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よそに嫁いだ妹がいつまでも金の無心に来るけど、この関係を断ち切りたいと思います

「お姉様……お願い! お金を貸して!」


 妹ルイナの懇願に、姉のルシエール・デーリッシュは眉をひそめる。


(これで何度目かしら……どんどん頻度も増えている……)


 姉妹はともに嫁いでおり、すでに夫の領地で暮らしている間柄。

 めったなことでは会うことはなくなる――はずだった。

 しかし、ルイナはこうしてルシエールの住む邸宅にやってきては、金をせびるのである。


「お願い……領民のためなの!」


「領民のためって、だったらあなたのお義父様に頼めば……」


「ダメなの! そんなことしたら、後継ぎである夫の領地経営能力を疑われちゃうわ! 私たち夫婦だけで何とかしないと……」


「……」


 ルシエールは人の良すぎるところがあり、こうして強く懇願されると断れない。

 妹を助けてあげたいという思いもある。


「分かったわ……。とりあえず、私の金庫からお金を出すから」


「……ありがとう、お姉様!」


 先ほどまでの悲痛な叫びが嘘のような笑顔になる。

 ルシエールは自分自身でケーキ屋を営んでおり、その人気は高く、独力でひと財産を築いている。

 その金庫の中から、かなりの大金をルイナに差し出す。


「わぁ、嬉しい! やったぁ!」


「今までの分も含め、ちゃんと返してね。少しずつでいいから……」


「ええ、ええ。助かったわ、お姉様!」


 満面の笑みで曖昧な返事をする妹を見て、ルシエールは乾いた笑みを浮かべる。

 その表情には「諦め」の感情が強くにじんでいた。



***



 ルシエールとルイナはヒルトン子爵家に生まれた。

 二人ともあでやかなオレンジブラウンの髪を持ち、ルシエールは背中に届くほどのロングヘア、ルイナは肩に触れる程度のショートヘアを好んだ。

 ルイナはルシエールに比べると要領のいいところがあり、両親へのおねだりも上手かった。そのため、一人だけ服や人形を買ってもらうことも多く、ルシエールはそんなルイナを羨ましいと思いつつ、生来の奥ゆかしさも手伝って、自分も欲しいとは言わなかった。

