第十三話 襲撃
術士の案内で一同はシュローネの元へと向かう──
精霊との契約が多い術師は精霊達の間で有名になってしまうため位置情報が漏れやすいが、シュローネほどになると精霊達が協力的になり敵対する相手に嘘の情報を流したり、時には探査している敵対者の情報を教えてくれたりもする。
精霊達は害意をもってシュローネを探索する輩を妨害し、森の戦士団を導くために尽力してくれているらしい。
そして精霊達から「危険」が待ち受けている、と良からぬ報せも入ってきていた。
「精霊達がざわついています。呪物の件とはまた別のトラブルかも知れません」
「俺にもわかりやすく言ってくれよ」戦士は不機嫌さを隠さない。
「うむ、近辺の精霊達の移動が妙に活発になっているのだ。特に地霊がこれまでになく激しく動いている」術師は戦士に告げた。
空は晴れ渡り、やや強めの風に木々が揺れ、清流をたたえる川の水面は穏やかである。
「荒れてるようには見えない」
「地震の予兆なのかも知れません」ミシェット
「まさか、こんな平地で? 火山も何もありはしない」戦士は信じられない、とジェスチャーをする。
「呪物と関係がありますか術士?」
「呪物はシュローネ様のお側に──そして地霊達の活動は地下です」
「シュローネ様が何か大掛かりな術を……?」
大規模な戦闘が始まっていて、シュローネが術を行使する寸前なのでは──という推測が一同の頭に浮かぶ。
休憩の頃合いではあるものの、浮足立った一同は馬を急かした。
小一時間ほどでミシェット達、白妖精戦士団は街道を下ってくるハンク達の馬車を発見した。遠眼鏡での観測なのでまだ距離はあるが、何事もトラブルが起こっているようには見えなかった。
幅広の街道の脇はまばらに馬の水飲み場や休憩用の小屋が点在するだけで、特に何も無く厳密な所有者のいない原野が広がっていた。川から少し離れていて岩が多く開墾が後回しにされているのか、背の低い草が野放図に生えているような場所である。
一同は安心すると同時に、罠を疑った。
軍勢を動かしたり精霊術を使うにはうってつけの場所とも言える。
戦士団全員が警戒を強め、異常を感知しようと努めた。これが功を奏して勘の鋭い射手がいちはやく草むらに這いつくばり身を潜めている何者かの気配を察知した。
弓を準備するため視線を腰に落とした射手が異変に気付く。
馬上からでは察知しにくいにわかづくりの魔術装置が街道の中央、ど真ん中に埋め込まれていた。
「皆、速度を上げろ!」
射手は鞭を手に取り馬の尻を叩いた。飛び跳ねるようにその場を離れる射手に釣られて全員が速度を上げた。
彼らの後方に矢よりも速い極小の火球が無数に放たれる。
その内のひとつが魔術装置に引火して『遅行性大火球』の魔術が発動した、炸裂した火球は大きく地面を抉り、攻城兵器レベルの大穴を掘った。鉄が溶けだすほどの熱量と風、激しい熱波が一同を襲う。
ミシェットと射手以外は馬ごと宙に舞い落馬した。金属鎧をまとった戦士は地面で胸を打ち呼吸が苦しくなるほどの衝撃を受けた。戦士は起き上がると馬達に「川岸に集まって身を守れ」と命令した。馬達は幸い無事だったがひどく驚き怯えていた。戦士の命令を無視して散り散りに駆け出して行く。
射手は草むらの陰に矢を数本射掛けるが、既に人の気配はなかった。
術士は背を焼かれ、かなりの深手を負ってしまった。まともに立ち上がる事も声を出す事も出来ないらしい。生命の危険が迫った時に自動発動する防御術が発動、術士の周囲に魔力の障壁が現れる。
「射手! 術士の治療をお願いします!」
ミシェットは馬から降りると、この場から離れるよう尻を強く叩いた。馬は嘶いて無人の原野へ駆け出して行く。
術士の様子を見ようと小走りに移動を始めた戦士は、自らの背後に何かの気配を察知した。
素早く振り向きモーニングスターを無人の虚空に振り下ろす──
何もなかったはずの空間に突如として黒い鎧を着た男が姿を現した。モーニングスターの鎖が男の小剣を絡め取る。バランスを崩された男は前屈みになり、小剣を取り落とした。
