二話 流浪の闇妖精
────
大魔術を破る
────
南門を抜けると大洞穴の終焉に辿り着く。取水塔が何基も建ち並び、水棲生物が家畜として養殖されている。
天井近くには何百という数の細かい抜け穴が迷路のように入り組んでいる。
主にイタチが通るような通路。大人の人間は通れないが、まだ成熟しきっていない子どもの闇妖精や太ってないハーフリングのような、小柄な者達ならばなんとか通行が可能だ。
闇妖精──光通さぬ暗がりを好む夜の眷属──であるグリンならばここから地上に出る事など造作無い。
グリンは小高い丘の中腹にある穴熊の住処から這い出す事に成功した。
穴熊の獣臭と糞尿の臭いが薄れると、生暖かくも鮮烈な青臭い植物の薫りが辺りを包む。
背の低い樹木の枝を折りながらひらけた場所に出ると少年は遥か空高く、天を見上げた。
「──星」
ひときわ大きく光る星を見つけた。
突然、目眩がして脚がもつれ、低木の枝に顔を突っ込んだ。
「グリニエル、良かった無事だったのね!」
不意にザラの声が頭の奥に響いた。
幻惑の魔術が再び少年を襲う。足元に小さな穴がいくつも開き、魔法の青い焔が渦を巻く。渦は数メートル吹き上がりグリンを焼き尽くそうと待ち構える。そして反対方向に鐘楼館の同胞達の姿が見えた──
「なるほど、光る星の方へ向かわせないようにしてるのか……」
少年は自らの頭を三日月刀の柄で小突いた。
少々の痛みでは魔術を消す事は出来ない。それこそ頭を叩き割られでもしないと打ち払えないかも知れなかった。
「これは偽りの炎、熱くない、熱くない……」
火柱の先に、星が見える──
危険に向かって走るのか──理屈で理解していても踏ん切りがつかない。
ザライアの呼び声を背にしてグリンは火に向かって走り続けた。
幻惑の炎を吸い込んでしまい少年の身体は反射的にむせて咳き込む。焼けていないはずの喉に激しい痛みを感じる。
「これが大魔術か──」
痛みに耐え、咳き込みながらグリンは高速で両足を回転させた。
うっすらと、幻覚と現実との境界線が見えてくる。
グリンに細かい理屈はわからないが、どうやら別な星の光を目に入れる事で魔女の魔力源である月灯りの影響が薄れるらしい。
素早く移動する事で、脳が魔女に都合の良い幻覚を作り出す前に現実の視覚情報が次々更新されていく──その過程を経て幻覚は次第に精巧さを失っていった。
青い焔は草むらの夜露と姿を変え、ザラの呼び声は遥か遠方の山から聞こえる狼の遠吠えとなった。
空が白み始める頃には痛みも消え、焼けていたはずの衣服は夜露に濡れてしっとりと少年の肌にまとわりついた。
虐殺の夜を走りきった闇妖精の少年の瞳に太陽の光が飛び込んでくる。
時折、眩しくて何も見えなくなる──グリンは反射的に目蓋の裏のレンズを下ろすが、遮光レンズを下ろすと現実の風景から得られる情報量が極端に落ち、幻覚がより鮮明になって少年の脳を混乱させる。
それでもなお青い焔の勢いが弱い先へ、その先へとひた走る。
(──一番光る星を頼りに走れ)
頭の中で何度もキエンザの言葉を繰り返し、おぼろげになった光を頼りに走り続ける。
やがて──星など見えなくなり、激しい頭痛に慣れ、目の奥の痛みを感じなくなってきた頃──
少年の身体の周囲にまとわりついていた何かはいつの間にか掻き消えていた。
足で踏み込むと夜露──いや朝露──が跳ね上がり陽光を反射して光り輝き、その冷たさが火照った身体を幾分か冷却する。同時にむせ返るような青臭い小さな草木達の香りの粒も弾けて鼻腔をくすぐった。
朝──
光る草原が疲労困憊したグリンを優しく包み込んだ。草木を踏み込む音に混じって鳥のさえずりが聞こえる。
ふう、ふうと周囲を警戒しながら歩を緩め、日陰を探した。あの理不尽な虐殺から逃れた事を喜ぶ気持ちよりも、取り敢えずもう、走らなくて良い、という安堵な方が勝っていた。
風を切って走る事が好きだった少年は産まれて初めてこれ以上走りたくない、と思った。
こうして少年は魔女の大魔術から逃れる事が出来たのだった。
────
流浪の闇妖精
────
虐殺の夜──魔女集会の夜──以降、城砦都市ヴァーレはその主を変えた。
闇妖精達の地下王国と、人間の国々との間に位置しており、夜の眷属達の前線基地という性格は変わらなかったが雰囲気は大きく変わった。
闇妖精に限らず、男性の滞在には料金支払い、もしくは労役提供が必要になった。
滞在許可証の値段は城主や上級会員の魔女の気まぐれや気分次第で乱高下し、気に入られた者は免除された。
気に入られて快適な暮らしを手に入れた男達もいたが「醜い」「気が利かない」という理不尽な理由で一歩も足を踏み入れる事が出来ない者もいた。
そして──
女性達には被害が無かったのか
──と言えばそう言う訳もなく、近隣の人間達に一番恐れられたのは若い魔女達による「夫、恋人の強奪」である。
これの恐ろしいところは人間の男達の方が自ら進んで強奪されにいってしまう点だ。
闇妖精の魔女達は集会で使う精液採取のため人間の男達を誘惑し、一晩、二晩ほど軟禁するが用が足りれば些少な謝礼を持たせて解き放っている。