 そのおねだり癖は姉にも及ぶ。

 ルシエールがペンを新調すると、自分の古いペンと交換してとせがんでくる。人のいいルシエールは最終的には交換に応じてしまう。

 また、ルシエールはケーキ作りが趣味で、友達同士の集まりなどには自分で作ったケーキをよく持参していた。

 ところが――


「わぁっ、美味しそうなケーキ!」


 ルシエールが友人のパーティーにケーキを持っていくところだった。


「ねえ私もこれからあるパーティーに参加するんだけど、このケーキくれない?」


「え、それはちょっと……」


「お願い、お願い、お願い! このケーキを持っていけば、私パーティーの主役になれるもの!」


「……いいわよ。持っていってちょうだい」


「やったぁ!」


 時には無茶なねだりもあったが、ルシエールはいつも最終的には折れてしまう。


 やがて、二人はデビュタントを果たす。

 ルイナはここでも要領の良さを発揮し、伯爵家の令息ヴェッテル・ファルムと早々に知り合い、婚姻に至る。


「お姉様も行き遅れにならないうちに、相手見つけた方がいいわよ」


 悪気のなさそうな妹の激励が、ルシエールの心にチクリと刺さる。

 が、妹に遅れて二年ほど経ち、ルシエールの前に運命の相手が現れた。

 公爵家令息セグリオ・デーリッシュ。青みがかった黒髪と、切れ長の眼を持つ、鋭利さと優雅さを兼ね備えた青年だった。

 芸術の奨励も行っており、王国きっての大人気劇団『レインボー』のスポンサーも担っている。


 出会いはある夜会だった。

 この日、本来腕を振るうはずだったパティシエが風邪をひいてしまい、出すはずだったケーキを作れないという事態に陥ってしまった。

 その時、手を挙げたのがルシエールだった。

 このような事態で貴族令嬢が手を貸すのは前代未聞だが「こんなことでしかお役に立てませんので」とキッチンに立った。

 そして、さほど時間もない中、いくつかのケーキを作り上げてみせた。

 しかも、その後は令嬢として夜会に参加する。

 この時、セグリオはルシエールのケーキを一口食べて、従者に顔を向ける。


「このケーキ……美味しいな。後で作った人を呼んでもらえるだろうか?」


「かしこまりました」


 すると、たまたま近くにいたルシエールが遠慮がちに声をかける。


「あの……それを作ったのは、私なんです」


「えっ、君が……?」


 ルシエールの才能が思わぬ形で世間に知られる瞬間だった。

 これがきっかけで二人は交際するようになり、程なくして婚約。

 妹に先んじられはしたものの、ルシエールは公爵家に嫁ぐことになったのである。


 ルシエールは結婚後もケーキ作りは続けたいと考えた。

 セグリオからデーリッシュ家領内に自分でケーキ屋を出したらどうかと提案される。

 領民相手に商売することを躊躇し、無償での提供も考えたルシエールだったが、


「ルシエール、確かに無償の奉仕というのも素晴らしいものだ。しかし、お客からすれば“お金を出して買ったものだからこそ美味しい”ということも確かにあるんだよ。与える側としても代価を受け取った方が、その分のクオリティを維持しなきゃという気持ちにもなれるしね」