「さすがは森の精鋭、一筋縄ではいかないか」
軽薄そうな男の声──全身に鎧を着込んでいるのに一番大事な頭部を晒した黒色鎧の長身の男──
「残念だったな夜の眷属、観念しろ」
巧みな手捌きで戦士は男の腕を掴む。掴まれた男はどこか余裕ある様子で「ほ〜、若いのに大した腕だ」と戦士の手捌きに素直に感心していた。
「馬鹿にしてるのか?」
そのまま捻り上げて組み伏せようとしたが、戦士は急に身体の自由を奪われ、逆に数メートル先へ投げ飛ばされた。一回転して不様に地面に叩き付けられる。
「お、俺が投げられたのか?」体術に絶対の自信を持っていたエルフの戦士は黒鎧の技術に驚愕した。
黒鎧の男は掴まれた篭手が若干変形しているのを見て低く一声「げえっ」と唸った。
男は五芒星手裏剣を数枚手に取ると戦士の兜の隙間めがけて連続で投射した。
「とんでもない馬鹿力だ、相手してられん」
内の一発は手裏剣ではなく、小麦粉のようなもので作った煙玉だった。ボフッという少しくぐもった音を立てて破裂するともうもうと白い粉が当たりに充満した。
「人を食ったやつだ、ええい小賢しい!」
回避せず腕で顔面を防御したため、戦士の周囲は粉塵で視界が悪くなった。
男は粉と戯れている戦士を無視して小剣を拾い、この中で一番の難敵である若き白妖精族の剣士との戦いに備えた。
ミシェットは最大限に警戒し、決着を急がず大股にゆっくり歩きつつ男との距離を詰める。
「黒い鎧……黒龍連珠の将官ですか。何故ひとりで行動している?」ミシェットは独り言をつぶやいた。
「違うね!」
ミシェットの小さな声にも反応してくる黒鎧の男、大きな声で返答してくる。
「俺は自由民! 闇妖精族との繋がりは断った! ──地下都市は刺激が足らんのでな!」
「おしゃべりがお好きなようなので教えてください。闇妖精族と断絶したとおっしゃいましたが──あなたの今の雇い主は人間族の死霊術師ではありませんか?」
剣を構え、腰を落とすミシェット。いつでも斬撃を繰り出せる体勢をとった。
「半分正解──」
男は時間をかけてミシェットの実力を測っているようだった。
男の後ろで戦士が立ち上がりモーニングスターを構えた。
奇襲が不発に終わって状況は良くないはずなのになぜか男は妙に落ち着いている。
「間抜けな闇妖精族だ。ひとりで我らに立ち向かった勇気だけは認めてやるが」
上半身に白い粉をかけられ、憤怒の形相となった戦士。距離を詰め、男を間合いに捉えた。
最早黒い鎧の男に逃げ場は無い──ミシェットは目の前の男が何を企んでいるかまったく理解できないでいた。
「おしゃべりしている間に不利になりましたよ? 何故時間稼ぎの真似事をするのですか」
「どうしてかなぁ、フフフ。当ててみれば?」
ニヤニヤと笑う男の態度に違和感を覚えるミシェット。
「貴様、何がおかしい」戦士が怒鳴る。
「ミシェット様! ヤツはそこにいません!」
射手が神気のこもった光る矢を放つ。
「チッ……」
舌打ちする男の身体に数条の光がさす。
光の当たった部分は消えてなくなり反対側が透けて見える──かなり高度な『幻影』系の魔術である。
「馬鹿な──いつから幻影と入れ替わった?」
おそらくは煙玉を投げた後だとは思うがまったく気付けなかった。
「しまった……!」
ミシェットの背筋に悪寒が走る。
遠くに見えていたはずの馬車が消えていた──
「シュローネ!?」
離れた場所で金属同士がぶつかり合う音が聞こえてくる。
そして、地鳴り──
──────
ハンク達の目の前で爆発が起きた。
「なんだなんだぁ!?」
「大火球です! しかも高位の──」シュローネが叫ぶ。
ハンクはグリンの手枷を外すと三日月刀を渡した。急いで戦闘準備を整えるグリン。
「まさか昼間に襲ってくるなんて──吸血貴族じゃないのか?」首を傾げるハンク。
「待て、なんか様子が変だぞ」
グリンは遠眼鏡を覗き込む。
「──狙いは俺達じゃないらしいぞ──誰か襲われてるのか。馬が逃げ出してる」
