66「死は敗北」
ボースはうめいた。
「クソっ。ドイル……、ドイル……、あの男を……、ここへ連れてこい」
ドイルは、何も答えず、苦しんでいるボースを見下ろした。
「どうした……、命令だぞ……」
「俺が今あなたを助けたところで、何の希望があるというんだ……?
このまま、弱ったあなたは戦いに負ける……。俺は、自分が仕える侯爵家を裏切った男だ。もう、戻る場所はない……。
もともと俺は、信じていたんだろうか。主人を裏切り、敵に味方し、あなたが勝てば、あきらめることのできないあの人を俺の妻にしてくれるという、薄っぺらな約束を……」
「そうだ……、俺は約束を守るぞ……。俺の言うことを聞けば、おまえをとりたてて、しかるべき地位を与えてやる。妻など選び放題だ、だれでもおまえの望む令嬢を手にいれられるぞ。どんな美女でもだ」
「どんな美女でも……?」
ドイルはまともにボースを見据えた。そして、手のひらをぎゅっと握ると、眉を寄せて吐き捨た。
「あなたは俺がどんな女でもいいと思って、人生を捨てたと言うのか。あの人を思い続けてきた俺のこの長い年月を、そのように汚い言葉で語るな……!」
「なにを言ってるんだ。どうでもいいことだ、そんなことは。なんでもおまえの望むようにしてやると言っているのがわからないのか……、おうっ……!」
「俺の望みなど、あなたはわからないだろう。……人の心の持たない、誰かを利用することしか考えないあなただ……。先代のころから長年仕えてきた家臣も、使用人も、野心で頭のおかしくなったあなたに酷い目にあわされて逃げてゆきましたね……。忠実な執事の孫娘に暴行して、自害させたのもあなただ。
俺のような、よそから流れてきた男を巻き込まなくては、なにひとつできなくなったときに、もうあなたの野望は崩れていたんですよ……」
ボースはうめくと胸を押さえてあえいだ。
「ド、ドイル……、あの男を連れてこい!なんでも褒美はやる……、毒消しを……!」
「いまさら、裏切った主人にあわす顔などない……。あなたはもうあきらめて、死ぬのがいいんだ……。そう、すべては終わりだ」
「……うっ……、この……」
ドイルは冷たい目でボースを見下ろした。そして、背を向けて遠巻きに見ていた荒くれ者たちに声をかけた。
「もう、終わりだ、旦那はじきに死ぬ……。もうあきらめてあんたらは帰れ」
「なんだてめえ、旦那は勝ったら分け前をくれると約束したぜ」
「死んだらおしまいだ。隣国の軍が攻めてくる前に逃げてしまったほうがいいぞ……」
「ちくしょう、バカにしやがって、旦那をふくろだたきにしてやる。いや、そこの貴族の女と女中を叩けば金目のものを持ってるかもしれねえ。何もなかったら、せめて、服をむしってその裸で……」
鍬や道具を振り上げて、迫ってきた男たちに、ボースは一歩前に進むと、背負っていた長い銃を下ろして構えた。
「それ以上、この人たちに近づくと、ここで死んでもらう。さっさと散れ、隣国の兵士につかまって拷問にあわされたいか……!」
男たちはたじろいで立ち止まった。ドイルが黙って先頭の男に狙いをつけると、その男は口汚くののしりながら、後退し、背を向けた。そして群れはのろのろと去り始めた。
「早く行け!撃つぞ!」
ドイルの声に、押し合うようにしながら、男たちは木々の向こうに小走りに消えていった。
アリアはドイルに近づいた。
「テリー様を助けて!あなたは隠れ場所を知っているのね。あの方は元気なの?ちゃんと水や食べ物はあるの、いますぐ私を連れて行って、あの方を助けなくては!」
「もうすべては終わりだ……、俺はもうこれ以上の恥の上塗りはしたくない。死んだ男になって、だれも知らない土地に行くだけだ。あなたたちは、戦争に巻き込まれないようにどこかに隠れて、なんとか国にに帰ったらいい。ここでお別れだ」
「ドイル!テリー様に忠実に仕えていたあなたなのでしょう。裏切って、敵に主人を売ったまま、見捨てて去っていくの、あの人の命を助けて……、どうかお願い……!」
「主人を裏切った男に、なにを頼んでもむだだ。俺はもう、主人を殺したのと同様だ。今さらテリー様にあわす顔はない……」
エリはアリアとドイルを見つめていた。そして、去っていこうとするドイルの背に鋭く声をかけた。
「リードはどこ!?」
ドイルの足は止まった。
「あなたといたリードはどこ?そして一緒に屋敷にいたカルスは?二人とも、どこなの?あなたは知っているのね」