 セグリオの言葉に納得し、ついにケーキ屋を開店する。

 ルシエールのケーキは好評だった。

 自身にも貴族夫人としての役目があるので、開店は不定期になってしまうが、店を開いた時には必ず完売した。

 夫とは愛し合い、領民との関係も良好、商売も順調。非の打ちどころのない理想的な生活を手に入れた。

 しかし、そんなルシエールの元にやってきたのが、妹ルイナだった。


 突然やってきた妹に困惑しつつ、ルシエールは喜んで迎える。

 雑談もそこそこに、ルイナは「お金を貸して欲しい」と言ってきた。

 領民のために公園を作りたいのだが、その資金がどうしても足りないというような内容だった。

 こんな情けないこと頼めるのはお姉様しかいない、どうか助けて。と懇願される。

 さらにはケーキ屋を開いて、そのお金も結構あるんでしょ。と懐具合まで把握されている。


 ルシエールとしては妹を助けたいという思いもあるし、身内のことを夫に相談するわけにはいかないという気持ちもあった。

 結局、自分の金庫からいくらかの金を手渡してしまった。妹の喜ぶ顔を見てひとまずは安堵する。

 だが、これが無心地獄の始まりでもあったのだ。


「お姉様、またお金を貸して欲しくて……」

「これも領民のためなの」

「相談できるのが、お姉様しかいなくって……」


 ルシエールの心の柔らかい部分を突いてくるような懇願の数々に、心根の優しいルシエールは応え続けるしかなかった。

 だが、無心の頻度は無情にも増え続け、その負担はルシエールの財力というよりもむしろ、彼女の心の容量を超えてしまう。


 ある夜のことだった。

 ルシエールが食後のデザートとして夫セグリオにショートケーキを出す。ショートケーキにはイチゴが二つ載っており、これは夫婦を意味している。

 セグリオは「いただくよ」と食べ始める。

 だが、そのフォークがピタリと止まる。


「ルシエール」


「あら、どうしました?」


「何か悩みがあるんじゃないのか?」


「……!」


 いきなり核心を突かれ、動揺する。

 セグリオはフォークに載ったケーキの欠片を見つつ、目を細める。


「君のケーキ、近頃味に乱れを感じる……。ほんのわずかだけどね」


 ルシエールは自分の心がケーキにも表れてしまったことを職人として恥じたが、同時に夫がそんな些細な違いに気づいてくれたことが嬉しかった。

 だが、妹のことを話すわけにはいかない。

 ただでさえ多忙な夫に、さらに負担はかけたくない。

 妹のことは自分だけでなんとか背負う。そう考えていた。

 答えに窮し、ルシエールが押し黙っていると――


「ルシエール、どうか僕を頼って欲しい」


「え……?」


「君は優しいし、自分一人でも生きていける力もある。だから、なるべく僕に頼りたくないという気持ちがあるのは分かる。でも、僕としてもたまには君に頼られたいんだ。頼られて『ああ、僕は頼りにされてるんだ。やっぱりルシエールには僕がいないとな』って思いたいんだ。悦に浸りたいんだ」