「あれは森の戦士団の妖精馬です!」
シュローネの声色には悲壮感が混じっていた。
「よし加勢するぞ!」ハンクは矢筒を背負い、道具袋を引っ掴む。
グリンは遠眼鏡で敵の姿を探る。
「敵の数は?」ハンクが尋ねる。
「なんだ、敵の姿が見えない──」
ハンクは単眼鏡を取り出し、魔法薬を垂らす。
覗き込んだ瞬間、自分目掛けて五芒星手裏剣を構えた黒鎧の男が視界に飛び込んでくる。
「なにっ?」
咄嗟にハンクは身を反らし、手近にあった手斧を投げ付けた。
手裏剣は馬車に命中し、手斧は何かに当たって地面に落ちた。
静電気が辺りに滞留しているのか、ぱちぱちと音を立てる。霧の中から男の姿が浮かび上がった。
「おまえ、ただの御者じゃないな」
男性の声──緊迫した状況に不似合いな、やや脱力した響き。
黒い鎧を着た男は素早い動作で五芒星手裏剣を連投した。ハンクは器用に剣を振るって手裏剣を防御したがとても手裏剣とは思えないほどの威力で投げられたそれはハンクの剣を弾き飛ばす。革鎧の薄い部分に一発命中した。あまりダメージは受けていないが体勢を崩されてしまう。
尻餅をついたハンクに音も立てずに忍び寄る男。
「……ん?」
髪の毛が縮れた長身の男はハンクに接近戦を挑むのを躊躇して飛び退き、再び距離を取った。
ハンクの左手が見えなくなっていたからだ。
彼は鎧の男の死角になるように後ろ手で道具袋の中に手を伸ばし、魔法薬の入った小瓶の蓋をいつでも開ける準備をしていた。
「くそ……」男が近付くのを待っていたハンクは騙し損ねた事に気付いて体勢を立て直す。
「──?」
男はハンクの挙動を注視していたが、死角からの殺気を感じて振り返ると投擲された何かが頭部に迫っていた。
男は咄嗟に篭手でグリンからの攻撃を防ぐが跳ね返った物体を見て目を見開く。
「──五芒星だと〜?」
手裏剣は的確に投射され続けた、グリンが鎧の隙間を狙ってくるので無視できない、回避しつつ本来の目的であるフィンランディアの娘を探した。
その白妖精族の少女をかばうような立ち位置をとる闇妖精族の少年──苛立ちから突如としてぐぉっ、と獣のような咆哮を上げる男。
「貴様! 何故白妖精族の味方をする!?」
『金縛り』の魔術が発動する。
黒鎧の男から魔力のこもった覇気が辺りに迸った。
しかし、怒りを向けられた少年は怯むことなく自分より大きな相手に一歩も引かずに立ち向かった。
「抵抗したのか」
「俺の相棒に手を出すと死ぬぞ!」
期せずして同族に出会い、黒鎧の男はあからさまに動揺していたが、グリンの方に迷いは無かった。相手が誰であろうと仲間に危害を加える者は許さない、と少年は闘志を燃やした。
グリンの心中に祖霊の声が響く。
それは意外な内容だった。
(──血の気を抑え、相手を見極めよ)
(蛮勇、愚かなり)
(獣の所業と心得よ──)
グリンは躊躇した。この戦いに祖霊達の加護は得られない──それどころかグリンの行いを戒めようとしている。
「なんだと」
グリンにとってこれは初めての経験だった。少年は祖霊を敬い、常に彼らと共にあったが少年の行動は否定された。
ここまで強く否定されたのはこれが初めてである。
困惑しているのはグリンだけでは無かった。
「おまえ……」
縮れ毛の闇妖精の戦士はこめかみの辺りを抑え、脂汗を流しながら忌々しそうにグリンを観察した。
「『不死者の肉片』を持っているな? それも呪力の強い心臓か、目玉か──」
じりじりと後退する黒鎧の男。
グリンが答える前に男は口を開く。
「うるさい黙れ! 何だと言うのだ!」男は錯乱気味に叫ぶと、遂に自らの小剣を手放して両手で頭を抑えた。
まるでひとり芝居のように、何かと会話する男。彼も祖霊の声を聞いているのかも知れない──グリンも、黒鎧の男も目に見えない何かに動きを封じられた。
ハンクとシュローネは呆気に取られて目の前のふたりの闇妖精族の奇異なやり取りを眺めていたが、ハンクはこの好機を見逃さず、すぐに行動した。
魔法薬を取り出して動きの鈍った男に浴びせかけたのだ。