魔女達いわく、酪農家が山羊の乳を搾りに行くのと似た感覚らしいのだが、快楽に弱い人間の男性は魔女の儀式で得た肉体的快楽と、家畜扱いされる事で得られる被虐的悦びに目覚めてしまい、自ら進んで奴隷になりに行き、帰ろうとしないのだという。
闇妖精の魔女達は自らの美しさと若さを保つために悪魔に魂を売っているようなものなので、内面の美しさはさておき、美容にかける熱意たるや人間の王侯貴族をも凌ぐ。当然、美容術に疎い人間の女性達はどうしても見劣りがしてしまう。
面白い物で、ヴァーレ近辺で偶発的に発生していた人間と闇妖精族との軍隊同士の小競り合いは激減した。その代わりに人間の領土の南端、境界線が大きく後退し、どちらの領土でもない広大な空白地帯が生まれた。
この時代、軍人や役人の性別はだいたい男であるため、軍の要職に就いている男性が、魔女の性的魅力で誘惑され夜の眷属側に寝返ったりすると、その損失は計り知れない。
対抗する術を持たない人間達はヴァーレから大きく距離をとらざるを得なかった。
あの大魔術の夜以降、破竹の勢いだった昼の眷属達の侵攻は一旦、小休止したのである。
───────
家を無くしたグリンの新しい生活が始まった。
困った事にグリンは闇妖精の王都であるグレート・シャードの居住権を持てないらしい。
青のグリニエルは魔女集会の夜に死んだから──
ハラグ子爵の領民扱いだったグリニエルはどうやら虐殺の夜にミュルミドンの隊長キエンザ直々に始末されて死んだ事になっているらしかった。
実は、あの大魔術から逃げ出した男が複数いたのは魔女も把握していた──逃げ足の速いグリンならば逃げ延びるかも知れないし、現に死体も見つかっていないし──と魔女に告げ口する者も多かった。
グリンには知り得ぬ事だが、魔女は大魔術を破ったかも知れないこれらの脱走者達にに大いに興味を持ち、直々に捜索の手配をしていた。
魔女の執着心と使い魔の追跡の執拗さを知るキエンザはグリンの自由を守るため「自分が頭を叩き割った」と報告したのだった。
キエンザの主張を疑う者もいたが妖術に長けた「不死者」と真っ向から敵対できる闇妖精は貴族の中にもそうそう居ない、それに、立場のあるミュルミドンが嘘をついてまでひとりの少年をかばうに足る理由がどうにも思い浮かばない。
鐘楼館名簿上、青のグリニエルは他の死亡者と同じく赤い二重線で存在を消された。
余計な気を回してくれちゃって──
グリンは魔女のしつこさを知らぬが故に、キエンザを恨んだ。
他に行くところを思いつかなかったので取り敢えず人間の社会でやっていこう、と思い立った。何しろ闇妖精の社会的には幽霊みたいなものなのだから…………
「まあ何とかなるだろう──落ち着いたらどうにかして別人になりすましてグレート・シャードに潜り込んでやる」
金を積んで貴族の下位の位を買えば身分をでっち上げる事も可能だし、手っ取り早いところだと似たような歳格好の「誰かさん」に成り済まして入れ替われば良い、バレる前に逃げれば問題はない。
この手の不正、悪徳は夜の眷属の闇妖精族には許容範囲であり、比較的温厚な気質のグリンも許容している。こういうところが昼の眷属達、とりわけ白妖精や岩妖精から嫌悪される所以なのだろう。
間諜の真似事をやっていたので人間の街には慣れていたし滞在した経験も多かった。しかし、数日間の短期滞在と違って、しっかりとねぐらを構えて安定的に暮らすのは勝手が違った。
何しろ日中は眩しいので遮光レンズを下ろして生活しなければならず不便で、夜中に動くと怪しまれる。
思っていたより生活リズムが違うと感じた。
何より金を稼ごうにも蓄財が困難だった。金品を安全に保管できる場所が無いのである。
闇妖精の少年がひとりでうろついている事に人間は慣れていない、基本的には異物だった。
眠っている日中に近隣住人達から通報され、衛兵や大型犬に追い回されねぐらを長い時間離れざるを得ず、戻ってみたら金品や食料は何者かに根こそぎ持って行かれた、という事がしばしばあった。
人目の多い街中で後ろ盾のない異種族民がまともな生活をするのは難易度が高過ぎた。火矢が飛んでこないだけマシだったかも知れない。
グリンは基本的には山中や河原、洞穴から動物を追い払ってそこで野宿をした。
ウサギなどの小動物を殺して捌き、肉と皮を売っていたら狩人達から矢を射掛けられ、人間達では簡単に見つけられない珍しい薬草を売っていたら薬師の雇った用心棒達に商売を邪魔され何度も揉めた。
ここで癇癪を起こして人間に危害を加えるような事はしなかった。夜の眷属として育ってきたグリンにとって市井の人間を殺す事は容易い。技術があり、道具もある。
でも、そうしなかったのは本人の気質によるところが大きい。
そうこうしている内に、はぐれ者の闇妖精の子どもが近隣にいるらしい、とグリンの存在が人間達の間で認知され始めた。
グリンに魔術の素養は無かったのだが魔術を使ってイタズラをするという噂も良い方向に働いた。
「ちょっかいを出すと魔術をかけられて面倒な事になるが、近付かなければ害は無い」
というポジションを手に入れる事ができた。
三年をかけて、ようやく人間達と適切な距離感を保てるようになったのだった。




