プロローグ 廃墟水族館
三重県尾鷲市の郊外にある海岸から熊野灘沖合へ数キロの場所、いくつかの島が点在するその海域の一角に「魚島」という平凡でありきたりな名前の小さな無人島が存在する。かつて港があった入江の一角を除いてほとんどが崖で囲まれ、島そのものは木々がうっそうと生い茂っている典型的な無人島であるが、島の周囲を船で回って観察してみると、その島の北側の崖の上に、この小さな無人島には明らかに不釣り合いな一際大きな建物の廃墟が建っているのを見る事ができる。
『旧伊勢宮森水族館』。それがこの廃墟の名前である。水族館とたいそうな事は言っているが、元々はかつて尾鷲市に住んでいた海洋生物学者の宮森海次郎という人物が、この島に研究目的で建設した自身の研究施設を改造して作った個人経営の小さな水族館である。彼がなぜいきなりこのような一般公開型の施設を作ったのかについては現在でもわかっていないが、海洋専門家である宮森が自身の持てる知識と技術のすべてを注ぎ込んで作られたこの水族館は、宮森が世界中から集めた多彩な水生生物のコレクションも相まって、その立地条件の悪さと規模の小ささの割にそれなりに訪れる人間も多かったと言われている。
だが、そんなこの水族館も、五年前に館長兼経営者の宮森が急死した事から閉館を余儀なくされ、その後絶海の孤島である事も相まってか手を付ける人間も存在せず、今でもこうして『水族館の廃墟』という珍しい代物がほとんど手つかずのまま放置され続けているのが現状である。たいていの場合、こういう廃墟はその手のマニアの間で噂されるようになるのが常であるのだろうが、すでに述べたように場所が絶海の孤島であるがゆえに侵入するには船を使うしかなく、それでいながら地元の漁師たちはこの廃墟を気味悪がって絶対に船を出してなどくれない。かといって自分で船を操縦しようにもそんな事ができる人間は限られている上に、この近海には魚島以外にも複数のよく似た無人島が点在しているため、結局どれが目的の島なのかわからずに終わってしまう事も多かった。そのため、結果的に廃墟マニアの間でもこの水族館の存在はあまり知られていないというのが実情だった。
かくして、本来であるなら誰にも知られる事なく朽ち果てていくのがこの廃墟の運命であるはずだった。だが二〇〇八年の夏、この孤島にそびえ立つ異常な廃墟は、『ある事件』の発生と共にその名を全国に知らしめる事になってしまったのである……。