「あっ……!?」
高濃度の『弱体化』の神秘術が込められた薬品である。薬品にすることによってあらゆる魔法防御や耐性を無効化する──肉体を持つ生命体に対しての切り札に近い(注入、または吸引させる事ができれば──)
生命活動そのものが止まり老化が始まり、放っておくと──細胞が死滅していき、生物は死亡する。
これは死霊術師が使う同名の術『弱体化』と同じに見えるが、まったくアプローチが違う(あちらは他者の生命力を奪い取り、自分の生命力や魔力に転換する術)
こちらはかなり高度な神秘術の応用で、聖教会の高僧にだけ伝わる物。
『正常でない細胞が増殖する疾患』を治療するための術である──つまり、治療師や神気の使い手以外はこの術の正体がわからない。
「ぐっ……?」
男は激しい脱力感に襲われ、不様に両膝をついた。
「人間、この毒は何だ? この症状は──」
「説明してやりたいが時間切れなんだ、悪いな」
ハンクは剣を構えると男の首に狙いを定めた。
男はハンクの冷徹な視線から自らの敗北を確信した。そして最後の力を振り絞り、口笛を吹く。
俄に地鳴りが起き、地面が激しく揺れる。火球の爆風にも無反応だった遠くの鳥が喚き散らし飛び立っていく。
「なんだこれ、精霊術か?」
「違います、これは……」シュローネの顔が引きつる。
最早、まともに立っていられぬほど大地がうねる。
「高位精霊術──盲目地龍です──!」
砂塵が巻き上がり、石礫が高速で飛ぶ。
大地母神がこの世界を創造した時、人間に農地を与えるために、この地龍を使役して山を削り広大な土地を耕したという。
──つまり、神話級の魔法生物が召喚されたのである。
揺らぐ大地の上で、男は恨めしそうにグリンを睨みつける。
「し──少年よ、おまえの名前を──お、教えてくれ」
「俺は青のグリニエル、ヴァーレの斥候だ」
「俺は漆黒のギル──また会おう、グリニエル。邪魔の入らぬところで──」
「ギル──」
グリンは地割れに飲まれていく男から目を離す事ができなかった。ハンクから乱暴に担ぎ上げられて、ようやく周囲の惨状に気付いた。
「ボーッとしてると死ぬぞ! 馬車は諦める、荷物を厳選して持ち出せ!」
「わかった!」
シュローネは既に馬と共にこの場を離れた。ふたりは貴重品を回収すると可能な限り地割れから逃れるように走った。
─────
地龍は一時間ほど暴れ回り数キロ四方の地上物ほぼすべてを土中に飲み込んだ。
この大災害を引き起こしたのが、先刻の黒鎧の男、たったひとりの闇妖精族である事にグリンは身震いした。
グリンはそのギルが取り落とした小剣を拾い上げ、眺めた。やや幅広の年季が入った古い造りの剣である。
少年は祖霊に否定された事に少なからずショックを受けていた。涼やかの森の白妖精族達が近くにいるのに肌を隠そうともせず、ただぼんやりと変貌した原野に立ち尽くしていた。
ハンクが近付いてきても、一瞥すらしない。剣を眺め、内なる声で祖霊に問い続けた。
「なあ相棒。あの闇妖精族に心当たりは?」
ハンクは半ば放心状態のグリンに話し掛けた。
「ん? ハンクか──すまない聞いてなかった、もう一度頼む」
「さっきの黒い鎧の闇妖精族、何者なんだ?」
「さあ──わからない。俺の知らない軍団の幹部なのかも」
「名の知れ渡った英雄レベルの実力だと思うが」
「わからない。漆黒のギル、と名乗っていたが初めて聞いた」
「ギルか。でも向こうさんは、明らかにおまえさんと戦うのを躊躇っていた。知り合いじゃないのか」
「何も知らないんだ、役に立てなくてすまない」
ハンクは肩をすくめて街道と原野の境目がわからなくなった地面を眺めた。
「やれやれ、今回の件、吸血貴族だけじゃなくて闇妖精族も絡んでるのなら、また大きな戦が始まるかもな」ハンクはさらりとした口調で戦争について言及した。
「白妖精族まで巻き込んだ大きな戦争が起きたら──」グリンはハンクを見上げた。
「どうした?」
「俺はおそらく、人間族の領地を迂闊に歩けなくなる」