「セグリオ様……」


「『私のために崖から飛び降りて』って言われたら、喜んで飛び降りよう。だからどうか、頼って欲しい」


 セグリオが自分に悩みを打ち明けやすいようにしているのが分かる。その気遣いに、頑なだったルシエールの心も氷解する。


(ありがとう……セグリオ様……)


 そして――


「では……頼らせてもらいます」


「ひょっとして、ホントに崖から飛び降りる感じだったりする?」


「いえいえ! そんなことないです!」


 おどけるセグリオ。

 ルシエールもこれもまた、セグリオの優しさだと理解できるので、嬉しかった。

 それに応えるように全てを打ち明ける。


「……なるほどね」


 セグリオは腕を組み、椅子の背もたれに寄りかかる。


「今までに妹さんに渡した額は把握しているのかい?」


「ええ、それはもちろん」


 ルシエールも返ってこないことは薄々感じつつ、渡した額はきちんと記録していた。

 セグリオは書面に目を通す。


「かなりの額だ……」


「もっと早く相談していれば……ごめんなさい」


 セグリオは励ますように首を左右に振る。


「君は何も悪くないじゃないか。君は僕や周囲に一切迷惑をかけることなく、妹さんに対してお金を手渡した。僕に相談できなかった心情も十分理解できる。ただあえて落ち度があるとするなら……」


 ルシエールの顔が強張る。


「もう少し分かりやすく悩んでくれればよかったのに。そうすれば、ケーキの味が変わる前に気づくことができた」


「セグリオ様ったら……」


 ジョークで場が和むが、打って変わってセグリオの表情が真剣みを増す。


「さて妹さんの件だが、まずは部下に君が渡した金がどういう使われ方をしたか調査させよう。それによっても次どうすべきかが変わってくるからね」


「はい、お願いします」


 ルシエールも、夫の力に頼る覚悟を決めた。


「任せておいて。この件は夫婦で解決するんだ」


「ありがとう、セグリオ様……」


 ルシエールはセグリオにしなだれかかり、セグリオもそれを優しく迎え入れた。



***



 一週間後、部下から調査結果が届く。

 報告書を見たセグリオは苦い顔で、ルシエールを呼ぶ。


「調査報告が来たよ」


 ルシエールは緊張の面持ちだ。


「君の妹ルイナは、君から受け取った金を全てギャンブルにつぎ込んでいる。彼女だけじゃなく、夫のヴェッテルも共謀してのことだ。二人はかなりのギャンブル狂いといっていいようだ……」


 ルシエールは目を丸くする。


「そう……ですか」


 目を閉じる。

 ルイナの言う「領民のため」が嘘だというのはさすがに分かり切っていた。

 だが、それでもいい服を買うとか、欲しい宝石があったとか、そういう使い方を想定していた。女としてもっと着飾りたいという心情は理解できるからだ。

 まさかギャンブルとは……。悪い意味で妹は想像を超えてきた。


(私はそんなことのためにお金を渡していたの……?)


 領民たちが自分のケーキのために払ってくれ、蓄えとなった金は、妹とその夫がギャンブルを楽しむために使われていた。

 悔しいやら、情けないやら、悲しいやら、腹立たしいやら……。

 さまざまな感情が大量にこみ上げ、涙までこぼれてくる。


「ルシエール……」


「セグリオ様、私、妹にしっかり抗議します。お金もきっちり返してもらいます」


 セグリオは首を横に振る。


「君がそんなことする必要はないよ」


「でも、このままじゃ済ませられません! 私の気が済みません!」


「言ったろ? この件は夫婦で解決するって」


「……!」


「君が抗議をしても、妹夫婦は君の優しさにつけ込んで、またあれこれ言い逃れしようとするだろう。下手すると開き直って君を傷つけるような言葉を浴びせてくるかもしれない。そんな光景を僕は見たくない」


