぎる」ルージュは自分の板を取り出して、ミカサのと横並びにしました。「まあ、俺のスマートフォンもお古のやつなんで、AIなどは当然非搭載だし、音声認識などの制度も低い。ただ……」彼はいくつかアプリを立ち上げました。「キミに必要なものは、揃ってる」


 画面にはいくつもの「波形」が映し出されていました。


「 耳が聴こえなくとも、リズムは感じられるはずだ。そして、スマートフォンのタッチパネルは『音を描く』ことができる。つまり、音楽をディスプレイ上で再生したことがあるならわかると思うが……音を視覚的に波を使って表現したりするだろう? シンセサイザーを使えば、これを逆算して、波を描いて音を表現出来る。シンセサイザーは、音楽を視覚化できる」


「……実は、シンセサイザーとキーボードが、何が違うのかよくわかってないんです」ミカサは知る機会がないまま異世界に来てしまっていました。


 彼女は生前……つまり現実世界の日本で耳が完全に聴こえなくなる前に「耳と全身(特に関節)にハンデがあり、生楽器が演奏できないが電子楽器でそれなりに演奏するすべはないものか」とかなり規模の大きいネットコミュニティに投げかけました。そこで数人から返答があったのですが、誰一人として「シンセサイザー」が候補になり得ると言及できなかったのです。これは「あとから考えれば正解は明瞭なのに必要な時に誰も思いつかないことがよくある」というジレンマをよく示していました。


「キーボードは『形状』に焦点を当てた言い方で『シンセサイザー』は音を作る手段に焦点を当てた言い方なんだ」ルージュは画面に波を描きながらいいました。「音とは波形である。機械的な営みで波形をいじって合成する、その合成機械を示したい時に『シンセサイザー』と言うんだ。形状は、キーボードでもギターでもドラムでも、なんでもいい。つまり、タッチパネルでもね。シンセサイザーは『シーケンサー』という半自動でフレーズを奏でるカラクリが搭載されているものがほとんどだ。つまり、わざわざキーボードをいじらなくても、スイッチのオンオフで操縦が可能なんだ。そして、シンセサイザーはただ綺麗に音を奏でるだけが目的じゃあない。ノイズを愛して、音を合成する手順そのものを音楽、演奏とみなして、奏でることができる」


 ルージュ・フイユは前衛的な抽象画を画面に描いて、それをある種「楽譜」とみなして鳴らしました。今まで音楽から遠ざかっていたミカサにとって、幻聴かもしれないがたしかに久々に彼女は「音楽」を聴けたのでした。


「まあ、キミが生きていた現実世界では、これができるだけでは『能力不足だ』として"知識人"はキミを気にもとめないだろうけど、この世界では演奏に魔力を乗せれば魔法を使うことができる。キミは絵を描くということもその身体上難しかっただろうが、シンセサイザーを通して、『絵を描くこと』と『演奏すること』の良いとこ取りをして、生成された音楽に魔力を乗せて、自らの身体をヒールしながらヒーラーとして生きて行けばいい。少なくとも、科学世界の日本よりはマシな生活、冒険者生活を営めるはずさ」

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