「…………」
ハンクはグリンに何かを言おうとして思いとどまった。
「なあこうやってぼんやりしていても何も進展しないぜ。とりあえず腹ごしらえでもするか?」
「……すまない、俺はもう少しここに居たい。それこそ何かギルについて思い出すかも知れない」
そうか、とハンクはグリンの傍らを離れて白妖精族戦士団の待つ天幕へと戻った。
──────
グリンは敵か味方か
──────
「貴方のご友人は「自由民」と名乗る闇妖精族について何か知っていましたか」
天幕の中ではミシェットが座禅を組んでハンクの帰りを待っていた。ハンクは天幕の端、絨毯の手前で立ち止まり、立ったままで答えた。
「いえ戦士長殿。俺の『相棒』は何も知らないようです。多少隠し事のあるヤツですが嘘はついていません」
「そうですか」
「──信用できるものか。闇妖精同士が人間の領域でひとつところに集合するなんて偶然にしては出来過ぎだ。小さいヤツが黒鎧を呼んだと考えるほうが自然だろうが。森へ連行して『魂の天秤』で嘘を暴くべきだ」戦士が主張する。
「あの少年は信用に足ると思います、私が保証します」シュローネが反論した。
「いやいや、シュローネ様はお若く無垢、ヤツらから騙されているのですよ。友好的で善良な闇妖精族などいるはずもありません。死してなお祖霊となり現世に干渉してくる性格のねじくれたヤツらなのですから」
口角泡を飛ばす勢いで闇妖精族への嫌悪感を示す戦士をミシェットは手で制した。
「シュローネが騙されているかどうかはさておき──貴方は『祝福されしエレノア』までもが聖邪を見誤っている、と言うのですか。彼女はこれまでも義父フィンランディアの友として、社会のために貢献してきました。護衛についたふたりを疑うことはエレノアや私の義父を疑うことにつながります。誰かを『魂の天秤』に乗せろ、などと軽々しく口に出してはなりません」
「それは……」
戦士はミシェットにあっさり論破されてバツが悪そうに首を引っ込めると奥に引っ込んで横たわり治療を受けている術士の側に座った。
「ありがとうございますお兄様」
ミシェットは柔和な表情を作り妹であるシュローネを傍に呼んだ。彼女は兄の真横に座ると胡座をかいた。椅子が無い場合の妖精族の作法らしいがハンクは女性も足を開いて座ることに少し面食らった。人間族を始めとして卓と椅子の文化を広めた張本人の白妖精族だが、自分達だけの領域でくつろぐ時は絨毯に裸足で過ごすようだ。
「シュロ、彼を信じる根拠は?」
「彼はヴァーレの生き残りで──おそらく逃亡者なのです。ヴァーレでは魔女により妖精族の男が大勢が殺されたと聞きます」
ミシェットはちらりとハンクの方を見る。ハンクもうなずいてシュローネの言葉を肯定した。
「なるほど故郷を失い、闇妖精族の社会から弾き出された者、という事ですね」
「そうなのです」シュローネが答える。
ミシェットは無言で妹を見た。
「え、なんでしょうかお兄様」
「シュロ、おまえはあの闇妖精に随分と恩義を感じているようですが」
「ええ! 彼のおかげで私はこうして前向きでいられるのですわ。多少乱雑で底意地の悪い子ですが根が善良なので話せば話すほど新たな気付きを得て、蒙を啓かれていく思いがしますのよ──お兄様とは気が合わないと思いますが──お話をされてみれば闇妖精族への印象が良い方向へ変わるはずです」
シュローネは兄が迎えに来た事に感激して舞い上がっているらしい。兄の方は無言で妹の頭を撫でる。
「おまえとあの闇妖精の子供は気が合う、と?」
「ええ、年代が近いせいもありますが、昼の眷属の価値観と近しいものがあります。まあ、多少ねじくれたところもありますが──」
ミシェットは含みを持たせたような笑みを浮かべてハンクを見る。
「……ハンク殿、妹の恩人を立たせたまま、というのは義父フィンランディアに合わせる顔がありません。助けると思って、どうかお座りくださいませんか?」
「いやあ、ここのところ何日も足裏は洗ってないもので……」