 セグリオの両目に怒りの色が帯びる。


「それに、君に涙を流させた罪は、抗議や金の返済なんて生易しいものでは済ませられないよ。絶対にね」


 この時のセグリオの声はとても冷たく、聞いていたルシエールをもぞくりとさせるほどだった。



***



 ファルム伯爵領。ルイナとヴェッテルの邸宅。

 昼下がり、ルシエールの妹ルイナが、リビングのソファに座る夫ヴェッテルの肩に抱きつく。

 ヴェッテルは癖のある茶髪の持ち主で、その顔つきはハンサムではあるが、どこかずる賢い内面がにじみ出るようなところがあった。


「ねえねえ!」


「なんだい?」


「この領に“カジノテント”っていうのが来てるらしいわよ!」


「カジノテント? 面白そうな響きだな」ヴェッテルは身を乗り出す。


「各地を転々としてるカジノらしくて、色んなギャンブルを楽しめるんですって!」


「本当か!?」


 二人とも目を輝かせている。


「行くでしょ?」


「行くしかないだろ!」


「なんたって軍資金もあるしね」


 ルイナはニヤリと笑う。


「ああ、お前の姉さまさまだな」


「そうね。お姉様はねだればいくらでもお金を出してくれる、都合のいいお財布ですもの」


 この言葉にヴェッテルも笑う。


「せっかく財布があるんなら有効活用しなきゃな! よし、さっそくそのテントに行くぞ!」


 ルイナとヴェッテルは噂のカジノテントにやってきた。

 ちょっとしたお屋敷ほどの大きさのカラフルなテントが張られており、身分の確認とボディチェックを済ませると、中に入ることができた。

 すでに大勢の客がおり、あちこちでギャンブルが興じられ、勝った負けたの悲喜劇が繰り広げられている。

 ギャンブル狂いの二人には涎が出るような光景だ。


「こりゃすごい!」


「楽しみましょう、ヴェッテル様!」


「そうだな……大勝ちしてバカンスといくか!」


 二人はさまざまなギャンブルに挑戦する。

 ポーカー、バカラ、ブラックジャック、クラップス、ルーレット……。

 そして、大敗した。

 ルシエールから借りた大金は、すっかりスッてしまった。

 だが、表情に悲壮感はない。ギャンブルは存分に楽しめたし、何よりなくなったのはルシエールの金なのだ。彼らにとっては痛くもかゆくもない。


「あーらら、これで終わりか。もっと楽しみたかったな」


「まあいいじゃない。またお姉様に借りればいいのよ」


「それもそうだな。できればこのテントがいるうちに頼む」


「任せといて。なんたってお姉様は自分の作るケーキより甘いからねえ。いくらでも金を絞り取れるわ」


 二人が高笑いしていると――


「残念ながらそうはいかないよ」


 彼らと同年代の青年が現れた。

 そしてもう一人。


「ルイナ……」


「お姉様!? セグリオお義兄様!?」


 突然現れた姉夫婦に、ルイナの顔面に焦りの色が浮かぶ。

 ヴェッテルも困惑する。


「なぜお姉様たちがここに……」


 ルシエールはわざとらしく髪をかき上げる。


「なぜ? 私とセグリオ様だってカジノを楽しむくらいするわよ」


 姉がギャンブルをするなど聞いたことがない。

 そもそもここはファルム伯爵領。デーリッシュ家の二人がいるということ自体不自然すぎる。


「そんなはずないでしょ! 何しにきたのよ!」


 セグリオがルシエールの盾になるように前に出る。


「妻に対し、あまり怒鳴り散らすのはやめてもらおうか」


 ここは自分が出るべきと感じたのか、ヴェッテルもその前に立つ。


「あなたはデーリッシュ家のご長男だな? なぜ、わざわざ我が家の領まで?」


「妻が君ら夫婦に貸した金について、話し合いたくてね」


 ルシエールがいる以上、こういう用件だというのは予想がついていた。


「やはり……。妻から相談を受けてここまで来たってところか。だが、残念なことに、ルシエールお義姉様は、我らに“お金をくれた”んですよ」


「そうよ! 借用書もないしね! お姉様は可愛い妹にお金をくれたのよ!」


 返す気はゼロで、踏み倒す気満々というのが分かる。

 セグリオはため息をつく。


「一応言っておくけど、王国の法律では借用書がなくても貸した金の請求はできるよ。ルシエールは貸した金額を日時まで事細かに記録しているし、裁判でもやれば間違いなく勝てるだろう」


 法や慣習に則れば、これはセグリオが正しい。

 しかもセグリオは金の使い道まで調査しているので、訴訟でも起こせば確実にセグリオとルシエールに軍配が上がる。


「なっ……お姉様セコイことを!」


 ルイナが睨みつけるが、ルシエールは表情もなく黙っている。


「だ、だけど私たちにお金なんかないわ! 調べてみたら!?」


「そうだ……ここのカジノで全部スッちまったからな!」


 自分で言っていて情けなくならないのかと思うような開き直りであった。


「分かっている。安心してくれ。僕たちは君たちに金を返してもらおうなんて思ってない」


 二人はひとまず安堵する。だが、その顔はすぐに凍り付くことになる。


「なにしろ……君らはそれどころじゃ済まなくなる」


「え」


 今の言葉を合図にテントの裏から出てきたのは、ヴェッテルの父だった。

 スーツ姿で杖をついており、髯のある貫禄ある面相を怒りに歪ませている。


「……父上!?」


「話は全て聞いたし、全て見ていたよ。イカれた表情でギャンブルにのめり込むお前をな。お前はファルム家の恥さらしだ!」


「ひいいっ……!」


 ヴェッテルの父は、雷を落とすかのように杖の先端を床に叩きつける。


「お前のことは今日限りで絶縁、追放とする」


「ひっ……待って下さい! 父上!」


「この件が終わったらすみやかに領を出ていきたまえ。ヴェッテル殿。ああそうそう、できれば餞別でも渡したいが、デーリッシュ家ご夫婦には私から金を返すことにしたのでな。それで餞別とさせてもらいたい。達者でな、ヴェッテル殿」


「あ……ああ、あ……!」


 あまりに他人行儀な父の言葉に、ヴェッテルは膝から崩れ落ちた。

 一瞬にして貴族から転落した夫を目の当たりにして、ルイナも青ざめる。


「わ、私は……!? 私はどうなるの……!?」


「お前の処分は私が言い渡そう」


 恰幅のいい中年紳士が登場する。ルイナは目を白黒させた。


「お父様!?」


「私も見たぞ。下品にギャンブルに興じるお前の姿を。結婚前から賭け事に興味を持ち始めているのは知っていたが、ここまで酷くなっているとは思わなかった」


 中年紳士はルシエールとルイナの父だった。

 ルイナは元々ギャンブルに興味があり、趣味を同じくするヴェッテルと知り合い、しかも結婚で親元を離れたことで歯止めが利かなくなってしまった。

 ただし、このことをルシエールは知らなかったが。


「お父様、私は……!」


「お前も絶縁とする」


 一切言い訳は聞かぬという強い口調だった。


「私が……絶縁……私が……庶民に……?」


「ただし、私には多少の情は残っているし、ルシエールからの嘆願もあった。少しばかりの餞別は出そう。それすらギャンブルに使ってしまったら、もう知らん」


 ギャンブル狂いの夫婦は、揃って庶民になってしまった。

 一件落着し、セグリオが二人を裁いた父親二人に丁寧に一礼する。


「ご協力感謝します。両家とは、デーリッシュ家を担う者として末永いお付き合いをさせて頂きたいものです」


 ふと、ヴェッテルが小声でささやく。


「なぜ……なんでこんなことに……っていうか、なんだよこのテント……」


「ああ、そうそう。せっかくだから種明かししておこうか。みんな、よくやってくれた!」


 セグリオの声に、周囲にいたカジノのディーラーたち、そして客たちが全員返事をする。


「お安い御用です!!!」


「は……!? どういうことだよ、これ!?」ヴェッテルが泣くように叫ぶ。


「周囲にいるのは、僕たちを除けば全員劇団員だ」


 ヴェッテルは声も出ない。


「いかがだったかな? 僕がスポンサーを務める劇団『レインボー』の大芝居は。七色の演技力を誇る彼らからすれば、カジノに化けることすらご覧の通りさ」


 “カジノテント”などそもそも存在しなかった。

 ディーラーも客も劇団『レインボー』の一員で、ルイナとヴェッテルは彼ら相手にギャンブルに興じていたのだ。


「それにしても本職でないディーラー相手にここまでスるなんて……よほど君たちにはギャンブルの才能がなかったようだな。今後は控えるよう忠告しとくよ」


「あ、あうう……」


 最初から自分たちは蜘蛛の巣に引っかかった虫だったと知り、ヴェッテルはがっくりとうなだれた。完全に観念してしまった。

 だが――


「お姉様助けてぇ!!!」


 ルイナはまだ諦めていなかった。


「お願い、お姉様! 許して! 私、反省したわ! だからお姉様の下で侍女として雇わせて! お願いよぉ!」


 たとえ侍女でも貴族の家に潜り込めれば返り咲くチャンスはある。

 ルイナ必死の懇願だった。

 ルシエールはそんな彼女を見つめると、こう言った。


「私、あなたに渡したいケーキがあるの」


 ルイナの顔が明るくなる。


(仲直りのケーキかしら? やっぱりお姉様は甘いわぁ……)


 ルシエールは一口サイズほどのクリームの塗られたケーキを持ってきた。


「食べて」


 ルイナはそれを食べるが、すぐ顔をしかめた。


「うっ!?」


 ケーキには砂糖が一切使われていなかった。

 ルイナにはすぐ意味が分かった。

 私はもう甘くない――すなわち、訣別の証。


「お、おねえさ、まぁぁ……」


「元気でね、ルイナ」


 姉からの冷たくも温かい別れの言葉。ルイナもまた夫のようにうなだれた。

 夫婦はこの日のうちに身分を落とされ、追放され、デーリッシュ公爵領、ファルム伯爵領、ヒルトン子爵領への出入り禁止を言い渡された。



***



 騒動から月日は流れ……。

 ルシエールとセグリオは夕食を終える。


 すると、ルシエールは食後のデザートとしてケーキを持ってくるという。


「今日のケーキは特別ですよ」


「お、楽しみだね」


 セグリオもルシエールのケーキは人生の楽しみの一つであり、笑顔を見せる。

 だが、出てきたのはいつも通りのイチゴが二つ載ったショートケーキだった。


「……?」


「今日はね、もう一つ……」


 追加で三つ目のイチゴが載せられる。セグリオは即座に意味に気づく。


「……! もしかして――!」


「ええ、今日お医者様から……」


「……やったね! ルシエール!」


「ありがとう、セグリオ様……」


 さっそくお腹を触るセグリオに、「まだ早いですよ」と苦笑する。

 夫婦で笑い合う。


 人生生きていれば、切れる縁もあれば、新たにできる縁もある。

 ルシエールはこの新たにできた縁を大切にしようと、固く心に決めた。






おわり

お読み下さいましてありがとうございました。

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う、うーん・・・せめて、甘やかし続けたおまえも悪いんだよって言ってくれる常識的な旦那だったらよかったかも 苦笑 
これは妹に甘い両親と姉が悪いんじゃないの? 両親は妹に甘すぎる姉に妹のギャンブル好きを忠告すべきだったのに黙っていたのは何故なのか。 親も姉も甘える妹が可愛くて甘やかしまくって悪い子になったからってポ…
姉のやってることって叱ってる横から甘やかす婆と一緒で自己満の甘やかしなので姉にもざまぁされて欲しかったです。 セグリオ様がスパダリだから、今のままでも問題ない気もしますが
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