「どうぞハンクさん。お気になさらず」
ハンクはブーツを脱ぐと脇に置いた。
懐中の手拭いで申し訳程度に足の汚れを落とすと絨毯の上にあがり、ミシェットの真正面に座る。
ミシェットは丁寧に礼を述べると謝礼の交渉を始めた。
「人間族や岩妖精族と違い、私達は必要以上の貨幣を持ち歩きません──今回のところは工芸品で代替、ということでよろしいでしょうか」
「ええそりゃ、願ってもない話です」
ミシェットは首から下げた護符を外した。
「これは白妖精族の娘達が編んだ『守りの護符』です。邪悪や死を遠ざけることでしょう」
「へえ〜?」ハンクは手に取ってしげしげと眺めた。
ミシェットはかなり厚手の巻物を取り出した。1メートル四方の敷物、と呼ぶべきか。
「これは浄化の帆布です。この布を被せて、半日待てば汚染された水や食物から毒になり得る成分の九割九分を取り除きます」
辺境を旅する者そして過酷な環境下で働く開拓者は言うに及ばず、戦地の将軍、貴族や富豪のような「毒殺」を恐れる者にとっても、大変価値のある宝物だ。
「やあ! こいつはありがたい。是非とも手に入れたいと常々思ってたヤツ!」ハンクは思わずヒュー!と口笛を吹いた。
射手と戦士が渋い顔をして軽く咳払いをする。口笛、指笛は動物を呼ぶ時に使うもので目上の人の前では使わないのが礼儀である。
「あとはこれを──私達の里で交易に使われている木札です。調練済の妖精馬十頭分になります。貴方がた人間族の価値に換算すると、どれくらいになるか、相場は私達にはよくわかりませんが──」
ハンクの目が輝く。
「おお……初めて見ました!」
「残りは後で請求してください」
「え〜っ、まだ貰っていいんですかね? 太っ腹!」
「貴方次第です」
ミシェットは穏やかな笑みをたたえている。上機嫌というわけではなく、これが素の状態なのだろう。
「いやあ満足です! ありがたくいただきます戦士長殿」
「お喜びいただいて嬉しく思いますハンクさん。貴方達にはご迷惑をおかけしたので、これだけでは足りないと思っています。不足があればいつでもお申し付けください。私の権限の許す限り、援助を出しましょう」シュローネの屈託のない笑顔、今までとは人が変わったように元気になっている。
「いやあまあ、とにかく姫さんが無事で良かった」
この白妖精族の少女には随分と振り回されたが、この顔を見られただけでなんとなく許せてしまう。ハンクは自分の単純さに思わず苦笑する。
「さてハンク殿。当方にも怪我人がおります故──」
「そうですね、俺達の方はまず今晩の寝床と食事を確保しないと……早速コイツを試してみますかね!」
ハンクは浄化の帆布を大事そうにさする。
「これにてお別れですね──良い旅を」
ミシェットは左肩に右手を乗せ、軽く頭を下げる。シュローネも遅れて同じ動作をしたのでハンクもそれにならって頭を下げた。
「では失礼します──よっこら……」
「お待ちください」と射手が立ち上がろうとしたハンクを咎めた。
「ミシェット様。ハンク殿は信頼できますがもう片方の者も同様に信頼されるのですか? 闇妖精族の子供を人間族の領域で放免する──と? 私は納得できません」
奥にいた戦士はこの展開に喜んで相槌代わりに膝をぴしゃりと叩いて笑みを浮かべた。
「……先刻と同じ説明をせねばなりませんか?」
ミシェットはゆっくりと首を動かして射手を視界に入れた。
「射手?」シュローネの顔が曇る。
「考え直してください、彼は狼獣人と吸血貴族を倒すほどの技能を有した者。立派な『暗殺者』なのです。しかも得体の知れぬ呪物を我らの活動範囲に持ち込んでいる──放免は危険過ぎます」
「──そうやって居場所を無くした少年を追い詰めると、彼はいずれ私達の敵となって戻ってきます。彼は数年人間族の領域で暮らしているのに未だ法を犯していないのですよ。人間族の掟、昼の眷属の作法に馴染む気があるのです」
「それはそうですが。闇妖精族とは生来、自己愛が強く知略に長け他者を欺く術を磨く者──無害に見せるのも、策略の内かも知れません」
射手は必死で食らいつく。
「確かに──貴方の懸念はもっともです射手。此度の私の決定は、妹の感情に流されて判断が甘くなっているかも知れません」
ミシェットは続けた。
「ではこうしましょう。貴方がたの懸念を取り除くため、私が彼の後見となり、彼の行動に責任を取りましょう。これで納得してもらえませんか射手」
「えっ、ミシェット様? 素性のよくわからぬ異種族のために貴方が責任を取るなど──」
「なんか話がおかしな方向に進んでますが揉めないでください。俺が呪物を手放すよう説得してきますから少し待ってくれませんか」
ハンクも慌てる。
「誤解しないでください、私が罪を被るのではありません。もしもの時には私が出向いて彼を処分するだけです──心配なさらずとも、もしもの時など起こりませんがね」
とんでもない事をさらりと言うミシェット。ハンクには感覚が少しズレているように思えるが、古来の白妖精族の倫理観とはこういうものである。
「しょ、処分──!?」ハンクは素っ頓狂な声を出して若い白妖精の顔を覗き込み、感情を読み取ろうとした──ミシェットの瞳の奥の感情は追えなかった。
「ええ処分します」
奥で横になっている術士を除いた全員がミシェットの冷徹さに軽く身震いした。
「シュロ、今一度問います。おまえの新しい知人は信用に足る人物ですか?」ミシェットの声はあくまで涼しげだった。
少女は、ごくりと生唾を飲み込み、一拍置いて返答する。
「ええ、嘘をつける人物ではありません」
「それは良かった。スファイアティー家が後見する者には大きな名誉が与えられますが、それに見合う責任と義務が発生します──その信を裏切るような人物ならば、私が処分──いえ、捕らえ然るべき場所で裁きます。それで良いですか」
処分という言葉にハンクとシュローネが過敏反応したのを見てミシェットは物言いを柔らかくした。
「は、はい──」
敬愛する兄に強烈な圧をかけられて少女は血の気が失せるほど緊張して少し顔を青くした。
「射手もよろしいですね」
「いえミシェット様、納得できません」射手は立ち上がる。
ミシェットは思わず右手で口元の変化を隠す。そして人差し指の背を軽く噛む。忠実な部下だと思っていた射手に何度も反論され珍しく苛立っているのかも知れない。妹のシュローネには兄の感情が伝わってきた。
「ミシェット様──」横たわったまま術士が口を開く。
「なんでしょうか」
「射手が不安になっているのは呪物の正体がわからぬからです──所持する呪物の由来と所持する目的とを、その闇妖精に問うてください──欺き、誤魔化すような回答をしたり、世を乱す危険な呪物であるならば、スファイアティー家の信に足る者ではありません──呪物を彼から取り上げ、この場で処分すれば良いか、と」
「──さすがは術士。その通りにするのが最も賢明です。射手はどうですか?」
「……」
少し考えてから射手は答えた。
「ミシェット様と術士、おふたりがそう判断されたのならそれが最良、私はそれに従いましょう。あとは……」
射手は戦士を見た。
「いや俺が反対してもどうせおまえらは聞く耳持たないだろ!」戦士は拗ねたように腕組みしてそっぽを向いた。
その様子が子供のようなので術士と射手はくっくっ、と笑った。
シュローネはその大きな瞳を見開いて尋ねた。
「あのお兄様、処分って呪物の事……ですよね?」
術士はゴホゴホとわざとらしく咳込んだ。ミシェット以外はグリンを放免する事に反対で、出来ればこの場で「処刑したい」と思っているのだろう。そのような少しささくれ立った空気を少女は感じ取った。
無理もない、先刻の黒鎧の男も闇妖精族でありミシェット達は殺されかけたのだ──簡単に信用する方がどうかしている──
ミシェットは妹の不安を察したのか、無言でその頭を撫でた。
そしてそのまま出入口に向かいブーツを履いた。
「それではまいりましょうか」
ミシェットはハンクと共に天幕を出る──その手には長剣が握られていた。




